小説『思い出』

矢野マミ

 若い頃のほんの一時期、都内で教員をしていたことがある。都内と言ってもまだまだ田畑の残る地方都市の趣のある街だった。
 男子が9割を占める工業高校で、私は国語の教員として勤めていた。

 いつものように仕事を終えて帰宅すると、事件の第一報を意外な人物から聞いた。母である。大学進学と同時に実家を出てから距離を置くようにしていたから、彼女からこんな時間に電話があるのは初めてだった。もう何年前の出来事だろうか。生活にはまだ固定電話が主流だった。
「見て、見て、テレビ、見てー!」
受話器の向こうから母がアワアワしている声が聞こえる。母に敬意を表して、洗濯物をたたむ手を止めて、リモコンに手をやる。画面に大写しになったのは、今さっき出て来たばかりの、我が勤務先である。門柱の前にマイクを持ったレポーターが立って中継している。
「え、ちょ、何、これ、今フツーに帰ってきたところなのだけど?」
「でも、あなたのところでしょう?」
「そう、そう、ウチの学校。わ、誰ー?あ、なんとなく、あるある。わかった!あるかもしれないわ。ありがとう、教えてくれて」
 レポーターはTという教員がセクハラ容疑で逮捕されたことを伝えていた。卒業した元生徒からの訴えだそうだ。筋肉痛のマッサージをすることを口実に性器を触ったのだとか。今日、Tは来ていたかな? 記憶になかった。
「気をつけてね」
「うん、うん。わかった、わかった。気をつける。ありがとう。じゃ、またねー」
「気をつけてね」か。母の口癖だ。逮捕されたのは私でなくてテレビに出ていたTなのに。
 明日から大変だな、こりゃ。Tも。

 翌日の新聞の一面にはトップ記事の左側に大きな記事が出て、Tの顔も出た。小さな四角の中に薄いカラーで収まったTは、いつもの尊大な顔と違った。気弱そうな腺病質な愛想笑いの顔だった。
 Tらしくない、と思った。

 その日の職員室は緊張感に溢れていて、そこかしこで小さな輪のさざめきがあった。打ち合わせで教頭から「生徒に余計なことは言わないように」とのお達しがあったが、誰も何も報道以上のことは知らないのだから言いようがない。教室に行くと、生徒たちがニヤニヤしている。
「センセ、見た?」
「見たよ」
「どうなるの?」
「わからない。私も新聞見ただけだから」
「みんな、被害は受けてない? あったら教えてね」
「ま、今日は落ち着いて授業受けてね。無理かもしれないけど……」
 学園ドラマを見る趣味はない。「金八先生」やら「ごくせん」やら、もともと興味はなかったけど、現実はいつも、想像で作るドラマの一歩先を行っていたから。「たまごっち」が流行った時にはテストをさぼって発売日に列に並んだ者もいたし(彼女へのプレゼントなのだそうだ)、数少ない女子の中には放課後の老人ホームでのボランティアの後に道路脇に立って援助交際に励む子もいた。お風呂に入れるのが、老人か、おじさんか、無償か、お金がもらえるか、そのどちらが正しくてどちらに価値があるのか、どちらが崇高で、どちらがわいせつなのか、もう私には答えられなかった。
 教室の正面の時計の横に「みんなちがって、みんないい」と書かれた額を飾っていたTが、まさかセクハラ容疑で逮捕されるなんて、教職員も生徒もみんな驚いた。Tのクラスの生徒たちは皆キラキラ輝く目をしていて、統率も良くまとまりのある良いクラスだったから。本人がイチバン驚いただろう。つい昨日まで、バレーボール部の指導者として全国的にも名の知れた人だったから。Tは少し気分屋なところがあって、私は被害者だったと思う。

「あなた、若いのに生意気言わないの」
 印刷室のおばさんが、ある日を境に私のプリントだけを印刷してくれなくなったのは、Tの差し金だろう。おばさんの机の透明マットの下には大勢の部員の中央に収まるTの写真が飾られていたから。Tはおばさんのお気に入りだった。いつもTちゃん、と苗字にちゃんづけで呼んでいた。

 大人になるまで虐められたことがなかった。だから自分の身に何が起きたのか最初わからなかった。
「T先生に謝っといた方がいいよ」
 廊下をすれ違いざま、若手男性教員の一人から声を掛けられた。
「謝るって、何を?」
「さっきの、放送」
「放送って、……。あれは自分のクラスの子に言ったのだけど?」
「“バレーボール部の”って、つけてたでしょう?」
「まぁ、だって部活に行くのにクラスの掃除さぼったのだから当然でしょう?」
「バレーボール部の○○さん、今すぐ教室掃除に戻ってください」
 この放送の、何がいけなかったのだろうか?
 きっかけは、なんでもよかったのだろう。Tは私をいじめたかったのだろう。
 仕事上のことで、何か確認しなければならないことがあって、Tに話しかけたとき、完全に無視された。話しかけても目を合わせようともせずに、他の教員と話し続けた。「あっち行って」とも言われなかった。こういう無視の仕方があるんだ、ひとつ勉強になりました、としか言えない見事な無視の仕方だった。完璧すぎて、悲しくもなく、腹も立たなかった。むしろ可笑しかった。

 少しずつ、雑談の輪が小さくなり気が付くと印刷室での会話には私は呼ばれなくなっていた。印刷室を取り仕切っているMさんは50代のおばさんで、誰も彼女のご機嫌には逆らえなかった。
 今思えば、教員ではなくアルバイトのMさんにどうしてそんな権限があり、どうして誰もMさんに対して注意できなかったか、謎は深まるだけなのだが、とにかくTはそういうことをする奴だったのだ。

 ずっと前、最初にバレーボール部の副顧問としてTと遠征に出かけたときに、私は事件が起きることを予期していたのかもしれない。
 Tが運転するマイクロバスで出かけた遠征先の夕食は、Tと二人だけ、小部屋に通された。
「えっ?みんなと一緒じゃないの?」
 部の中には自分のクラスの子もいたから当然一緒に楽しく夕ご飯を食べるものだと思っていた私は驚いた。
「先生は指導者ですから。T先生と一緒です」
 いつもクラスの中ではタメ口で話しかけてくるHがここでは敬語なのにも驚いた。
「何よ、敬語なんて使って~ !」
「部活中ですから」
 じゃあ、いつもは何なの?という言葉を飲み込んであいまいに笑う。
 指導者用の個室で、Tと二人の夕食。女子マネージャーが現れてミーティングが始まる。
「肩もみましょうか」
「あぁ、ありがとう」
 絶句した。当然のように女子マネに肩を揉ませながらビールを飲むT。今日の試合の振り返りと、今晩の自主トレのメニュー、明日の集合時間など伝えてミーティングは終わった。
 話の終わりに「これ洗っといて」とTは自分のかぶっていた帽子を女子マネに渡した。
 彼女が部屋を出てから尋ねる。
「生徒に洗わせてるんですか」
「そうだよ。他のものも全部」
「全部って、ジャージ以外もですか? え、下着もですか? どうして? 嫌じゃないですか? プライバシーとか」
「別に。どっちが上か、わからせるには一番効果的なんだよ」
 Tの理論によれば、自分の洗濯物を生徒に洗わせることで、そこには明確な上下関係が生まれるのだという。監督が絶対!のチームを作るために。
「それって、ちょっと耐えられないんですけど」
「最初に上下関係をはっきりさせるのは大事だよ。生徒指導の基本だよ」
 そんなことも知らないのか、と呆れたようにTは言う。自信たっぷりに。まるで犬をしつけるかのように言う。きちんと統率が取れていて、まとまりのあるTのクラスを思った。Tの言うことには諸手を上げて賛成しかねたが、全国でも有数のバレーボール部を率いるには、そういうことも必要なのかもしれないのかと思わされてしまっていた。

 新聞に顔写真が載った日、夕方からバレーボール部の保護者会が開かれた。校内でも強豪チームには保護者会があって独自に活動していた。管理職が同席して副顧問のYも同席していたらしい。
 保護者会の翌日には臨時職員会議が開かれた。
「T先生のことは、既に報道等でご存じだと思いますが、本日はこれからのことについて共通理解をしたいと思います」
 教頭が口火を切って会議は始まった。
「事実なんですか?」
「信じられません」
「卒業生の嘘じゃないでしょうか」
 会議ではTをかばう声が続出したが、教頭からの次の発言を待って会議は沈黙した。
「昨日行われた、バレーボール部の保護者会では、保護者からも心配の声がたくさんあがりました」
 これは、ここだけの話にしておいてほしいのだが…、と教頭は声を落として次のように言った。
「現役の部員の中にも、T先生から被害を受けたことがある、という生徒が何人もいました。しかし、大騒ぎされたくない、ということで被害届は出さないそうです。先生方には、この生徒たちを守ることを考えてほしい」
「すでに報道機関が動いていますが、校内には取材をいれません。校外で何か聞かれたとしても『取材には応じられません。管理職を通してください』と毅然とした態度で答えて下さい」
 何人かの雑誌の取材陣がやって来て、通学途中に声を掛けられる生徒もいた。わずかのお金を握らせて、何か聞き出そうとする輩もいたようだ。
 しかし、それ以上の進展はなく、ある秋の日の連休明けに、Tの机のものが一切なくなっていて、事件のことはそれでお開きになった。年が改まって、印刷室のMさんが退職した。長い間勤めていたのに、お別れ会も何もなかった。朝の打ち合わせで、Mさんが年末で退職されたから、しばらく印刷は各自でしてください、と連絡されただけだった。
 年度の終わりに所属していた学年チームが集まって解散会を開いたときに、Tも呼んだそうである。「けじめだから」。わが校始まって以来、初めての女性学年主任が言ったそうである。Tは青白い顔をして現れ、「研修センターの一室に入れられて机の上のパソコンで毎日ニュースを見ているのだ」と話したそうである。仕事として郵便物の仕分けが割り当てられ、後はネットサーフィンをして帰る毎日なのだそうだ。「オレはやってないから辞める気はない」というのがTの言い分なのだそうだ。
 逮捕されて、新聞の一面に顔まで載ったのに、Tは不起訴になり首にはならなかった。一説にはTの両親が弁護団を組んで争い、被害者に400万円を払って示談に持ち込んだのだとか議員さんに頼んだとか様々な噂が流れた。Tの机の中からは生徒たちからの“お手紙”がたくさん見つかり、愛情からの逆恨みではないかと噂するものも多かった。
 Tの肩を持つものも多く、過去の生徒たちが裁判所に嘆願書を提出したと聞いた。

 事件から20年が経ち、世間がすっかり事件を忘れたころ、Tはひっそりと現場に復帰したと聞いた。小さな学校で目立たないように勤務しているらしい。私はもうとっくに教職を離れていたが、ある心理学系の研修会でTを見かけた。その頃はまだマスクをする習慣がなかったのだが、Tは大きなマスクで顔を覆い、暗い地味な服で黙って私の前を通り過ぎた。
 その会合にTが来ることは事前にわかっていたから「T先生ですね。ご無沙汰しています」とでも挨拶すれば良かったのか、目の前をすーっと通り過ぎていくTを黙って見送った。

 何年たっても、教員による生徒へのセクハラがなくならないのは、Tのような教員が解雇されないからだ。弁護するからだ。訴えを取り下げるからだ。あるいは訴えられずに泣き寝入りするからだ。

 Tはまもなく定年退職を迎える。退職金も満額もらうのだろう。Tの両親も教員なのだそうだ。家ではどのような会話をしていたのだろうか。Tの子どもたちは、Tが逮捕されたとき、学校で虐められたそうである。その後はどんな生活を送っているのだろうか。

 時折、ポケットから取り出して大切なものを愛でるかのように反芻する。苦い記憶だったそれらは今や文字で書かれた誰かの文章のようになって記憶の中に留まり続ける。いつか、Tのことを小説に書こう、と思っている。見つかったらTのことだ、私を名誉棄損で訴えるだろう。でも私は自分の目で見たこと、聞いたことしか書いてないし、新聞やテレビに出たことは本当のことだから。

 「セクハラされた」と新聞社に訴えた男の子はどうしているのだろうか。400万円で何を買ったのだろうか。訴えなかった男の子たちは後悔していないのだろうか。被害にあった男の子たち全員で訴えたら、Tは首になっていたのだろうか。

 わたしのことを、道端のお地蔵さんのように無視したTを、忘れられない。

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