桝田武宗

批評・論考

【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(七)最終回―永遠の時間-

桝田武宗                    白梅に明くる夜ばかりとなりにけり  この句は、蕪村の時世の句三句の内の一つです。 この句の解釈に関して詩人の萩原朔太郎、文学博士の暉竣康隆、詩人の清水哲男等が夫々違う解釈をしています。例えば、...
批評・論考

【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(六)―作為の時間-

桝田武宗  月天心貧しき町を通りけり  先ず、「郷愁の詩人・与謝蕪村」を書いた萩原朔太郎の解釈を紹介しておきましょう。「月天心というのは、夜が更けているということである。人気のない深夜の街を一人足音高く通って行く。空には、中秋の月が冴えて氷...
批評・論考

【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(五) —経過という時間—

桝田武宗  四五人に月落ちかかる踊かな  この句は、秋の盆踊りを楽しんでいる情景を詠んだものだと解釈している人が多いと思います。しかしこの句は、そのように表面的な景を詠んだ句ではありません。  先ず、時間的な面から書きますと、キーワードは、...
批評・論考

【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(四)―不可逆という時間―

桝田武宗  前回まで「時間の認識」「自然主義」「モンタージュ」について書いて来ました。今回からの四回は、蕪村の句を例に挙げながら句に詠み込まれた時間の分析について書いて行きます。   秋の空きのふや鶴を放ちたる   凧(いかのぼり)きのふの...
批評・論考

【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(三)―俳句とモンタージュ―

桝田武宗  今や俳句と映画制作に於けるモンタージュ(編集)が大きく関わっているということは常識になっていますが、簡単に説明しておきます。  モンタージュ理論は、ソ連の映画監督・セルゲイ・エイゼンシュタインが提唱した映像編集理論です。エイゼン...
批評・論考

【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(二)—子規と自然主義—

桝田武宗  近代俳句の始祖である正岡子規は、「俳句は写生であり、実景・実物の静止している状態を捉えて十七文字の形態に固定するのが基本である」と定義しました。  子規が、「俳句革新運動」を開始した明治二十年代は、日本の西洋化・近代化が急速に推...
批評・論考

[特別寄稿] 蕪村の発句に於ける時間の考察(一)―江戸時代に於ける時間の認識―

桝田武宗  俳句は、大前提として季語を詠み込むことになっています。季語は、暦と深く関わっているものであり暦は時を表します。また俳句は、時の流れの瞬間を捉えて景を詠むというもう一つの前提があります。私が、ここで書く時(時間)とは、「内在的時間...