小森俊明
筆者が三浦一壮氏の舞踏を初めて目撃したのは2019年のことだった。その威厳と滋味、風格を併せ持った佇まいに圧倒されたものである。終演後にお声掛けして感想をお伝えして以来ずっと、いつか共演させていただけたらと考えていた。氏とはフェイスブック・メッセンジャーで時々やり取りをさせていただいていたのだが、そんなある時、筆者のピアノで踊りたいとおっしゃって下さった。公演が実現したのは2022年、昨年のことである。初めて踊りを拝見してから3年の月日が経ってしまったのは、ひとえに新型コロナウィルス感染症の蔓延に由来する公演控えによる。数回の打ち合わせとリハーサルを経て、江東区深川のシンフォニーサロンで行った公演には大勢のかたがたが見え、大きな反響を得ることが出来た。その時のお客さんの一人である本通信編集責任者の原田広美さんから、2023年4月号ではこの公演についての紹介文と記録映像のリンク貼り付けを提案され、喜んでそれに応じ、文章を認めている次第である。
ヨーロッパと南米の演劇・舞踊系フェスティヴァルから繰り返し招聘を受け、現地で絶賛を博しておられる三浦一壮氏は、アジア太平洋戦争下の平壌で生を享け、敗戦後に命懸けで日本に帰国された経験をお持ちである。しばらくのブランクを経て踊りを再開されたのは実に2010年代後半のことであるのを考えると、その踊りが見せる肉体的鍛錬と精神的錬磨の結晶は奇跡的というほかない。そこには勿論、過酷な幼少期の経験をも反映しているに違いない。昨年ご一緒させていただいた初共演公演「三浦一壮生誕祭2022 三浦一壮+小森俊明」(照明:吉本大輔、衣装:星埜恵子)の作品中では、生い立ちの語りと平和への祈りが聞かれた。折しもロシアによるウクライナ侵攻が行われている最中である。氏が少年時代に目撃した、敗戦後に帰国する船上で栄養失調により命を落とした同胞たちが 海中に投げ入れられる様子、そしてその時の腐臭、更には遺体を狙う海中の鮫の勢いづいた遊泳・・こうした生々しい経験が過去形で済まされぬ問題として、氏の肉体に沈殿し続ける記憶から立ち上がり、平和への祈りへと昇華され、踊りの崇高な形でもって現前するのだ。
以下、この時の公演動画のリンクを貼り付けておく。
ところでこの原稿を書いている今(2023年3月頭)から数日前、筆者がピアノ伴奏者として出演したあるコンサートの終演後、お客さんとして聴きに来られていた一人の紳士からお声を掛けられた。コンサート終演後に、見知らぬお客さんから演奏に対する共感やお褒めの言葉をいただくことはしばしばあるのだが、今回紳士から語られた内容は大変な偶然と言うべきものであった。紳士は、筆者の情報をコンサート前にウェブサイトで調べて印刷されたと思しきペーパーを手にされていた。その中には三浦一壮氏と行った公演のフライヤーもあったのである。かつてNHKで一壮氏と仕事をされた紳士は一壮氏の連絡先を逸してしまい、長年の音信不通を気にされていたのだ。ご自身の連絡先を記したメモを渡された筆者は、一壮氏にメモの写真をすぐにお送りしたのだが、ほどなく紳士と連絡が取れて40年振りの再開を果たされる運びとなったとのこと。今年86歳になられる三浦一壮氏のお若い頃の活動が、改めて掘り起こされて世に知られるようになって行くことを期待する。
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