矢野マミ
24. 虚飾の人
ここ数年、「拒食症」「元・拒食症」の人と同じ職場で働く機会が増えた。若いころにはなかったことだ。21世紀になってから「拒食症」の人が増えているのか、この仕事を志向する人に「拒食症」の人が多いのか、人手不足で職場もそういう持病のある人しか雇えなくなっているのか、理由はわからない。
感触として増えたな、と思う。
彼女たちには生真面目で、細身の身体を持つ、という共通点がある。頬骨の目立つ小さな顔、薄っぺらな身体、細く長い手足、くっきりとしたアキレス腱、などの身体的特徴を持つ。内面的には、一人一人と話をすると個性的な人物なのだが、共通した性格として「負けず嫌い」というのが根底に隠されているように思う。誰かに何か言われたら常にリベンジを考える。手出しのできない方法、医師に書かせた「診断書」を使うなどして自分の言い分を通す。
その際、他人の立場や都合は考えない。
食事は、普通に食べている人と食べない人がいた。結婚して子どもを一人か二人育てている人もいた。出産の前には長期にわたって仕事を休み、病院のベッドの上でずっと点滴をしていた、いつ、どのようにして出産したかわからない、という人もいた。職場で食事をしない人は、子どもの前でも食べないようだ。「ママは、どうしてご飯を食べないの?」と、子どもに聞かれて困ると話していた人もいた。
「ママは、どうしてご飯を食べないの?」
「ママは食べなくてもいいのよ」
まるで、「ポーの一族」のエドガーとアリス・リデルのような会話だ。
成長期を終えて、身体が成熟してしまうと、人は食べなくても良くなるのだろうか?
「不食」というのを実践している俳優さんもいたな。榎木孝明氏。彼は今どうしているのだろうか? 朝ドラ「らんまん」にも出演してご活躍されているようだ。「不食」はまだ続けているのだろうか。
彼の実践する「不食」と「拒食」は、どう違うのだろうか?
「拒食症」「元・拒食症」の人と一緒の職場で働いて私が感じたのは、彼らは「虚飾の人」だということだ。(これはあくまで私個人が感じたことで、一般化はできないだろうが。)
何かの欠落を、必要以上に他の何かで飾り立てる。それはいいとしよう。
しかし自らの欠落をもって刃とし、他人にそれを向けるのは、やめてほしい。私は毎食の食事を楽しみ、体重やお腹の周囲の脂肪の増減に一喜一憂する普通の精神の持ち主だ。命がけで身体の細さを強調し、「病」体験をアピールしつつ他人を攻撃するのは、もうやめてください。
25. MEG ザ・モンスター
この夏は、この映画が気になり、ネットの予告編(トレイラーというらしいですね)を何度も見た。
子どもの頃に流行った、「ジョーズ」もまだ見ていないのに、なぜだろう?
わたしはホラー映画が苦手だ。「八つ墓村」「金田一耕助シリーズ」「オーメン」「13日の金曜日」「未知との遭遇」や「2001年宇宙の旅」もダメだった。タイトルとTVの予告編で怖そう! と思ってしまったら見られない。最後の二つは、SF? 何となく予告が怖くて自分の中でホラー認定。
「ローズマリーの赤ちゃん」は、間違えて見てしまって気持ち悪くなった。
「未来世紀ブラジル」は大丈夫だった。曲がPOPだからだろうか。
「戦国自衛隊」や「大脱走」、戦争映画の爆発ものは大丈夫だ。「戦場のメリークリスマス」も大丈夫だった。ベトナム戦争ものは見ていない。「硫黄島からの手紙」栗林中将の話には感動して映画の原作本も読んだ。渡辺謙も、二宮和也も良かった。
恐怖漫画も嫌いだ。わたなべまさこ「聖ロザリンド」梅図かずお「洗礼」、「漂流教室」ダメだ。
「14歳」、培養肉から生まれてくるチキン・ジョージの話は雑誌連載の時に読んだ。もう大人になっていた。しかし「進撃の巨人」「約束のネバーランド」子どもの絵が可愛くてもダメだ。
「2001年宇宙の旅」は、2001年を過ぎてから見た。なんてことなくて眠くなった。
かの「スターウォーズ」の最終エピソードは、家族を誘って初日に観に行ったのに寝てしまった。すべての戦いが終わって宇宙に平和が訪れていた。
ジュラシック・パークは大丈夫だ。人が食べられるところだけ目を背けている。主役が死なないとわかっているモノは見られる。シリーズで見ている。「猿の惑星」シーザーがカッコ良かった。
読書はどうだろうか? 中学生の頃、エドガー・アラン・ポーの「黒猫」を読んで大層怖かった。星新一の短編集だったろうか、作者もタイトルもうろ覚えなのだが仮に「死なない男」としておこうか、死なない男が事故に巻き込まれて生き埋めになってしまい、土の中で永遠に生き続けている、というショート・ショートが短い話ではあったが怖かった。
土の中に埋められて、永遠に生きる。
その孤独と絶望を考えたら、死んでしまった方がマシではないだろうか?
なぜ、怖い話が怖いのだろうか? 世の中には「ホラー映画」を楽しんでいる層がたくさんいるのに、キティちゃんだって「貞子」とコラボしているのに。もう相当なオトナなのに、このジャンルは苦手だ。分析したら面白いかもしれない。
子どもの頃、眠る前の母のお話しのネタが幽霊話だったのが原因だろうか。「飴を買いに来る幽霊の話」が得意だったな。夏の夜の定番だった。
さて、MEGに戻る。ひと夏、この映画の予告編を何度も見て考えた。なぜ気になるのか?
そして気づいた。かつて出会った「めぐ」という女性が、モンスターのようだった、と。他の人には可愛い女の子に見えても、私にとっては醜悪なモンスターだった。
では、劇場に行こうか。MEGを退治しに!
26. 明日も耐えられる
これは父が残したメッセージだ。
昨日も耐えた
今日も耐えた
明日も耐えられる
明朝体で縦書きに3行、名刺に印刷してある。
父は印刷工だった。
若い頃は大きな企業で工員の一人として働き、家庭を持ってからは独立して、名刺とはがき専門の小さな活版印刷の会社を営んだ。
仕事は正確で仕上げも丁寧だったので何時ごろからか、ある地方銀行のすべての名刺を引き受け、ずっと続けていた。父の顧客は大学教授から、ヘビ柄の用紙を選んで氏名のみの印刷を所望する、その筋の方まで幅広かったと聞いている。
家では寡黙で、ほとんど家族とも会話がなかったが、ある一時期騒動に巻き込まれたとき、冒頭の名刺を自分で刷り、名刺入れに入れて朝晩眺めていた、と聞く。
活字を拾い、版を組み、印刷機にかけてインクを伸ばし、自分のために1枚だけ刷る。
昨日も耐えた
今日も耐えた
明日も耐えられる
どんな思いで父がその文章を選び、形にしたのか、直接聞いたことはないが、私にもその気持ちはわかる。だから、遺品として受け継いだ。どこにしまったかわからないが、心の中にしっかりと刻まれて、その文字の意図するところは消えない。
父はある朝、大きく一つ咳き込んで事切れた。母が救急車を呼んで病院に着いた時にはもう亡くなっていたという。私が対面したのは、病院の地下の霊安室だった。顔にお決まりの白い布がかけられてあり、まるで安物のTVドラマを見ているようだと思った。前日の昼には普段と同じように食事を共にしていたのだから。
父が亡くなるまで、その誇りを守り抜いた言葉を、あなたにも伝えたい。
「昨日も耐えた。今日も耐えた。明日も耐えられる。」
コメント