*【フェニックス】~創刊にあたっての随想

原田広美(ひろりん)


〈列についてゆけない者に宝物はあるのか?〉

 中学生の頃には、井上陽水に聴き惚れていた私にとって、神無月(新暦では11月頃)は、ちょっと特別です。まだまだ秋は続くけれど、新年からやっと春が来て夏になり、秋までを駆け抜けて、実ったことと虚しく散ったことの今年の決算を感じ始める時。

 そこへ陽水の「神無月に囲まれて」の鋭いギターのイントロと、異様なテンションのコーラス?と、今よりも澄んでいて、厚みもありながら高音がグ~ンと伸びる陽水の「あの声」も聴こえて来るのです。

 特に、2番の渡り鳥の歌詞
「列についてゆけない者に/また来る春が/あるかどうかは誰も知らない/ただひたすらの風まかせ」が、
狂ったような熱を帯びて聴こえ、生命の火(生存)の瀬戸際を感じさせられてハッとします。陽水のシュールな曲調の中に、真実を感じるのはこういう時です。

 ですが、たぶん「列についてゆけない」ところは誰にでもあって、そこにその人の真実と、その人が社会や人々に貢献できる宝物があるのではないか、などとも思うのです。
(*陽水好きの硬派ですまなくも、これまで気の合う男性には拓郎派も多かった私です。)                


〈媒体タイトルと、「ルビンの壺」の図と地の「統合」について〉

 セロ弾きの若い友人の北條立記さんから、「一緒にウェブをやりませんか?」とオファーがあったのは、1~2年前でした。ずっとそのままにしていたのが、なぜか今回は始めることになりました。

 媒体タイトルは、正・副ともに私の思い付きです。
 「まどか」の部分が、私の仕事の屋号と重なり申し訳ないのですが、「しいたけ占い」で、「今季の水瓶座は、面白いと思ってもただで始めてはいけません。見返りがあってこその充実と成功なのです」などと読み、人生いまだ微弱な立場にある私は影響されました。

 心理療法家(セラピスト)なので、占いは今の私にとっては脇筋ですが、少女の頃には「毎日の星占い」という本を買ったこともある私にとって、星占いだけは?時々気になることもあります。星占いができた時代と現在の星の位置と見え方は、すでに違っているのも承知の上ですが…。

 ところで「まどか」の意味は何かと言うと、「あらゆる魅力を満月のお月様のように満ち欠けなく持つ」という意味づけで、30年ほど前に仕事の屋号としてつけました。

 エドガー・ルビン考案の、「ルビンの壺」の〈黒い壺(図)の部分〉と~その背景としての左右からの横顔が、中央で鼻を突き合わせたように見える〈白い(地)の部分〉。

ルビンの壺

 その黒い(図)と、白い(地)の双方への視野の獲得と~双方の要素の「統合」という、「ゲシュタルト療法」の考え方も土台にはあるにせよ…

 表に出ている魅力の裏側を合わせ持つことは、表から見える魅力をさらに「底なしの瑠璃色」に深めてゆくことに繋がり、そして自分が繋がることのできる人も増えるのでないか、などとも思うのです。

 こうした「統合」は、心身の健康には間違いなく貢献します。しかし個性という点ではどうなのか?と疑問に思う人もいることでしょう。

 それに対して私がよく例にあげるのは、ザ・ドリフターズのリーダーだった長さん(いかりや長介)が、舞台『恍惚の人』を含む数々のシリアスな役を演じて好評だったことや、橋田壽賀子脚本のTVドラマの笑顔の善人役で知られた岡本信人が、いつかTVの金田一耕助シリーズで演じた、実は殺人犯だった警官役の怖さです。

 ふだん見せているキャラの裏側の役を演じた彼らには、一番奥にある自分を出し尽くした「底なしの輝き」を見せつけられた思いがすると同時に、実は自分で自分を両面に渡って幅広く受け入れているからこそ、いつものキャラも人並みはずれて際立っていたのではないか、とも感じるのです。

〈ヨッちゃんのことと、100歳まで生きたアンナ・ハルプリンについて〉

 編集部のヨッちゃん(イラストレーターの田中義之さん)のことも書きたいと思います。猫好きのヨッちゃんとは、facebookの「猫のように生きる」というコロナ以降のグループで出会いました。

 というより、私が「インスタの○○の仕方、誰か教えてください!」と投稿した時に名乗り出てくださり、東陽町のベローチェでご教示いただいたのです。それ以来の付き合いです。

 昨年は土方巽秋田舞踏会との共催で、春から夏のオンライン舞踏大学の後、うちのセラピーの主軸「ゲシュタルト療法」のフレデリック・パールズが影響を及ぼしたアメリカのポストモダンダンスの母〜アンナ・ハルプリン(1920~2021)~に関するZoomセミナーを行いました。
その時にも、ヨッちゃんがアシストしてくださいました。

 ハルプリンは1960年代から「即興」を試みましたが、その時に噴出する感情の対処法に悩んでいました。そうしたところへ、表現主義をベースにした「ゲシュタルト療法」のパールズから、衝撃的な「気づき」を得る機会があり、その後2~3年、ダンスのグループにパールズを呼んで学びました。

 そして、ハルプリンはダンスを中心に、身体アウェアネスやドローイング、自分史を「リチュアル(儀式としてのパフォーマンス/ゲシュタルト療法ならサイコドラマ)」としても演じるなどを含む、独自の総合ワークショップを打ち立てました。 

アンナ・ハルプリンとアラン・ビュッファール(写真協力『国際コンテンポラリー・ダンス』原田広美・著/現代書館)

 また40代には、癌を手術で摘出して5年後に再発。それからは一般の医療に頼らず、自らのワークの継続を生活の中心に、何と100歳まで生き抜きました。このように感情の解放と癒しが、自然治癒力を高めることも知られています。

そのハルプリンのワークショップに、ドローイングが好きだったナタリー・ロジャーズ(父は、来談者中心療法のカール・ロジャーズ)が学び、その後、ナタリーが考案して始めたのが「表現アートセラピー」です。父親の理論を取り入れて、表現を受けとめることを主体とします。

 ヨッちゃんの話に戻ると、まず私と漱石の誕生日が同日なのですが、やはり同日が誕生日という理由でfacebookで知り合っていた美術評論家の藤井雅実さんがいらして、その藤井さんはヨッちゃんの高校時代の美術部の先輩だったことが、後から判明しました。

 この話には続きがあり、私と住まいが近いためにfacebookの近隣地域のグループで知り会っていた田高孝さんと、藤井さんが、若い時代のアートを通じての知り合いだったという偶然も、重なりました。ちなみにヨッちゃん以下の皆様は、私よりも先輩方です。

 人生は、驚くことばかりですね。ヨッちゃんにタイトル・デザインを依頼して、立記(北條)さんと3人で連絡を取り合ううちに、よいチームワークが自然とできたので、3人で編集部を担当することにしました。

〈夢→舞踏→国際ダンス史→セロ弾きの立記さんへ〉

 いま私は、このウェブマガジンの編集責任者になったことにも、とても驚いています。自分の人生で、予測すらしていなかったからです。でもこれは、これまでに出した4冊の本のうち、一番反応が鈍かった『国際コンテンポラリーダンス』の成果が、遅くなってここに出現したのかな?とも感じています。

 私が、これまでに刊行していただいた本は4冊あります。1冊目は『やさしさの夢療法』、これは思いがけず、女性誌に受けました。『「夢」を知るための116冊』という、心理学のプロフェッショナルな皆様による創元社の本でも取り上げていただきましたが。
 

 2冊目は、本当に皆々様にお世話になった『舞踏大全~暗黒と光の王国』で、何人もの舞踏家や写真家の先輩方の人生をお借りしながら書きました。

 刊行後、Japan Foundationの助成を2度いただきながら、数年にわたって欧州にレクチャーやデモンストレーションに出かけ、そして墺・仏・英の国際ダンスフェスティバルを取材するという、私にとっては驚くべき展開がありました。

 3冊目が、その取材を元にした『国際コンテンポラリーダンス』です。舞踏について、国際的な舞踊史の中の位置づけを考えたいという動機もありました。

 ただしバレエリュス以降のバレエ、ダンス、舞踏の歴史を追う上で、クラシック、モダン、ポストモダン、コンテンポラリーという流れの把握も必要で、主に北半球の美術や芸術の100年の歴史を追うことにもなりました。

 4冊目が『漱石の〈夢とトラウマ〉』です。これは1冊目の直後から書き始めたものの、なかなか刊行に至らず、題名も決まりませんでした。

 ですが、フロイトのお膝元だったウィーンで、2007年に『Traum und Trauma夢とトラウマ』展を見て、ようやく題名が決まり、2018年に憧れだったアリス・ミラーの『魂の殺人』の出版元の新曜社から、刊行していただくことができました。

 フロイトは1900年に『夢判断』を刊行しており、漱石には『夢十夜』があります。私は、現在の最先端だと思っている自分のセラピーの視点を生かして、漱石の『夢十夜』と主要作品に感じる、漱石や主人公達の生育歴以降のトラウマとその解消の方向について書きました。
 (夫の成志が翻訳したパールズの自伝『記憶のゴミ箱~パールズのパールズによるゲシュタルトセラピー』も、同じ出版社からの刊行です。パールズは、フロイト派から抜け出して、戦後のアメリカで新しい時代の心理療法を創ったパイオニアでした。)

成志が翻訳したフレデリック・パールズの自伝『記憶のゴミ箱』新曜社(左)と、私達のゲシュタルト療法の先生だった元・東大心療内科講師のリッキー・リビングストン(右・著書『聖なる愚か者』の裏表紙の写真)。リッキーが開設した高田馬場にあった「東京ゲシュタルト研究所」の顧問は、当時の『夜と霧』フランクルの翻訳者の霜山徳爾先生でした。

 漱石の本が、私を再びセラピー中心の生活へ方向転換させました。2019年の連休明けの週末に開いた「表現者のためのワークショップ」に、日本人で最初に渡仏した舞踏家で現在85歳の三浦一荘さんと、セロ弾きの立記さんが、先頭を切って申し込んで下さったのは嬉しかったです。

 その2日間に、一人ずつが皆の前で「即興」を演じる機会がありましたが、その時に立記さんが演じたボディー・パーカッションを私は忘れることができません。後から聞いたら、その時が初めての試みだったそうで、それにも驚きました。

 立記さんと私は、私のダンスの本をご覧になった木部与巴仁さん(伊福部昭についての著作もあるダンサー)が、私のためにダンスについて語る小さな会を開いてくださった時に、出会いました。その時から、ここまで続いているのですね。

〈「ねじ式」のヒミツの矢崎秀行さん、『ガロ』、寺山修司のことなど〉

 今回の創刊にあたり、私にとって大切な方々に、幅広くお声かけするのは容易なことではありませんでしたが、特に『つげ義春『ねじ式』のヒミツ』(響文社)の著者で、トークでも人気のある矢崎秀行さんにお声かけするには勇気が必要でした。

 2019年に高円寺の「ペンギンハウス」で、大場雄一郎さん(若い世代ですが、1960年代に流行したリキッドライトの専門家)が対談トークを企画して、1回目のゲストが矢崎さん、2回目が私だったのです。

 その大場さん×矢崎さんのトークを私が聴きに行き、次には光栄なことに矢崎さんが私の回にも足を運んでくださった。と、そういうご縁でした。「ペンギンハウス」がコロナ禍下で閉店されたのは、本当に残念です。

 そして私と大場さんとの出会いは、山本裕さんのダンス公演です。私にとって山本さんは、暗黒舞踏の土方巽の奥さんだった元藤燁子(ゴッド・プロデューサー&ダンサー)の親友だったモダンダンスの折田克子(石井みどりの娘)が残した、若い世代の有望なダンサーです。

 というように、ここは私にとって土方巽や、1960年代には土方巽のブレーンで、私の学生時代の恩師&文章の師でもあった種村季弘先生(マニエリスムや、マゾヒズムの翻訳・紹介者 / 『ソフィーの世界』や『夜と霧』の翻訳者の池田香代子さんのドイツ語の師)に繋がる人脈でもあります。

 私は、今回のウェブマガジンが、たとえばジャンルは異なれども『ねじ式』が掲載されていた伝説的な『ガロ』のようになればと思いますし、『家出のすすめ』や『書を捨てて町に出よう』を書き、「天井桟敷」を主宰した寺山修司のグループのような伝説的な輝きを纏うことができたら、とも思うのです。

 そう言えば、種村先生のエッセイに「寺山の葬式(お通夜?)」に行った話もありましたし、三島由紀夫を介してなどなど、暗黒舞踏の土方巽と寺山の関係もあったのです。

 ここで、フロントページの「編集部」の所の時計について説明します。この時計は、種村先生が好きだったマレーネ・ディートリッヒが愛用した腕時計のレプリカで、映画誕生100年の年に、田代まさしがMCだった夜のお買い物番組「プロント」で買いました。

 種村先生の世代(敗戦時に中学生)は、戦前のディートリッヒの映画を戦後の東京で見たのですね。紙媒体が急激に復興した時代でした。今は、紙媒体が衰退の憂き目に合い、すっかりウェブ隆盛の時代になりましたが。

 ところで私は中学生で寺山の『家出のすすめ』を文庫で読み、高校の文化祭で寺山の映画『田園に死す』を見た世代です。その映画には、柱時計が出て来ます。柱時計ではないけれど、1990年代に買ったディートリッヒの腕時計は、ここではそのイメージなのです。

 しかし家出も、またフロイトのエディプス・コンプレックス(父殺し)以降、寺山にも現れた(母)親殺しのテーマも、新しく塗り替えなければならない時代です。

 偶然にピックアップしたディートリッヒの時計の写真でしたが、ナチス嫌いな「男装の麗人」でもあった彼女が愛用した時計は、男女差を越えようとする今の時代にも、ちょうどマッチするのではないでしょうか?その時計は、今も私の手元で顕在です。

  一方、媒体末尾のヨッちゃんによるロゴの黒猫は、言わずもがなの「福猫」です。

 書を捨てて、心と体の旅にも出よう!(両方ともコロナ禍下でも可能です)伝説は、語り継ぐだけのものではない。私達が、新たに創るべきものではないのか?君も参加しませんか?そう、そこのあなたです!! 

*マレーネ・ディートリッヒ『リリー・マルレーン』

*寺山修司:監督『田園に死す』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=Q8JtBQiwcnc

〈まとめと、これから〉

 「書を捨てて・・」と言いながら、書き続けた寺山。やはり私も書き続けるのでしょうか?振り返れば、26歳で手書きのコピー原稿を持ち寄り、ホチキス留めにした同人誌から書き始めた私。誰かにとって、そのようなきっかけになることも願っています。

 そうそう、この媒体の書き手の皆様のプロフィールは、スマホでは左上の「メニュー」から入ってご覧ください。また投稿者のプロフィールは長短にかかわらず(140字が目安)、もれなく掲載されます。アメーバのように日本を縦断する?裏のネットワークにならんことを願っています。
 (mado.から始まる編集部のアドレスで、自動的に編集部の3人に転送されます。)

 それからフロントページで、立記さんとのコラボで踊り続けるヴィーガンのダンサー細田麻央さんについて。2人の出会いについては知らないですが、麻央ちゃんと私も長年のつき合いです。

 やっぱり最後は、一時期の私と麻央ちゃんに共通の舞踊と舞踊身体理論の師で、「アルトー館」の主宰者だった及川広信先生の話になるのでしょうか?及川先生は、戦後にいち早くフランスの近代マイムを持ち帰った方で、シュウウエムラの親友でもありました。

 「何である、アイデアル」の傘のTVコマーシャルの初代の人で、シュウさんのパリでのメイクアップショーのプロデュースも一任されていました。演出家でもありました。

 その及川先生が1980年代に、桧枝岐フェスティバルを含む当時の新しいアートや思想の思潮を創り始めた年齢に、私もちょうどなってしまったのです。そんなことも、おそれながら頭の隅にあったりするのです。そこにはマガジンもありました。

 と言いつつ、最後の最後は、お付き合いはこれから成立するのか?という、再び矢崎さんの話題で終わります。と言うのも、漱石が好きだったシェークスピア。その『ハムレット』の恋人だったオフィーリア。画家のミレーが描いた、川を流れてゆく彼女の絵の来日時に、お世話をされたのが、読売新聞の記者時代の矢崎さんだったと聞いています。

 漱石がロンドンから帰国後の最も精神衰弱が酷かった頃、帝大の授業で難解な英文学論を一度さておき、いわばやけっぱちで大好きで自信があったシェークスピア論を始めたら、評判が立ち元気も出たのです。やはり人間には、本心から好きなことをやることが大切ですね!

 私の次回の原稿は、『ハムレット』とオフィーリアについてです!!

 そしてはるか昔、ホチキス留の同人誌の発起人のA.S.さんに、褒めていただいたにも関わらず、その後30年以上も活字にする機会を作れなかったグリム童話の『カエルの王様』論。それからアンデルセンの『人魚姫』についてのお話もつくかもです。

 この原稿を皆様がお読みくださる頃は、そろそろ「メリー、クリスマス!」ですね。今日はドイツ語の話題が多かったので、ドイツ語のクリスマスソングでお別れしますね。では、また次回をお楽しみに!!

*ウィーン少年合唱団『Stille Nacht(Silent Night)きよしこの夜』

*毎週(木)19:00~21:00 3月23日まで、
どなたも【無料参加】できる
Zoomプレ「アートセラピー実験工房」

詳細は、↓です。ZoomURLをお送りします。

https://bit.ly/3jTWE4f

*「まどか研究所」いつでも誰でも無料相談メールは、
こちらです。https://madokainst.com/contact/