田高孝
池谷は、金メダル候補だった第○○オリンピック大会で、床運動で、途中ある下手な技をやった。それは、初級の麻布の体操部でもやるような技だった、
床で、数歩助走をつけて、前方宙返りする簡単な技だ。俺ら、弱小運動部では、十分難しい技だ。
フワッと浮くのがコツの初級業だ。あんな初級業をオリンピックやるのは、珍しいと思った。
そして、池谷は、オリンピックで金メダルを逃した。
ロシアの選手が優勝した。
この技は、ワザと、だった(のではないかと私には思われた。以下も、私のこの推測の上に成り立つ文章ではあるのだが)。
彼は、何に抗議し、何に不満だったのか、ワザとこの幼稚な技で、金メダルを期待する日本体操協会を、裏切ったのだ。
国民の期待も知ることながら。
その理由は知る由もない。
そしてのちに、いや、いつも、NHKに出ると明石家さんまの真似をして、ふざけていたのを知った。サンマは、池谷君が、「NHKに出られない僕のギャグネタを使って、笑わせてくれる」と言っていた。
池谷は、サンマの記号、両手を摺り寄せて、擦(こす)る真似をするのだ。
あの意味は難しいのだが、池谷は、粋だったのだ。
テレビカメラの前で、僚友の西川君と一緒に肩を組んで、現れ、サンマのその振りをする。
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池谷は、一番を意識的に落とした。
金メダルを日本に与えず、日本体操協会に復讐したのではないだろうか?
永遠の謎?死ぬまで語らない、真意?
もう、だれも、覚えていない小さな事件。
しかし、小さいころから、修練した体操を最後の瞬間に、簡単に、自分から捨てるって、どういう気持ちでいたのかね?
涙、出るよ。
3流の体操選手だった俺から、見て。
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◇以下に関係のある写真を提出します。昭和45年、だから、1970年で私は、高校一年で、キャプテンに選ばれた年でした。
開成高との定期戦で、平行棒を決めて、のちに、キャプテンに選ばれた。
ここにはその演技はないが、ほかの演技はある。跳び箱、跳馬とは言えないので、でも、賞状は、跳馬。
鉄棒での逆手車輪中の演技。
吊り輪での裏技、方倒立の演技。などあがある。開成との試合は、1970年の6月21日だったと思う。
あとは、11月の新人戦。麻布は、弱小運動部だった。
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