『ギリヤークさんと大拙』試論(二)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-

田中聡

左がギリヤーク尼ヶ崎さん、右が筆者

 

 本稿は、「まどか通信」フェニックス3月号に掲載された拙稿「『ギリヤークさんと大拙』試論(一)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-」を引き継ぐものです。

 前回は私がギリさんから直接お聞きしたお話から、或る種の「矛盾」に晒されつつのギリさんの表現を考えましたが、今回はTBSのテレビドキュメンタリー番組『88/50 ギリヤーク尼ヶ崎の自問自答』でのギリさんの発言から又別の矛盾を考えるところから始めてみましょう。

 

〈3〉命は「限りがあって限りがない」。

 

 更に思い起こせば、 2019年のTBSの『88/50 ギリヤーク尼ヶ崎の自問自答』というテレビドキュメンタリー番組(本文の下に、その番組のYouTube映像のリンクを貼り付けました。すぐ下のギリさんの発言部分は、その動画の8分52秒〜9分41秒付近。)でギリさんは、
「自分を生かしてくれている生命力ってあるでしょう。ようするに自分を生かしてくれている命、生命力なんですよ。この生命力をいかにそれぞれが自信を持って、感謝して使い切って、宇宙の他の生命力と一緒に、命ある限りはね、精一杯、そしてその生命力をまた次の世代に伝えていく。
 僕(は)、命っていうのはね、『限りがあって限りがない』。
 そん中で、矛盾している中で矛盾しない、生き方っていうか、ちょっとあれだけど、そこんとこ、少しわかってきましたよ。」
と仰っていました。
 ここには正に、「再生」という事に通じる側面が語られていると私は思います。

 


 ソリッドな物体としての身体が動かなくなっても、世界・宇宙へと開かれている。いかにも開かれているように身体で動作せずとも、ただ不動の身体であろうとも(たとえ死体になろうとも?)、世界へ、宇宙へと開かれた何か。
 その何かを、(誇りを持ちつつ?)掴む。
 そんな模索を、上述の「曲折」、「矛盾」の中で、ギリさんはまだまだ続行せざるを得ないのだろうか?
(思い起こせば、先述のように、目の玉ひとつで踊れとギリさんに言った土方巽さんには、「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」という言葉がありました。又、ヴァーツラフ・ニジンスキーは「立っているだけで世界との格闘が起こっている」と書いた。)

 


 もちろん、(1)日本人としての誇りや心と世界、宇宙という間の関係性と、(2)無限の宇宙の「空」での表現、命の存続と有限の命の関係性、これら(1)(2)にはズレている側面がある事も事実であり、そのズレを捉えることも必要な階梯である事は言うまでもありません。
 又、(2)の中の、無限の宇宙をバックにする中で、(2)’何らかの表現をする事と、(2)”命の存続をする事は、ズレる側面があり、これらのつながり、整合性も考慮する必要はあるだろう。

 


 その考慮においてポイントの一つとなるのは、「日本」という事と、「鎮魂と再生」とが、どのように関わるか、という事であると私は考えます。

 


 ここで想起されるのは、上述のTBSの番組で、生命力について語る直前にギリさんが、2018年のギリさんの新宿公演でのトークを踏まえて、以下のような問答をされていたこと。

(その問答は、この番組のYouTube動画の8分16秒〜8分50秒に出てきます。)

 


(TBS記者・以下T)「この国でね、日本人としてね、生きていくんだってというお話を、されてて、昔はあんまりそういう話、されなかったのかと思って。

 なんでそういう風に思うことあるんですか?」

(*このギリさんの「日本人として生きていく」発言は、同TBS番組中の5分44秒〜5分50秒秒付近、2018年新宿公演でのものとして出てきます。)

 


(ギリさん)「あれね。僕がやっぱりたかが街頭だけれど街頭でね、踊る事によってね、見る人も手を合わられる!
 日本人(は)、結構そういう気持ちが強いんじゃないんですか?本当は。」

 


(T)「手を合わせるような気持ち?」

 


(ギリさん)「あああ!あるんだと思いますよ。」

 


 ここで更に翻ってみれば、ギリさんは『鎮魂の舞』という映像作品を、既に、それもかなり以前に世に問うておられて、「鎮魂と再生」の片方の「鎮魂」に正に重なっている。
 ただ、では「再生」の方はどうするんだ、という事になるかもしれませんが、そこにこそギリさんの大拙、及びその大拙の『日本的霊性』(1944年12月に初版が大東出版社より出た)へのアプローチが生きてくると、私は思います。
 そして、ここでの「日本的」とは何かという事が、先の考慮のポイントに通じるであろうと私には思われます。

 


 なぜなら、大地震からの復興での「再生」という際には、大地震で失われた「大地」とその上の破壊された街並みの「再生」という意味と、同じく大地震で亡くなった方々の魂の「霊性」の「再生」という意味、これら二つが重なったところにこそ、あるはずであり、これら「大地」と「霊性」は、大拙の考え方で切っても切り離せないものだからです。
 そして大拙は自著『日本的霊性』において、「日本的霊性は大地を離れられぬ。」「霊性は大地を根として生きて居る。」「霊性はどこでもいつでも大地を離れることを嫌う。霊性はもっとも具体的なることを貴ぶ。」と、あちこちで繰り返し、「大地と霊性」の相即不可分を訴えかけています。 

 

 


〈4〉「生は円環である。中心のない、あるいはどこでもが中心である円環である。」

 


〈3〉で述べた「大地と霊性」は、野外の大地を舞台に、宇宙での自己の「中心」の感覚と、「心」の在処を、かつての舞踊の師匠・邦正美さんを通じて教えられたドイツ表現主義(ルドルフ・ラバン、メリー・ヴィグマン等の)の「中心」感覚を批判的に継承しつつも模索してきたギリさんのこれまでの舞踊の遍歴に、見事に重なるはずです。 
 鎌倉時代以降の日本の武家文化のなかで「禅」が生き始め、又能狂言や歌舞伎にも通じていく出雲の阿国さんの舞踊、あるいは「念仏踊り」(五来重著『踊り念仏』平凡社、1988年、参照)が生じたのも、元来は「大地」を移動し、制度化した舞台に拘束されない中でこそであった。そうした「大地」に根ざす「霊性」に立ち返りつつ、能狂言・歌舞伎のルーツを探っていったのが、ギリさんの芸歴だったとも言えると私は思います。 
 最新作の『果たし合い』も、今書いた武家文化での武士の決闘の只中に「禅」的な、一人称的(その作品の上演に際して、その踊りの内容についてご本人が仰っていた言葉。この言葉の意味については、ここでの連載において追って定義する予定です)な魂の表出がある事を、いみじくも現しているようにも私には思われるのです。
 こうして上述のキーワードである「鎮魂と再生」は、ギリさんの、邦正美さんの門下から旅立った出発点から、大拙の考え方を精神的支柱にしつつ自分なりの舞踊を模索し続け、やがて『鎮魂の舞』を世に問うた頃を経て、最新作の「果たし合い」に至るまでの軌跡に、やはり見事に重なるはずです。 
 鎮魂しつつ、大地で踊り、無限の宇宙を背景に、それぞれの「自己」の中心感覚を表出させようとすること自体が、「大地」と「霊性」の結合した事による、生命の再生を現している、一つだけの中心のない生命の息づかいを再現している。
 それは大拙が『日本的霊性』で、「生は円環である。中心のない、あるいはどこでもが中心である円環である。」と主張したような、中心なき中心感覚に根ざした息づかいの再現です。それがギリさんにしか出来ない「再生」の表現なのだと私は確信します。

 


 ここで今、私が「大地と霊性」と書いていた事は、4年4ヶ月程前に出版された安藤礼二著『大拙』(2018年、講談社)に出てくる「場所と産霊」という事に(微妙に位相を変えれば)重なるとも、私は考えます。
 即ち、「大地」の「場所」性、そして霊性が生じる事としての「産霊」。
 因みに、この「産霊」は「むすび」と読むそうです。様々な生命は、むすび、繋がり合うことで、産出されていく。その「むすばれる」事象が生起する「場所」としての「大地」。 
 これら「場所と産霊」というペアの概念の大元は大拙の考え方にあった、そう前掲書の著者・安藤さんは述べます。そしてその大元の考えから、西田幾多郎の「場所」の考えと折口信夫の「産霊」の考えが派生していった、そう安藤さんは見ているようです。
 ここで論じられている、「場所」と一つになった生命を持った人間同士の「むすび」と、生命の産出は、ギリさんが野外公演をする際の、観客とギリさん、観客同士の「むすび」に通じていくようです。

 


 別にギリさんを神さま仏さまと思って手を合わせ、祈る訳ではない。ステージの中心のギリさんめがけた祈りではない。
 ギリさんも、ナムアミダー!と祈り、観客も自らの2つの手のひらを一つに合わせ、祈れる。
ここで大事なのは、この「も」ということ、ギリさん「も」観客「も」祈るという、両者の間の並列的関係である。
 ギリさんのパフォーマンスの場の、どこでもが中心であり、それぞれの観客の身体の中心、それぞれ、すべてがその場の中心である。
 先述のTBSの番組でのギリさん発言の言葉をそのまま使えば、手を合わせれば、身体の中心軸で手を合わせれば、そこが「中心」である。

 


 一つ一つの手合わせが生命の力を伝え合うように。

 


 大拙の言葉を借りれば、
「どこでもが中心である円環」としての「生」がそこに産まれる。
 最近はおやりにならないのかもしれないけれど、かつてのギリさんは、「念仏じょんがら」で客席の周りをグルっと、縄を回しつつ回って、又元に戻ったりしておられた。
 中心がどこかに定められず、「円環」の渦中に、観客それぞれの「生」があることを浮き上がらせるように。

 あるいは大拙が『日本的霊性』の第四篇「妙好人」で記述した、念仏を唱える中で、唱える主体と仏とが相即相入的関係が生じる事をここで想起してもよいだろう。

 先の「念仏じょんがら」を演ずるギリさんは、ナムアミダー! と念仏を唱える中で、演者たる自分と、演じられているやがて死にゆき、成「仏」してゆく老婆(更にはその霊魂)とが、激しく「相即相入」する。その中で演じる自分が演じられる老婆を観る、観察する視点と、老婆そのものの視点が交錯する。それは大拙が上述の部分で訴えた「相即相入」に通じるものであると私は現在推論しているのです。(まだまだ検討が必要ではあるのですが。)

 そしてその舞踊で、死にゆく者の無念や悲哀を表現するように、ギリさんは観客を即興で一人選び、両手を握り、泣き出すような、あるいは鬼のような表情でその手を上下に揺らす。それは演じられる老婆(の霊魂)が観客に、なぜだ、なぜワタシは死んでいってしまうのか、と訴える行為であると同時に、演じるギリさんが演じられる老婆(の霊魂)を介して、観客と結ばれる行為でもある。(以下に貼り付けたYouTube映像に収録された、2010年の世田谷美術館講堂での、ギリさんの「念仏じょんがら」の、7分を少し過ぎた辺りを参照のこと。)

 即ち、ただ死にゆく者の無念と虚無を演じるだけではなく、その事で今を生きる演者ギリさんと観客が一つの場所を生成する。生を形作る。

 それは正に先述の産霊(むすび)の行為であり結合である。

 そして更にそれは前回述べた、仏教的な「空」で踊ると同時に、観客に観てもらえて嬉しいと思う事に真摯に関わる、その事に重なるのだと私は思います。

 ギリさんが念仏を唱えつつ踊る事は、ギリさんご自身、観客それぞれの「生」の存在を浮き上がらせ、形作る。
 これは、日本独特のものなのだろうか?そうギリさんは考えておられるのだろうか?上述のTBSの番組で発言される時など。

 こうした事が問題点として浮かび上がってきましたが、それでは次回は、今論じてきた文脈においての、その「日本独特」という事を、大拙の東洋的なものへの視座から考え始めてみようと思います。

 

 

ギリヤーク尼ヶ崎さんの横浜港公演の映像

 


産経ニュース(7分4秒)

 


ギリヤーク尼ヶ崎さんのドキュメンタリー映像 (2019年4月7日にTBS系列で放送された『88/50 ギリヤーク尼ヶ崎の自問自答』{JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス})

 

 

2010年4月10日の世田谷美術館でのギリヤーク尼ヶ崎さんの「念仏じょんがら」の映像

 


ギリヤーク尼ヶ崎さんのFacebook
https://www.facebook.com/Gilyakamagasaki

 


ギリヤーク尼ヶ崎さんのWikipedia 
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%B0%BC%E3%83%B6%E5%B4%8E