求道鞠
わかる? 彼女は死なないのよ。夫の中で永久に。だって私よりひとまわりも若いんですもの。
君は微笑んでいる。そのアルカイックにシールされた微笑みにはおそらく、熟年の怒りが含まれているのだろう。几帳面に膝に揃えられた指先が、わずかな震えを帯びている。嫉妬に狂った女の例にもれず、醜さをふりみださないように髪をシニョンに結い、朝露のような細(こま)やかなピアスをし、夜霧のように絶妙な風合いの布に身を包み、全身全霊で優雅を装っている。あわれをもよおす。
もののあわれを。
窓の外には、傾きかけた太陽の灼熱でアスファルトがゆだり、陽炎がたちのぼっている。それが遠景の皇居の森の鮮やかな緑を一瞬、ぐらりと、白昼夢のように揺らめかせている。外は気を失うような暑さだ。ここまで歩いてきたからよく理解(わか)る。
「わかるよ。君は彼女より先に死ぬ。夫の中で永久にね。あるいは」
か細いシャンパングラスの中で、黄金(こがね)の泡がパチパチ弾ける。
「もう死んだかもしれない」
「そうね!」
弾かれたように、まるで救われたような顔をして、君はあどけない声を立てて笑った。そして軽快な音を響かせながら、グラスとグラスの縁をかち合わせる。
臨床の場で医師として接していない人間に、病のレッテルを貼ることはできない。精神医学界の倫理規範で、それを「ゴールドウォーター・ルール」と呼ぶ。
そもそも僕に女の病理(サイコ)はわからない。そして夫婦には夫婦の論理(ロジック)があるだろう。だから僕に許されるのはあくまで、君の淡々とつむぎ、ひそやかに吐き捨てる言葉、押し殺された苛立ち、染みついた立ち居振る舞いが醸しだす、風景への陽炎のような反映(うつろい)——それを眺めることで生じる、至極ふたしかでそぞろな、一種の感興(センス)だけだ。憐憫はない。
ああ。
僕は君ではないし、君の不実な夫君(ぎみ)でもない。
まして、君を観(み)る医師でもない。
ただ今ここに、般若が清楚に化粧をし、ワンピースの裾を気にしながら座っている。
それが観察者たる僕に、あわれをもよおす。
「おかわりは?」
君は答えない。
また、どこか冷めた遠い目をしている。そしてその顔はすっかり色をなくしている。先刻ほとんど無意識に乾(ほ)したグラスも、森を揺らめかせる熾烈な陽炎も、まったく見えてはいない。君の苦しげなうわの空を、僕はただただ、凝(じ)っとみつめる。
誰と時を共にしても思うことだが、真実の共有は実はとてもむずかしい。
不実な男にその実(じつ)を求めるのは、一部の女にとって、なにやらドーナツの穴を求めるように虚しく、甘美なことなのだろう。
しかし僕から見れば、そもそも女という生き物は、肝心な場面で情熱の傾け方を致命的に見誤る。人生におけるうら若き日も、それゆえに注げる情熱も、せいぜいグラス数杯分の泡沫(うたかた)でしかないのに。
酔狂だね。
例えば目の前に、安心して溺れられる黄金(こがね)の水があるというのに、わざわざ週末のプールで、ひと知れず溺れるような真似をする。
「お冷やを」
「おひとつで?」
「いえふたつ」
目の前に、氷の入ったグラスがおかれる。きしり、といやに律儀な音をたてて、犇(ひしめ)く氷がほどけてゆく。
女として不幸なら、いっそ女を捨てればいい。
般若の顔に化粧を施さず、夜叉として揚々(ようよう)と生きればいい。
そう、あっけらかんと僕は思う。
外はこんなにも明るいのに、じわりと夕刻が迫っている。遠景の森は異様に黒々として、いっそう勢いを増す陽炎に、その容姿(すがた)をなぶられ続けている。
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