たなかあきら
免疫系の自己区別を哲学的にどう解釈するかをカントに立ち返りつつ探求し、「生命体はなぜ超越論的判断を必要とするか」という命題と取り組んでいます。
今のところゴミ収集を生業としていますが、その職業経験と上述の取り組みを踏まえた生命・環境倫理を構築する日が来るかもしれません。
- ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(五)&n […]
- ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(四)田中 聡 〈6〉自己の非自己化は「無限判断」と関わるのか? 私は本連載の前回において、有機物の循環や有価物としての廃棄物の流通について論じたが、そもそもなぜ我々は、そういった循環や流通、更にはいわゆる「リサイクル」をし […]
- ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(三)田中聡 〈4〉ゴミ収集における市民と行政の乖離の修正と「情報」 前回まで述べてきた相互作用、相互承認について、同じく前回まで述べてきたことのおさらいをしつつ、それを歴史的且つ原理的に考究していく事の意義を再確認するところ […]
- ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(二)田中 聡 (2)ゴミの追跡調査可能性 私たちにはゴミが収集され、どれだけの総量となり、それがどう再生され、エネルギー資源になったり、「自然」環境に影響を及ぼしたり、ゴミ減量化が実現しつつあるかという事をめぐり、確実では […]
- ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(一)田中聡 〈0〉導入 以下において、実際に私が東京都23区のいくつかの区のゴミ収集の清掃労働(ここで清掃労働という時は、ゴミ収集を意味する)のお仕事を、公立清掃事務所の非常勤の臨時職員として、あるいはゴミ収集雇上会社に遣 […]
- 『本当の音?本当の生(LIFE)?本当の時間?』—追悼・坂本龍一—(ニ)田中聡 〈3〉始まった途端に終わっているようなものだった 坂本龍一さんは「月刊カドカワ」1988年7月号(角川書店)に掲載されたご自身のエッセイで、リニアな時間について、以下のように述べている。 「子供のときから、僕 […]
- 『本当の音?本当の生(LIFE)?本当の時間?』—追悼・坂本龍一—(一)田中聡 〈0〉導入—「時間」という通奏低音 本年3月28日に亡くなられた坂本龍一さんは、音楽の多様な分野に、多彩な仕事を、それなりの完成度で残し、様々な刺激と創造の種子を残した。そうであるにも関わらず、何か未完成なもの […]
- 『ギリヤークさんと大拙』試論(三)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-田中聡 〈5〉「個人的生命の宇宙的生命に対する関係を感得す。」 大拙(=鈴木大拙)、そしてギリさん(=ギリヤーク尼ヶ崎)の中には、東洋的な「一」とも言うべきものが脈打っている。 そしてそれはまず、(少なくとも大 […]
- 『ギリヤークさんと大拙』試論(二)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-田中聡 本稿は、「まどか通信」フェニックス3月号に掲載された拙稿「『ギリヤークさんと大拙』試論(一)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-」を引き継ぐものです。 前回は私がギリさんから直接お聞きしたお話から、或る […]
- 『ギリヤークさんと大拙』試論(一)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-田中聡 【序章】 〈0〉導入 2020年10月11日、横浜港は横浜大桟橋国際客船ターミナルの屋上で、午後2時からの1時間余り、大道芸人・舞踊家のギリヤーク尼ヶ崎さん(当時90歳)(以下、ギリさんと略す)が、新型コロナウ […]
- 反抗期とテクノポップについての覚え書き(2)—「型に嵌ること」をめぐって—田中聡 私は2016年2月12日に、東京都現代美術館に『Tokyo』展を観に行った。 YMOという切り口から1980年代の東京をまず捉え、そこで得られたものが、現代の東京にどう引き継がれているのか? そんな視点を持った […]
- 反抗期とテクノポップについての覚え書き(1)ー「型に嵌ること」をめぐってー田中聡 今自分(1969年生まれ)が思索し、模索していることの起源は、自分の10歳位から17歳位の時期の精神的遍歴にある。 時々自分が何者か、分からなくなる時、そうした起源をもう一度十分に吟味 […]