舞台覚え書き『ストーリーを消滅させた身体の強度』

山家誠一

 

 以下は会場でのアンケートとして書いたものです。

 

山家誠一 2023-4-7

 DA・Mの公演を見るのは久し振りだった。「襲撃・Red carpet」(2023.3.26. 東京・高田馬場 プロト・シアター)はキューバの反体制作家レイナルド・アレナスの小説の舞台化で、小説の言葉を断片化、再構成して語っているようなのだが、ところが、舞台空間でのパフォーマーの身体所作の確かさと緊迫感によって、発話された言葉の意味性が観客である筆者の中で消えていることに気が付いた。当日配布されていたチラシに、「今、ここ、にある等身大の身体から」という言葉が書かれてあったが、意味やストーリー、思想を語りながら、それを無化(無意味化)していく試みの方法の一つがここにあるような気がした。水の入ったペットボトルがいくつも吊るされ、また、壁には言葉が書き記され、赤いカーペットが敷かれる。どれもこれも意味ありげでもあるのだが、パフォーマーの身体所作のいわば強度が、観客の中の意味の認識を消していくのだ。名優が舞台で作るのは意味(ストーリー)ではなく、「空気感」だと思われるのはこういう事ではないのか(身体が「意味の認識」を排除する)と思った。(ライター)

 

 筆者注:DA・Mは1986年大橋宏氏らによって創設された。筆者は前衛アバンギャルド身体表現集団として、かなり以前から、時々見ていたのだが、大橋氏の逝去とコロナ禍で今後の活動が気になっていた。大橋氏と共に活動してきた中島彰宏氏を中心に活動を継続するようだ。

【企画・制作】DA・M公式サイト