矢崎秀行
絵描きは、その最後に「この世への惜別の絵画」を描くことがある。
ホッパー(1882〜1967)のこの絵は、まさにそうした絵画だと言われている。男性はホッパーで、女性は生涯の伴侶だった妻・ジョセフィーン。
これが定説だが、私も同意する。晩年体調を崩していた彼が、その死の2年前、絶筆という形で残した優れた、哀切な作品だ。
ホッパー描く人物は、ほとんど視線を絵の外に向けているが、この男女二人のコメディアンは、舞台上から、正面を向き観客席に視線をなげかけている。左手を胸にあて、女の手を握って。
彼と妻のジョゼフィーンは何もかも反対の人物だった。長身だが寡黙で内省的なホッパー、一方ジョセフィーンは小柄で明るく社交的。けれどもプラスとマイナスが強く引き合うように、二人は良いコンビだったようだ。
ホッパーは「窓」をその絵によく描き入れた。代表作のひとつ『ナイト・ホークス(深夜の人々)』のように。窓の外から、カウンターにたたずむ孤独な、静謐な、物思いに沈んだ、時には疲れた市井の人々を描いた。
それはディズニーのような明るいアメリカ、マッチョな米国とは違うオルターナティブな、もう一つのアメリカの風景だった。けれどもそこには、確固としたリアリティがあり、米国人自身の心の琴線に触れるものだった。
この絵も、あたかも「窓」のように演劇の舞台が描き込まれていることが重要である。人生は一場の演劇。自分たちは、コメディアンの様に繁栄のアメリカの裏側で、もう一つのリアリティある米国を表現してきた、とでも言うようにである。
胸に手を当て、共に歩んだジョセフィーンの手を握って、「さようなら」を告げたのだ。
…………………………………………
写真解説
一枚目~ホッパー『二人のコメディアン』1965年
二枚目~ジョゼフィーンとホッパー
コメント