柴﨑政夫

エッセイ

私の舞踊史12

柴﨑政夫 大きな時代の流れに沿って常に変革改善を求められるのが、制作スタッフという憧れの職なのだが、現実はそう甘くはない。制作現場と基本的な作業の流れの違いを知っている人材は少ないでしょう。 実地訓練がないと意見さえ採り上げてくれない。有名...
エッセイ

私の舞踊史11

柴﨑政夫  大学の方はというと、理論物理専攻ながら、いつまでも安い授業料で居座る学生を追い出し、新入生には高めの設定をして受け入れるという経営案に従わざるを得なかった。  前年、教育実習を都内で希望したが、郷土の方がよいと断られ、演劇活動も...
柴﨑政夫

歴史的エッセイ「春また巡り来て、山河あり」

柴﨑政夫  現代は、あのスタ-リンとモロトフ外務相の時代を彷彿とさせます  ノ-メンクラ-ツと呼ばれた新興富裕層が出現した都市部に対し、農村部の貧困は深まりました。  その反省が自然とある映画にあふれ出てしまい、大人気を博しました。  5カ...
柴﨑政夫

私の舞踊史Ⅹ(10)

柴﨑政夫  たまたまだが、高専卒→テレビ局勤務から、大卒資格取得→大卒後NHKへ転職希望という人物と知り合った。(理系専門知識はOKで一般知識が鍵)  話をすると、制作側では、番組責任の判断は視聴率。継続企画かどうかは周囲の判断。  となる...
エッセイ

私の舞踊史Ⅸ

柴﨑政夫  当時、私の所属する所と劇団四季だけが創作子どもミュ-ジカルに意欲的に挑戦。互い違いに、夏休み番組として放映された。  その企画代表が私の師Tであり、イ-ゴリ・モイセエフ・バレエを手ほどきした人。 「パルチザン」は老若男女が心なら...
柴﨑政夫

私の舞踊史Ⅷ

柴﨑政夫  後になって気づいたことだが、半年ごとの養成所のカリキュラム計画と発表については、後になって、娘がロシア留学した際に出題されたものと極似する内容だった。  歌唱発表、抜粋場面の演技発表、肉体表現、論文発表。そして最後に総合作品とし...
柴﨑政夫

私の舞踊史Ⅶ

柴﨑政夫  俳優生活も新年度に入った。突然「柴﨑君、君の声は遠くまで通る。すぐに使えるよ。」と言われた。続けて「一つチャンス逃したけどね。」→「何のことですか。」→「いや終わったことだからいいんだ。」  これが我が師Tとの出会い。直木賞作家...
柴﨑政夫

私の舞踊史Ⅵ

柴﨑政夫  私が所属した俳優協同組合付属養成所では、様々な先生の指導を受けることができました。ここは日本を代表する声優達が有名。声の技法に関してトップレベル。だから売れる売れないに関係なく、その技法を学ぼうとしました。  特に、勝田久先生に...
柴﨑政夫

私の舞踊史Ⅴ

柴﨑政夫  不本意入学ながら、大学生活が始まった。学徒援護会で間借りを探した。ここの交差点対面側には警察の駐在所があって、ある漫画家が署員の個性や性格を拡大して書くこともあった。地下鉄を利用すれば早稲田から神楽坂・飯田橋まで一直線。  騒動...
柴﨑政夫

憂国の士、市ヶ谷事件についても読める「私の舞踊史Ⅳ」

柴﨑政夫  幸か不幸か父から書道の手ほどきは受けていた。  小学校5年生からは臨書に取りかかり、虞世南、欧陽詢らの書風にふれながら、千字文を習っていた。  これは強制だったため、弟妹はすぐに離脱。後々これがなぜか、学校掲示の看板書きに役立っ...