癌再発から100才まで生きたハルプリン、精神分析とセラピー~電子書籍版『やさしさの夢療法』あとがき(後半)

原田広美

 今年(2021)年5月に、100歳の天寿をまっとうして逝去したハルプリンでしたが、40代には自身も癌を発病して切除手術を受けたものの、5年後には再発に見舞われました。しかし再発後は、手術や化学療法を手放し、若い頃から探求し、ゲシュタルト療法のパールズにも学んだ〈即興〉や〈感情の放出〉などのワークによる闘病を決意して治癒に至り、長寿を保ちました。

 ハルプリンの例は、〈感情の解放〉が〈自然治癒力〉を向上させるために大きな効用を表す可能性を示唆しています。逆に言えば、〈感情〉を抑圧することは、結局は〈生体エネルギー〉を閉じ込めることになり、自分で自分の自然治癒力や免疫力をも抑え込んでいる状態なのです。

 〈感情の解放〉は、他の〈メンタル不調〉にも効用があることが知られています。さまざまな〈症状〉の奥底には、深い〈感情〉がとぐろを巻いた状態で抑圧されており、無意識のうちに心身を束縛しています。そして、それらの〈感情〉の抑圧には、深層心理に宿る劣等感、怖れ、罪悪感、無価値感、絶望感などに関わる〈トラウマ(心的外傷)〉が影響しています。

 これらの〈感情の抑圧〉は、本書の本文で見て来たように、両親や家族および身近な人との関係によって形成されたものと、両親から受け継いだものがあります。

 そのような、いわば原〈トラウマ〉の上に、学校や職場などでの人間関係や進路を含む軋轢、就職や結婚前後の出来事、いじめや失恋や不和、出産や環境の変化、突発的な出来事によるダメージなどが重なった時に、〈メンタル不調〉を土台とする、さまざまな〈症状〉が現れて来ることが少なくありません。

 最近知られる心理療法の一つに、「マインドフルネス」があります。これはテーラワーダ仏教(上座部仏教)の〈気づき〉がベースになっています。ですから、「禅」の影響をも得た「ゲシュタルト療法」の、「〈今ここで〉の〈気づきの三領域〉」(第5章を参照)のとらえ方に重なっています。

 また「認知行動療法」は、イギリスでは抗鬱薬をしのぐ治療効果が認められ、2007年のNHS(国民保険サービス)の動向を契機に、保険適応になりました。その後、やはり認知行動療法が第一義に推奨されることは変わらないものの、「ゲシュタルト療法」も、そのセラピストがUKCP(英国心理療法評議会、UK council for Psycho therapy)に登録されている場合に限り、保険適応になっています。

「認知行動療法」は、「認知療法」と「行動療法」が合体したものですが、やはり「気づき」を重視します。ですが〈抑圧〉された〈感情〉、およびその核にあたる〈情動〉や〈無意識の領域〉、および〈症状〉の原因を扱いません。それは、それらを扱うセラピストの養成に時間がかかるからで、国家規模の医療制度の改正には間に合わないためでした。

 また2013年のイギリスのIAPT(心理療法のアクセス改善、Improving Access to Psychological Therapies)の調査では、「認知行動療法」で鬱が回復した人は約40%、改善した人が約60%、悪化した人が6.6%だったそうです。これも大ざっぱな数字だと思いますが、さらにキメの細かい、幼年期に培われた原〈トラウマ〉からの解放を必要とするケースは少なくないでしょう。

 私が鬱々としていた1980年代には、精神科や心療内科の門を叩くのは、今よりもずっと勇気を必要とする時代でした。またその後、精神科の診断は「アメリカ精神医学会」発行の「DSM(診断マニュアル)」に基づくようになり、精神疾患発病の契機となった個々人の苦悩や、〈幼年期からの体験〉による〈抑圧〉や〈トラウマ〉を扱うよりも、症状による診断と、対処療法としての投薬がセットにされているのが現状です。               

 私は精神科や心療内科に通いませんでしたが、いわば〈鬱〉と生育歴の中で抱え込んだ〈抑圧〉や〈苦悩〉のエネルギーを解放・解消しつつ、〈無意識〉下に眠っていた「夢」を発掘して育てて来たのだと思います。そして、その重要な導き手の一つが「夢のワーク」でした。

 このような流れを振り返ると、渡米後のパールズは医師免許が使えなかったために、アメリカの医療制度の中で単発的な仕事は担えても、仕事の対象を一般の人々に広げざるを得ない面がありました。その延長線上に「エサレン研究所」での仕事や、ハルプリンとの出会いもあったと言えるでしょう。

 総じて「ゲシュタルト療法」は、日常を「心身共にいきいきとクリエイティブに生きる」ためのオルタナティブな教育的立場に置かれ、また〈メンタル不調〉に対しては、オルタナティブな療法として扱われがちであったと思います。

 成志は、2006年から「ゲシュタルト療法」の国際学会に参加し、2008年にはパールズらが創始した「ニューヨーク・ゲシュタルト療法研究所」の最初の日本人会員となりました。そうした経緯から、情報のやり取りもして来たのですが、アメリカでも団体を上げて、「ゲシュタルト療法」の保険適応をめざしているそうです。

 ここで、パールズが作った「ゲシュタルトの祈り」という詩にも触れたいと思います。

 ゲシュタルトの祈り

 私は私のために生きる、あなたはあなたのために生きる。
 私はあなたの期待に応えるために、生きるのではない。
 そして、あなたも私の期待に応えるために、生きるのではない。
 私は私、あなたはあなた。
 でも偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

 そして、たとえ出会えなかったとしても、同じように素晴らしいことだ。

 パールズはワークショップの際に、これをよく読み上げたと言います。「私は私、あなたはあなた。」少し冷たい気もしますが、これは依存を戒め、自らの人生を自らの責任で生きることを明確に提示したものと思われます。また一般には、「ゲシュタルト療法」の精神が書かれていると考えられて来ました。

 しかしパールズにとっては、さらに思いがけない意味を持つ詩なのです。それは次のような内容です。パールズは、ドイツを脱出する前後から大戦中にかけて、親戚やユダヤ人の友人・知人達に対して、ホロコーストから逃れるために「ドイツからの脱出」を強く勧めました。

 ですが、彼らは聞く耳を持ちませんでした。それはパールズにとって、とても悲しく辛いことだったのですが、「彼らにとっては、慣れた土地や生活を離れて、新天地に赴く勇気を持つことが難しかったのだろう」と推測しています。このようなことも、自伝の『記憶のゴミ箱』には書かれています。

 そして戦後には、パールズは強制収容所で命を落とした多くの友人・知人達から「なぜ、もっと強く移住を勧めてくれなかったのか」、と責め立てられる悪夢に悩まされました。そのような一連の問題に、ケリをつけるために書いたのが「ゲシュタルトの祈り」でもあったのです。

 ここで成志について書き加えますと、2000年代には欧米各地で開かれたAAGT(「ゲシュタルト療法」の国際学会)に数回参加した後、2013年にはメキシコの「ゲシュタルト大学」30周年で記念講演、2018年にはフィリピンの「ゲシュタルト学会」でメイン・レクチャーと、メイン・ワークショップを任されました。

 国内では、1990年代に清泉女子大ラファエラアカデミアでグループワークを3年間にわたって担当し、『私を救うイメージ・セラピー』(第三書館)にまとめました(英語版電子書籍『How to save yourself』もあります)。

 また2000年代には、東京都教育相談所相談部アドバイザリー・スタッフを経て、⦅記憶のゴミ箱』の他、『依存からの脱出―欲求を形にするゲシュタルトワーク』(つげ書房新社)も上梓。2011年からは、いくつかのカルチャースクールで、「ゲシュタルト療法」をベースにした「話し方教室」でも好評を博しています。

 私のその後も記しておきたいと思います。オウム真理教による1995年の一連の凶悪事件の後、精神世界と呼ばれた分野がダメージを受けると同時に、私達の心理療法は基本的にはその分野とは異なるものの、たとえばヨガの先生達が誤解を受けたのと同様に、ダメージを受けました。

 心理療法家としての仕事を縮小せざるを得なくなった後、私はそれまでの心身への造詣を生かす形で、「舞踏」という前衛舞踊のジャンルを扱うことを皮切りに、舞踊評論を始めました。

「舞踏」は、敗戦後の1959年の東京で土方巽や大野一雄・慶人らによって暗黒舞踏として生み出され、1980年代からは「舞踏(Butoh)」として国際化の道を歩みましたが、そのルーツには、先人達が戦前に渡独して学んだ「ドイツ表現主義舞踊」が融合されており、後から思えば「ゲシュタルト療法」の心身観と相性がよかったのです。

 2004年には、『舞踏大全』(現代書館)を刊行しました。その後の数年間は、国際交流基金の助成も得ながら、オーストリア、ポーランド、フランス、イギリス、イタリア、クロアチア、ベルギーに、「舞踏」についてのレクチャーやデモンストレーション、また次の拙著となった『国際コンテンポラリー・ダンス』(現代書館)のための取材に出かけました。パールズとハルプリンの関係は、このダンスの本にも記しました。

 この間、ウィーンやロンドンでは、フロイトハウス(記念館)にも足を運びました。1938年にナチスによってオーストリアが併合された時、フロイトはウィーンの自宅兼診療室を後にロンドンに亡命し、その地で第二次世界大戦勃発直後の1939年の秋に亡くなりました。

 私は、ダンスの本を刊行した後、2018年には『漱石の〈夢とトラウマ〉―母に愛された家なき子』(新曜社)を上梓しました。実は『やさしさの夢療法』刊行のすぐ後に、「夢療法」や「心理療法」の見地をより広く一般化したいという願いの下、すでにこの原稿を書き始めていたのですが、なかなか出版先も題名も決めることができませんでした。

 しかし、とうとうウィーンでの取材中に、「夢とトラウマ(Traum und Trauma)」展(2007年)という催しを見て題名が決まり、作業を加速することができました。さすがに「夢判断」や「精神分析」を生んだフロイトのお膝元だな、と思ったものです。

 ですがフロイト、ユング、アドラーなどの「精神分析」が、いわばモダニズムの時代に形成されたのに対し、パールズの「ゲシュタルト療法」は出自をそこに持ちながらも、戦後のアメリカで創始された心理療法で、ポストモダンの時代の産物だと感じます。

 パールズが「ポストモダン・ダンス」の母と呼ばれたハルプリンに関与したのに対し、「モダンダンス」の大成者であったマーサ・グレアム(1914~1991)が、ユングの神話研究に基づく作品を創作したのも、象徴的な出来事だったと言えるでしょう。

 なお『やさしさの夢療法』は1994年の刊行後、健康雑誌、女性誌などを始めとするいくつかの媒体の他、『「夢」を知るための116冊』(東山紘久他編、創元社)では、アカデミックな心理学の立場からの良い書評もいただくことができました。

 一時は舞踊評論を主軸とした時期もあった私ですが、『漱石の〈夢とトラウマ〉』の出版が決まった頃から、再び「まどか研究所」を仕事の中心に据える決意をしました。そして今、再び『やさしさの夢療法』を電子書籍版として上梓していただくことになり、心より感謝しています。そして、もちろんのこと夢日記も継続しています。

 昨年はコロナ禍の中、5月6月に初めてリモートワークで、5回の夢のワークショップを行ないました。遠方の他府県や海外からの参加者様も約半数を占め、時代の変遷を感じました。また広美と成志による個人セッション(成志の「話し方」指導を含む)でも、都内や近県の貸会議室などに出張する他、各地と結んでリモートワークを用いています。

「まどか研究所」の名称の由来は、心身が共にまどか(ホールネス=全体性が獲得された円満な状態)で、豊かな歓びのエネルギーに満たされることを目指すところにありました。パールズが目指したのも、私の子供の頃からの「夢」も、「毎日(今)をまた人生をいきいきと生きること」です。

 そして世界の平和と歓びも、そのような個々人の内面の変容により、幸せと歓びを他者にも分ち合えるに違いないと考えられるようになるところから始まるのではないかと思います。

 これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 2021年7月 原田広美

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