小森俊明
5月初旬に、知り合ってから一年も経っていない知人の瀧口忠男氏が享年63歳で急逝された。先月は坂本龍一氏の逝去を悼んだ文章を寄稿させていただいたが、瀧口氏は今記したように直接の知人である。この10年弱の間に、平均寿命には程遠い50~60代の友人知人や師が亡くなっている。皆お世話になったかたがたばかりである。60代で亡くなられたかたに限っても、小松一彦さん(指揮者)、斎藤恵さん(音楽教育学者/オルガニスト)、竹場元彦(たけばゆきひこ)さん(音楽プロデューサー)、松下功先生(作曲家/指揮者で筆者の作曲の師)、山口博史先生(作曲家/音楽理論家で筆者のソルフェージュの師)等々のお名前が挙げられる。これらのかたがた、そして坂本龍一氏の逝去については在来メディアやSNS、そして周囲の友人知人の間で話題となり、追悼の言葉が多かれ少なかれ聞かれたのであるが、瀧口氏についてはほとんどそのようなことがなかった。したがって、彼の事績について少しでも多くのかたがたに知っていただきたいと思い、ここにそれらを記すことにしたのである。
瀧口氏とのお付き合いはごく短かったものの、多くのやり取りをさせていただいた。氏は東京大学工学部航空工学科を卒業して富士通に就職された後、病気でかなり長期間の闘病生活を余儀なくされるという経験をお持ちであった。闘病生活後の勤務先については聞き及んでいなかったが、少なくとも亡くなられるまでの数年間は、フリーランスのコンピュータ技術者として仕事をされていた。また、仕事と並行して風景写真の撮影に精力的に取り組み、写真展に出品もされていた。そして、亡くなられる少し前には風景写真撮影の入門書を上梓さえされていた。つまり、単に撮影するのみならず、撮影方法についても理論的に研究されていたのである。氏は四季折々の木々や花々を撮影することをライフワークとされており、有栖川宮記念公園や神代植物公園といった、特に緑の豊かな都内の公園を散策し、数多くの写真を撮影されていた。それらのデータを時々筆者に送って下さり、感想を求められたものである。氏の作風は、万人に受け入れられやすい分かりやすさと明快さ、そして抒情性を併せ持っている。それは、新著に掲載された作例からも充分に窺うことが出来る。一方で平和主義者であった氏は、社会や政治に対する批評精神も持ち合わせておられた。目下、自民党政権によって進められている改憲議論の諸テーマについて記した私見的な問題提起のレジュメを作成されていた。これを氏の東京大学時代に同期だったある閣僚に渡そうとする矢先に亡くなられたのだ。そればかりではない。亡くなられる直前には、並行して写真入門書の第2弾の執筆も準備中で、目次は既に出来上がっていたのだ。志半ばでの急逝を心より残念に思う。
筆者は毎朝必ず、新聞の訃報欄に目を通す。掲載されているかたがたは大企業の社長や元社長を筆頭に、筆者にとって疎い経済関係や実業関係のかたがたが多く、存じ上げているお名前が載ることはなかなかない。しかし、掲載されるのは、それぞれの領域で活躍された有名なかたがたであるに違いない。然るに、周囲で亡くなられるかたがたというのは、それほどには有名ではないと言えるのかも知れない。それどころか、ほとんど無名である場合もある。とはいえ、有名/無名にかかわらず、それぞれに何かしらの事績を残し、精一杯に生きているかたがたばかりなのである。筆者は、アジア太平洋戦争に関する博物館によく足を運ぶのであるが、それらの展示室では必ず無名の犠牲者による手記や絵画、そして彼らの所持品が展示されている。あまりにも当然のことであるが、現代に戦争の惨禍を伝えてくれるのに、そのかたがたの有名性というのは関係ない。例えば、1985年に起きた日航機墜落事故において世界的に著名な歌手の坂本九氏が逝去されたことはつとに知られているが、他のほとんどの乗客にもまたそれぞれの事績があったのである。そんなことを、瀧口忠男氏の逝去に際して思ったりした。最後に、氏が上梓された書籍についてご紹介させていただきたい。Amazonのリンクはこちらである。
『季節の色彩表現』(瀧口忠男著)
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