短編小説『泡沫(うたかた)の日々』コールドウォーター・ルール2

求道鞠

 

 わかる? 彼女は死なないのよ。夫の中で永久に。だって私よりひとまわりも若いんですもの。

 

 君は微笑んでいる。そのアルカイックにシールされた微笑みにはおそらく、熟年の怒りが含まれているのだろう。几帳面に膝に揃えられた指先が、わずかな震えを帯びている。嫉妬に狂った女の例にもれず、醜さをふりみださないように髪をシニョンに結い、朝露のような細(こま)やかなピアスをし、夜霧のように絶妙な風合いの布に身を包み、全身全霊で優雅を装っている。あわれをもよおす。

 もののあわれを。

 窓の外には、傾きかけた太陽の灼熱でアスファルトがゆだり、陽炎がたちのぼっている。それが遠景の皇居の森の鮮やかな緑を一瞬、ぐらりと、白昼夢のように揺らめかせている。外は気を失うような暑さだ。ここまで歩いてきたからよく理解(わか)る。

「わかるよ。君は彼女より先に死ぬ。夫の中で永久にね。あるいは」

 か細いシャンパングラスの中で、黄金(こがね)の泡がパチパチ弾ける。

「もう死んだかもしれない」

「そうね!」

 弾かれたように、まるで救われたような顔をして、君はあどけない声を立てて笑った。そして軽快な音を響かせながら、グラスとグラスの縁をかち合わせる。

 

 臨床の場で医師として接していない人間に、病のレッテルを貼ることはできない。精神医学界の倫理規範で、それを「ゴールドウォーター・ルール」と呼ぶ。

 

 そもそも僕に女の病理(サイコ)はわからない。そして夫婦には夫婦の論理(ロジック)があるだろう。だから僕に許されるのはあくまで、君の淡々とつむぎ、ひそやかに吐き捨てる言葉、押し殺された苛立ち、染みついた立ち居振る舞いが醸しだす、風景への陽炎のような反映(うつろい)——それを眺めることで生じる、至極ふたしかでそぞろな、一種の感興(センス)だけだ。憐憫はない。

 

 ああ。

 

 僕は君ではないし、君の不実な夫君(ぎみ)でもない。

 まして、君を観(み)る医師でもない。

 

 ただ今ここに、般若が清楚に化粧をし、ワンピースの裾を気にしながら座っている。

 それが観察者たる僕に、あわれをもよおす。

 

「おかわりは?」

 君は答えない。

 また、どこか冷めた遠い目をしている。そしてその顔はすっかり色をなくしている。先刻ほとんど無意識に乾(ほ)したグラスも、森を揺らめかせる熾烈な陽炎も、まったく見えてはいない。君の苦しげなうわの空を、僕はただただ、凝(じ)っとみつめる。

 

 誰と時を共にしても思うことだが、真実の共有は実はとてもむずかしい。

 

 不実な男にその実(じつ)を求めるのは、一部の女にとって、なにやらドーナツの穴を求めるように虚しく、甘美なことなのだろう。

 しかし僕から見れば、そもそも女という生き物は、肝心な場面で情熱の傾け方を致命的に見誤る。人生におけるうら若き日も、それゆえに注げる情熱も、せいぜいグラス数杯分の泡沫(うたかた)でしかないのに。

 

 酔狂だね。

 例えば目の前に、安心して溺れられる黄金(こがね)の水があるというのに、わざわざ週末のプールで、ひと知れず溺れるような真似をする。

 

「お冷やを」

「おひとつで?」

「いえふたつ」

 目の前に、氷の入ったグラスがおかれる。きしり、といやに律儀な音をたてて、犇(ひしめ)く氷がほどけてゆく。

 

 女として不幸なら、いっそ女を捨てればいい。

 般若の顔に化粧を施さず、夜叉として揚々(ようよう)と生きればいい。

 そう、あっけらかんと僕は思う。

 

 外はこんなにも明るいのに、じわりと夕刻が迫っている。遠景の森は異様に黒々として、いっそう勢いを増す陽炎に、その容姿(すがた)をなぶられ続けている。

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