夢日記『それは極上の天気の日だった』

ゴーレム佐藤

 読み合わせは合同で行うことになった。場所はとある電鉄の終着駅から降りて徒歩で行ける小島だ。潮が引いてる間は砂州によって島まで陸続きになる。僕らは駅で待ち合わせた。初の顔合わせになる女優と同じ列車に乗った僕はホームのベンチで残りのメンバーを待つことにし、彼女とごく簡単に挨拶を交わした。

 潮の香りが満ちていて天気も上々。こんな気持ちのいい日だからきっと面白いことになるだろうと思い、一通り目を通すことに決め台本をリュックから取り出した。既成のものなのか誰かが書いたものなのか知らないがとにかくすごい量だ。両面印刷してるのに厚さはゆうに5センチはある。およそ1200頁。こりゃ読み合わせだけでも10時間はかかるな、などと思いつつ頁をめくる。内容を把握するだけでも大変だ。最初の自分の出番はおよそ300頁あたり。ふと彼女のほうを見ると彼女の台本は僕のそれより倍は厚い。サイコロみたいな台本だな、と思ったが、まてよ、みんな違う台本なのか?いったいどんな構成になっているんだろう。ああ、だから泊りがけだと言われたのか。とても一日じゃ済まないよなあ、などとぼんやり考えながら空を見やった。抜けるような青い空。きれいな空は暗い青だ。

 約束の時間をだいぶ過ぎているけどまだ他のメンバーは来ない。ひょっとしてもう先に行ってるんじゃない?と彼女に言い、待つこともないだろう、行こうと促した。台本をリュックにしまい二人で歩き出した。砂州まで来るともう島に近いところに10人程歩いている人影が見える。ああ、違う列車で来たのか、ちょうど良かった。僕らも先行する人影を追って早足で砂州を渡り始めた。

 そこからどこでどうしたのか憶えていないが、僕は彼女ともはぐれてしまい、何か奇怪な岩穴の中を一人で進んでいた。もうすっかり迷ってしまった僕は少しあせり始めたが何やら声が聞こえる。必死で声が聞こえる方へと平坦でない洞窟の中をよじ登ったり飛び降りたりして進みながら耳を澄ます。ふいに視界が開け、洞窟の中にそう、500人はいるだろうか、スタッフと思しき人々が駆けずり回っている。なんか違うところへ来てしまったようだ。見つかったらいけないような気がして洞窟の狭い隙間に身を潜めて様子をうかがうことにした。

 これは舞台裏だ。そう確信した。岩の隙間が出入り口だ。その向う、最初は眩しくてよく見えなかったがあきらかにそのむこうは観客席。このわずかな隙間からでもおそらく万単位でいることがわかる。さっきから出たり入ったりしている役者も、少なくとも1000人はいるようだ。僕らの台本も何人出るかわからないくらい長大だが、それをはるかに凌ぐ規模であることは容易にわかる。芝居はすでにラストシーンらしく、どよめく観客席とよりいっそう激しく動き回る舞台裏とが人いきれの渦になって、僕がいるこの岩の隙間にも押し寄せてくる。息苦しさと興奮が伝わってくる。突如ぷつっと緊張の糸が切れた。終わったらしい。僕も岩の隙間から這い出て、戻ってくる大量の役者の群れに逆らって客席に方へ向かった。客席と舞台は四方が岩で囲まれた天然のホールのようなところで、もちろん天井は空なのだがはるか遠い。口々に感想や意見を言い合いながら帰路に向かう観客に混じり僕も脱出することにした。いや、すごいものを観た、そんな言葉があちこちから聞こえる。もの凄い人数だ。ここを抜ける道は細く、一列になって歩かないとならない。この島から出るだけで、半日はかかるんじゃないかと、少しあせってきた。読み合わせはもうとっくに始まってるに違いない。人の芝居なんかに巻き込まれてる場合じゃない。天井桟敷の人々のラストシーンのバチストになったような気分で人ごみを掻き分け、そう、なんか自分も劇的な存在として盛り上がりながら出口へと向かった。

 突如開ける視界、太陽が眩しすぎて人でも殺したくなるような気分…にはならなかったが延々と続く人の列の向うにもうひとつ小島が見える。いったいどこをどう間違えたらここへ来るのかわからない、明らかにこの島とあちらの小島とは繋がっていないのだ。この人の列を掻き分けていったん陸まで戻っていたら本当に半日以上かかると判断した僕は泳いで渡ることにした。幸い人の波に揉まれている間にリュックもどこかへいってしまった。台本をなくしてしまったが、まあいいだろう。いいわけないのだが、何故かそんな気分になり、思い切ってはるか眼下の海へむけ飛び込んだ。

 海は恐ろしいほど静かで、泳ぎの不得手な僕も安心して渡れる状態だった。それでも一時間は頑張っただろうか。やっとの思いで対岸に着いたときはくたくただった。崖をよじ登りそれらしきところを探しながら今日の読み合わせのことを考えていた。太陽は沈むことなどあり得ないといった感じで今が何時なのかちっともわからない。まだ300頁目に初めて登場する僕のところまで読み合わせが済んでるとは思えない反面、もうすでに何日も経っているような気もする。鏡面のような水面が不安を煽る。

 何かと突然が多いが、また突然人の群れを発見した。というより僕が穴から這い出たら今日の(今日なのか?)合同読み合わせのメンバーが車座になっているど真ん中だった。刺すような視線に囲まれたのは遅れてきた僕への非難ではなくテンション高い読み合わせなのだと思い込むことにした。

 一時間ほどどこを読み合わせているのか調べていたが、出番はまだまだだとほっとして急に気が抜けた僕は、50人程いる役者陣から抜け出して息を入れにまた太陽のぎらつく外へでた。と、外にも出番を待つのか100人程の仲間たちがいてそれぞれ思い思いのことをしていた。一人、イカ釣りをしている(間違いなくイカだ)彼女に目が留まった。同じ列車に乗っていた娘だ。気楽に近づいていったのだが、ただごとではない雰囲気を醸し出している。釣り糸を持った二本の指が緊張のあまり小刻みに震えている。見ると全身が硬直したかのようで視線は一点を凝視したまま瞬きもしない。ふと周りを見渡すと他の仲間たちも一見呑気な様でみな硬直している。緩いのは僕だけだった。身の置き所がなくなって視線を上げると先ほどの島から陸に向かって歩く人々の群れがまだまだ延々と列をなしていた。潮はいつの間にかすっかり満ちて砂州も無くなり歩く人々は半ば溺れていた。遠く聞こえる悲鳴と怒号。海は波立たず静かに目に見える速度で水位が上がっている。押されて前を歩く人々は次々に水面に消えていく。バカンス気分でそれを眺める僕。感情を持つことを許されないような周りの緊張感。ふと読み合わせとは言いながら誰も声を発していないことに気がついた。そうだ、車座のど真ん中に出たときから誰の声も聞いていない。いったいどうやってどこを読み合わせていたのか確認したのだろう。だいたい台本は無くしたではないか。

 ぼんやりとだんだん愚鈍になる思考の中、潮はすでに僕の首まで満ちていた。

(夢日記)
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