【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(七)最終回―永遠の時間-

桝田武宗

                 

 

 白梅に明くる夜ばかりとなりにけり

 

 この句は、蕪村の時世の句三句の内の一つです。
 この句の解釈に関して詩人の萩原朔太郎、文学博士の暉竣康隆、詩人の清水哲男等が夫々違う解釈をしています。例えば、萩原朔太郎は、「白々とした聡明の中で夢のように漂っている梅の気あいを詠んだもの」と述べています。各人様々な解釈をしていますが、岩波の「古典文学体系」には暉竣康隆の解釈として、「今日より白梅に明ける夜ばかりになった」を記載しています。その解釈に対して、清水哲男は、「安直すぎる。死に瀕した瀬戸際でそんな呑気なことを思うはずはない。『ばかり』を『…だけ』ないしは、『…のみ』と読むからそのような解釈になるのであって、この場合は、『夜』を抜く気分で読むべきで、『間もなく白梅の美しい夜明けなのに…』という悔しさの感慨が句の命なのだ」と独特の解釈を述べています。

 私は、「四季折々に様々な夜があるであろうが、自分に残された夜は白梅に明ける夜しかなくなった」と詠んだものと解釈しています。死を間近にしている自分には、「白梅に明ける夜しかなくなった」と解釈することで、「ばかり」の用語が活きます。

 この句に詠み込まれているのは、「停止する時間」です。「生命の停止」は永遠ですからこの句の時間を、「永遠の時間」と分析しました。

 

 
 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 


 という芭蕉の時世の句も「旅の途中で病になってしまった自分の命はもう長くはない。自分がここで死んでも夢(漂白の想い)は永遠に枯野を駆け廻るであろう」という意味でこれもまた、永遠を詠んだ秀句です。

 


 

 さくら咲いて宇宙遠し山のかい

 

 これは、天理大学付属図書館が保管していた、「夜半亭蕪村句集」にあった未確認の句二百十二句の中の一つです。二〇一四年に未確認の句が見つかったという報道がありました。この句の意味は、「野山にさくらが咲いて山と山の間の向こうには、『この世の全ての空間』と『古今の時間がある』」という意味だと夏石番矢が解説を書いていました。

 番矢は、「宇宙」という言葉は現代の日本語より広い意味を持ち、全空間、全時間を指すと注釈を入れています。句の解釈は正しいと思うのですが、文学博士の金木利憲は、自著「宇宙の語源と語義の変遷」の中で、江戸時代は、「世界」という仏教用語が一般的で、「宇宙」という言葉は使われていなかったと記述しています。

 確かに、江戸時代は、太陽系がどのようになっているのかも全く知られていませんでした。

明治八年に、「天体系統」という教科書に太陽系の惑星=水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星があると初めて載せられました。そのような状況にも関わらず蕪村は、山と山の間の向こうに、「宇宙」があると詠んだのです。この句に出会った時、私は、蕪村が時間を句に詠み込んだのは意図があったのではないかと思いました。

 多分蕪村は、「世界」というのは、自分たちが住んでいる地球のことで、「宇宙」というのは地球を含めた時空間だと理解していたのだと推察できます。蕪村は何故、世界と宇宙のあり方を知ったのか今になっては確かめようもありませんが、理解していたと認めるしかありません。

 アインシュタインが、「特殊相対性理論」や「一般相対性理論」等の論文を発表したのは、二十世紀に入ってからのことです。アインシュタインの後に多くの学者が宇宙理論や時間について論文を発表しています。しかし、二〇二一年現在でも宇宙のことや時間について明確にはなっていません。

 正岡子規が確立した俳句は、記述して来たように宇宙の運行や時間と深く関わっている稀有な文学です。浅学な私は知りませんが、このような詩は他の国に存在するのでしょうか。私の知る限りでは、宇宙の運行や時間とリンクして、更に、景色だけを写しとるという詩はありません。

 私は、俳句の世界の知識は殆どありませんが、十七文字によって語られる世界の深遠さにただただ驚異を抱くだけです。 

(完)

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*漱石も俳句を投稿していた俳誌「渋柿」令和4年1月〈1293号〉より、転載。

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