怪奇心理小説『西ヶ原クロス・ロード』

田高孝

 

 お前が、自分で投げたものを捕らえている間は、すべては、手慣れた技量に尽き、うるところは、乏しい! 

 お前が、思いもかけず、永遠の競技相手、運命の女神が、かつてお前に、お前めがけて、まさに、熟練の弾みをつけ、神が作り上げた大きな橋のあのアーチの一つの形をとって、投げてよこしたボールの受け手になるときに初めて、その時にこそ、初めて、捕球の技が、一つの能力になる! 

 お前の能力ではなく、一つの世界の能力に。    R・M・リルケ 

 


 

 そいつは、朝から、交差点で仕事をしていた。大きな男で、小柄な老人を捕まえて、痛ぶろうとしていた。私は、怖かったが、周りを気にしながら老人の胸倉をつかんでいるやくざ者が、憎かった。一旦、交差点を渡って、コンビニに入ったが、すぐ出てきた。

 まだ、向こう側で、老人を捕まえていた。 

 

 たまたま私は、その日、バックを持っていた。少し重めの。そうこうしているうちに、向こうが、私に気が付いた。私は、いつの間にか、立ち尽くして反対側を見ていた。立ち止まって。そして、にらめっこが始まった。私は、この信号機が、スクランブルであることを知っていた。長い時間向こう側とこちら側が、向き合っていられることを知っていた。

 

 しかも、バックが重いので、しっかり立っていられた。一回信号が変わった。もう一回、信号が変わった。私は、後ろの老人が、早く、逃げればいいのに、と思いながら見ていた。やくざの大男の目を。来るなら来い。腹から、当たってやる。そう思っていた。

 

 二度目の信号が変わったところで、私は、自分の方の道を進んだ。正面は、くぎ付けにした。ゆっくり、ゆっくり歩んで、道路を渡って行った。途中向きを戻しては、また見た。奴は動かずに、こっちを見ていた。渡り切ったところで、また振り返った。まだ、奴は、こっちを見ていた。

 こうして、5回ほど遠ざかりながら、奴を見続けた。中年の大きな男だ

った。 

 彼は、金縛りにあっていた。 

 こうして、やくざは、企画に失敗した。アーメン。 

 時に、月曜日。交差点の出来事。

 

 やくざは、計画を失敗すると、葬られる。彼は、急いで、反撃を考えた。 

 私は、金曜日には、いつものクリニックへ行くのだが、その帰りに、奴の手下、伝令というにふさわしいやつを送ってきた。 

 

 クリニックの帰り道、西中里公園のそばで、伝令とすれ違った。伝令は思ったに、違いない。 

「兄貴、兄貴が、相手するほどの奴じゃあ、ありませんよ。」「うちの者にやらせますよ。」 

 

 こうして、そのやくざは、伝令に任せた。やくざは、必ず、予備調査をするものだ。こいつは、伝令を持つほどの身分の高いやつだった。

 さて、さらに、一週間後。 

 

 その伝令の手の内の者が、やって来るのだった。私は、その日はマイ・ナンバーを、作って大塚から、帰ってきてから、デンタル・クリニックへ行った。その帰り道、奴は襲ってきた。コンビニで、おかしな奴がいるな、と思っていたが、コンビニを出て、普段と違う道へ行ってしまった。そこは、くねくねした道だった。奴は、私をぴったりマークして来た。「急げば、向こうも急ぐ、ゆっくりすれば、向こうもゆっくりする」で、ぴったりと、私をマークしてきた。私は怖くて、振り返れずに、急いだ。向こうの足も、早まる気がした。もうだめと思った時、前から庭師の職人さんたちがやってきて、私をすり抜けていった。私は、怖くて、振り返れず、前にいた車いすの人の前で、立ち止まった。いくら怖くても、車いすの人を優先させた。車いすの人は、ゆっくり前を行った。私は、なお怖く、道の先に交番があるのを知っていたので、そちらへ行こうとした。そこで、立ち止まった。振り返った時、何もなかった。

 

 それから、十一日経った日の夜。私は、またも恐怖した。もう寝ようとして居たら、外で、おぞましい怒鳴り声が起こった。まるで、もんどりうって、私の家に押し入ろうとするような、どなり声が立て続けに起こった。私は、意識をふるい起して、寝床からやっとの思いで、這い出して、玄関のカギを閉めた。私は、音を聞いたのか、音を見たのか、分からなかった。

 

 こうして、クロス・ロードの戦いは終わった。 

 

 怖い二十二日間だった。 

 

しかし、これには、伏線がある。それが、この戦いの基礎になっている。

 

 

 私は、ある場所で、女性を襲ったことがある。キスしたのさ。無理やり、両の手を取って。いつ?24の時。雨の中の、土砂降りの中の凶行だった。

 

「おお、アルジュナ、汝の義務を成せ!」 

 

 その子の両手を取って、ロンドの様に、踊るように、廻り合って、彼女の力が抜けたところで、一気に、壁に押し付けて、キスしたのだ。

 

 彼女は、崩れ落ちた。キスをされて。壁に背をつけながら。私は、逃げ去った。やっている途中から犯罪と、解かっていた。しかし、やり切った。さぞ、背中を痛めただろうな。そして、逃げる様を彼女に見られた気がした。瞬間の恨みの念力のようなもの。視線が、一直線に、私の背中に伸びてきて、私をとらえた。「この犯人を覚えておいてやる」というような視線。そんな感じかな?

 

 さて、黒い話はおしまい。 

 要するに、私は、人を殺(あや)めた(ことがある)。(涙) 

 

 再び、リルケ。 

「私は、幸福に、この世を終えられそうにない。」 

 

 これが、やくざとの共通点——交差点の相手との。あの大男は、強姦専門のやくざであろう。かれらは、3人でやるような気がする(計画的なやくざの犯罪は、強姦が一人では無理なことを、よく知っているからだ)。

 

 つまり、この物語、クロス・ロードは、その強姦に似た掛け金、私の行ったキス事件の掛け金があって初めて成立するフィフティ・フィフティー50%・50%の試合だったのだ。

 

 やくざを倒すには、やくざと同じことをしていなければ、ならない。 

変な法則だ。人間には、そういう時もあるのさ。 

 1年間、暇にして、本だけ読むような、蟄居をすると生じると言ってお

く。

 6畳一間のアパートの一室で、ジュータンの上で、瞑想していると、自然に自分の人生が、見える場合があるのだろう?その頃の犯行だった。

 

 かつて、高校1年の時、強姦の叫び声を聞いて、何もできずにいた自分を思い出す。それへの復讐を思いついたのだろう。思えば、聞き過ごしたのだ。叫び声を。怖かったのだ。初めて、直面した現実が。「キャッ〜、誰か、助けて〜」が。3度聞こえたその声が。 

 

 それは、体操部の海成高校との対抗戦六月二十一日の前。いつかは忘れたが、夜、10時だったか、女性の叫び声が上がった。私は、木曜日は、那智チャコ・パックを聞くので、翌日の金曜日は、早寝をする。多分、10時ころだ。

 布団に入っていた。そこへ、突然、女性の声。 

「誰か、助けて!」大きな声で、うちのマンションの前の細い暗い道から、叫び声が起こったのだ。私は、「怖い!」と思って緊張した。布団の中にいた。

再び、「誰か助けて!」と聞こえた。大きな声だった。これは、現実だ、と心の中で、唱えた。しかし、怖くて、動けない。本当に、現実かと思い、もう一つ待った。果たして、また、叫び声が聞こえた。私は、終わってくれ。と思って、布団の中で、チジミこもった。シーンとした。私は、何も考えずに、寝た。

 

 その翌日。私は、いけないことをした。 

 それは、前の日のあった、叫び声が、強姦と知って、私は、オナニーをした。  

私は、発射した。 

 わたしは、胸が、ヒックリかえった気がした。(神秘主義?) 

 

 そして、何か、世界が、壊れた。私は、荒れた。さらに、翌日、今度は、本棚に、マジックインクで、線を引いた。そして、妹に怒られた。

 

  That’s all  right , mama .That’s all right , with you. 

 

 さて、私が、襲った女の子のその後を扱う。 

 その子のことを、アン(An)としよう。その子とは、4年後の、巣鴨駅のある場所で、再会した。

 風俗店で再会した。その店は、ファッション・マッサージ「アルファ」と言う実験店だった。ファッション・マッサージ出身の彼女という訳でない。私は、その店は、開店初日から知っていた。その店の思い出は、深く、いろいろ学んだのだが、まあ、その話は、又、にしよう。

 

 そのアンは、いきなり目と目があったときから、お互いを認知していた、と思う。あの時の人だと、お互いに一発で、解かり合ったと言っていい。目と目があった日は、彼女は、カウンターに座っていたのだが、わたしは、指名せずにいた。店での名も、実際の名も知らないのだ。

 

 私は、別の子を指名した。そして、その子から情報は聞きだした。 

「朋美さんね。」と言った。それが、その店での彼女の名前だった。

 

 翌日、私は、一回一万円は高いが、また行き、その朋美さんを指名した。 

 個室へ、入る。彼女が来る。わたしは、話を切り出す。 

 

「どこ出身?」 

「どこだと思う?」 

「う〜ん。」 

「福知山。」 

 

 驚いたように、黙る。 

「どこ、出身だい?」 

 観念していった。 

「京都。」 

 

 福知山は、京都から始発が出ていける場所だった。 

(こいつ勘いいな。) 

 

 名刺を渡す。 

「僕の店で会おう。」「来てね。」 

 かくて、アンとの短い付き合いは始まった。 

 彼女とは、話は弾んだ。 

「お前、処女か?」の僕の質問に、こいつバッカか? と、言わんばかりに、頭を振った。楽しい子だった。 

 

——あんなことしておいて、お前、処女か?は、ないだろ、て、いう感じだったな。

 果たして、彼女は、来た。私の店に。 

 姉さんの子を連れて。 

 私を見るなり、こんなところで働いているなんて、なんて、図々しい男なのだろうという顔をしていた。 

 

 私は、母に許可をもらって、喫茶店へ行った。 

 母は、後でこう言った。 

「なんだ、威! 普通の女の子じゃないの!」と言った。 

——普通じゃあ、遺憾かな? 

 

 それから、少しして、私は、彼女を、勤務終了後に、待ち構えて、襲った。彼女が、店から出てきて、帰り道で、電信柱に寄りかかって、タバコを吹かしながら、私は、待っていた。彼女は、気づいた。

——。ああ、やっぱり、こんなことする奴なのだ。待ち伏せしていきなり会う。やっぱり。

 

「送ってゆくよ。」「どこ?」 

「亀戸」 

「タクシーに、しない?」 

「うん。」 

 

 タクシーの中。 

 当時、エイズが流行っていたのだが。 

 彼女は、上半身に発疹をしていた。 

「どうしたのだい?」 

「うん、別に?」最初は、答える気もなかったのだろう。 

 

 だが、突然、「エイジだよ。」と言って、私に、乗っかって来た。タクシーの後部座席の中で。 

(エイジとは、エイズのことだろう。)(多少、ろれつが、廻らない。)(それは、そうだ。暴行を受けていたのだから、少し障害は、残っていた、と言うべきだった。)

 

 かくして、楽しい女は始まった。すると、タクシーの運ちゃんが、「面白い夫婦ですね。」と思わず、言い出した。

 

 ここまではよかった。しかし、すぐ破局は、来た。 

 私は、そのあとに、朋美の帰った時間に行き、別の子に、サービスしてもらった。

 私は、なぜか、朋美には、あまり、サービスしてもらう気はなかった。

向こうも、結婚を考えていたのは、解かっていた。

 最初にあったとき、喫茶店へ行った時、彼女は、こういった。 

「お母さん、若いわね。」と。 

 解かるでしょ? 

 彼女が、結婚を考えていたことが。アーメン。 

 そして、翌日。彼女の帰ったあとを狙って行った翌日。 

 店へ電話があった。 

 いきなり、「私が、帰った後で、来たでしょ!」 

「ガッチャン〜」

 以上だった。 

 

 アーメン。 

 :このドラマのカギを握っているのは、勿論、暴力に過ぎない、私のキス狙い事件だが、これを、解析すると、とんでもなく、難しい理論へ行く。

 こうだ。 

「原因作れば、結果だけできる。」 

「それは、新しい経済学だ。」 

 

 こういう会話からしか、解けない理論へ行く。 

 この会話は、ある心優しく、親切な、理論家肌のサラリーマンのおじさんとの話し合いだった。或る駒込の酒場「春」でのこと。

 

 いつか、この理論についての経験は、言います。 

 それは、ある行為に基づく。電車の中で、一方的にしゃべった事があるのだ。周りの人に向かって、一人で、ハプニングした(=しゃべった)ことがあるのだ。

 

 まるで、大江健三郎の「性的人間」の主人公のように、レイン・コートを着て、一人、電車に乗り込み、こっそり、オナニーをするという秘密の感覚に、似たハプニングの快楽。この力が、のちのアンの暴行事件=キスした事件につながる。

 

 今は、意(思い)の分量が、3人分あったから、出来たと言っておく。電車の中で、しゃべるのと、アンにキスするときの押さえつける力は、同じ分量の意の力だと言っておく。

 3人分の決意だ。意の分量が。これが解析です。そして、その力の大きさは、軍人の「客観暴力」というしかない。「主観を踏みつける客観暴力」。イーグルの暴力である。かつて、客観という言葉で、抑圧された議論に弱い男の復讐劇。客観暴力とでも。

 今日はここまでかな? 

 凝れば、途中の関門を尋ねられる。だが、今は、その力が、ない。 

 伝わったかな? 

 その電車での行為から、4年後が、犯行の時。 

 ワープでもしたと言えばいいか? 

 

 イギリスのケンブリッジに、ルネ・トムという数学者がいるが、彼のカタストローフの理論のように、ワープしたのか? 2つの時空が出会う方程式。2つの時空をつなぐ真空の地帯の地図。その2つの時空、時間をつなぐ第3の力の法則式。それが、ここに要求される次元だ。

 

 実現まで、4年かかっている。 

 その間に、何が、あるか? 

 その間の関門は、まだ、私自身も、整理つかないでいる。 

 今は。 

 

 さて、以上と言いたいところだが、さて、もう少し、説明しなければ、ならないだろう。 

 私が、電車の中でしたこと、山手線でしたことについて。だが、その前に、もう一つの世界を語らねばならないだろう。ここからの話は、私の大学時代の話へと飛ぶ。

 

 

吉川さん.那須大学メモリー 

 

 その子とは、深夜、良く、電話で話をしては、歌を歌い合ってもいた。 

 彼女の父は、映画会社東邦の専務だと、言っていた。 

 多分、本当だろう。 

 今や、商社と化して、時代に乗り遅れずに、チェンジ・シフトできた珍しい会社と言っていいか? 

 

 彼女は、いつも、私と会うと、初めて会ったように、見上げながら、「アッ、与田君。」という癖があった。私は、そのことに気づかないでいた。

 

 ただ、彼女は、他の女子からは、疎まれていた。同級生に、だ。 

 さぞ、私だけが、付き合っていて、他の子たちは、困っていた? 或いは、厄介払い出来て、良かった? 一度、同級のほかの女の子に、聞いて、見たいね。あの頃のことを。

 

 あのクラスは、私が、作った。そう言って過言ではない。 

 それについて、話そうと思う。そこから、始めよう。 

 

 私は、那須大学の始業式の後、クラスに入るや否や、一年C組というのだが、池田クラスというのだが、早速、こう工作を開始した。まずは、クラスの親睦を兼ねて、飲み会、合コンをやろうと提案した。そして、幹事が集った。その中に、安田一寛という新潟出身の奴がいた。のちに、彼とは、色々付き合うが、彼は、まず、名簿を作った。そして、僕は、高校時代に付き合った芸術次元の番頭、森上さんに教わった中目黒の線路の地下の店、「大浪」という店を、提供した。そこは、那須大学のお嬢さんたちが来るような店でなかった。

 だから、いい思い出になっただろう、と考えている。今は。 

 

 さて、この会には、ある仕掛けがあった。それは、この話を最初に持ち出した、始業式後のクラスの最初の集まりでの、私の提案を、池田先生が、一言、「ぜひ、行ってください」と言ったので、クラス中のオンナの子たちが、先生も来ると思って、全員参加してくれたことだ。

だから、きれいどころ、三十八人クラスの中の半分以上の女子が来た。 

さて、大衆酒場だ。電車の下の。地下の酒場。おめかししてきた女子と、どや街のような酒場の組み合わせ。一生の思い出になったね。

会は、始まった。小一時間して、自己紹介が一周して、落ち着いたころ。私は、突然、この会の女性全員に、アタックしようとし始めた。席を立って、次から次へと、女子へアタックした。この時、私の脳裏には、計画があった。いったん最後まで、回ってから、最初に一番美人だと思った、水田さんの席に、落ち着こうと言う計画を思っていた。

果たして、私は、一番、最後の村上さんへ、たどり着いてから、ゴーバックした。一人一人、名前をうかがって、簡単な自己紹介をし合って、突き進んだ。いささか疲れたかも。引き返して、水田さんへ。しかし、この行為がいけなかった。この中で、一番美人は君だと言わんばかりの僕の行為は、ある奴に、行動を起こさせた。彼は、村矢君と言い、背の高い体格のいい美男子だった。彼は、私に、しょう油の入ったコーラを飲ませた。それを知らずに、飲んだ。私は、思わず、トイレへ行って、吐いた。帰ってきて、今度は、ソースの入ったコーラを飲んだ。又も、トイレへ行った。こうして、クラス中が、笑った。村矢君と私の共演は、全員を沸かせた。かならずしも、全員ではないが。それは、また。

私のトリックスターは、さく裂した。会は、まあ、うまくいったと考えよう。 

こうして、1年C組は、生成した。 

勿論、これを、吉川さんも、見ていた。 

そう、私が、狙った姫様、水田さんは、このドラマで、二度ほど、軽く私を馬鹿にするように、プッと噴き出した。醤油コーラを飲んだ時。ソースコーラを飲んだ時。(正しい反応だった。)こんな馬鹿げた権力の愛、誰が受けるの?

「ここにいる女は、全部、俺のもの。その中で、君が一番美しいよ。」などという。バカな権力的ドラマ! 

私としては、何か、幹事として、何か、やろうと思っていただけだが。 

試合開始、早々のハプニング。先頭バッター・ホームラン? 

私は、恥ずかしくて、後に水田さんには、あまり会っていないのだが。ただ、彼女とは、卒業の間直かの日に、田町のホームで会った。私は、彼女を、見ていた。彼女は、丁寧に頭を下げて、あいさつして去っていった。

「走る汽車、叫ぶ声、あの人が、見えなくなった。」(甲斐バンド) 

さて、本題。 

ここの主役は、吉川さん。彼女へのオマージュ。彼女は、人を殺したことがあったのだ。それも、実の母を。 

どういうこと? 

それは、おそらくは、中学の2年ぐらいの頃。学校の帰りである。いつものように帰って来たのだろう。彼女には、お姉さんが二人いるのだが。

そう、私にあったとき、最初に、「うちは大家族なの。」と言っていた。 

彼女は、家に帰るなり、母の間男との情事を目撃してしまったのだ。 

とっさに、勝気な涼子は、台所へ駆け込み、包丁を握って、母の部屋、寝室へ入って、驚く母を、刺した。有無を言わせずに。 

返り血を浴びた涼子は、両手で持って刺した包丁を落とし、壁に寄りかかり、崩れ落ちたのだろうな。 

家へ引き込んだ間男は、驚いて、取るものも取り敢えず、逃げ去った。 

どのくらいの時間がたったか、吉川家の秘書がやって来たのだろう。先代もいる名家だろうが、秘書は、すぐ事情を飲みこんだのだろう。吉川さんの父に連絡を取り、そののち、先代にも連絡を取ったのだろう。 

急いで、駆け付けた父親は、自分の女房の寝室の惨状を知った。泣きじゃくる涼子。父は、先代へ連絡を取り、判断を仰いだ。先代は、ある決意をしていた。孫娘の勇敢な行為に、その持つ意味に、共感しつつも、事の重大さを知る行動をとった。

涼子の記憶を消すことにした。それは、満国医科大にあった不安処分と言われる処置を知っている先代の発案であっただろう。 

頭脳手術というもの。 

私は、この手術を知っていた。それは、まだ、私が、左翼闘争をしていた頃の事。マスコミとも、ミニコミともつかぬ、ミディコミと言った雑誌。ブロンド社の雑誌、ジ・インナー・マガジン・20(ツエンティ)での座談会に参加して、この措置について研究した経緯があったから。 

先代は、孫娘の頭に、鍼灸師の長い針を入れてやるこの手術を知っていたのだろう。裏医者。石山県にも、あるのだろう。そこへ運び込んだ。

孫娘が記憶を取り戻し、騒ぎ立てる、或いは、自殺する、やも、知れぬ大事件に、先代は決断し、父は、従った。 

涼子は、石山県にあるどこかの秘密病院で、手術を受けたのだろう。 

さて、ここからが大変。 

このことを、家族中に知らせないことが決まった。彼女のお姉さんたちにも伝えない。 

涼子は、しばらく静養をしたと思う。 

そして、吉川家は、おそらくは、金城市に家を持つのだろうが、涼子だけは、中松女子高へ通う事になった。 

彼女は、優秀な子で、那須大の文学部が、二科目で受験できるのだが、3教科勉強している子だった。それは、後に、何の偶然か、私と同じ、国史科へ専攻して、ある研究をしたのでわかる。彼女の卒業論文は、「源氏物語の歴史的考察」と言うものだった。

彼女は、古文も出来るのだ。源氏物語を研究するとき、現代語訳で読むわけがない。ちゃんと、古文で読めるのだ。さっき、言ったように、慶應の文学部は、英語と社会科一つでは入れる。それはそれで、難しいのだが。京子は、英語と社会科以外にも、古文、現代国語も勉強していたのだろうな。どこの文学部でもはいれるように、古文も勉強していたのだ。優秀な子だった。頭に小さな穴が、空いている事は、知りえないだろうが。(少し、話がオカルトっぽいが。)

さて、私は、このことを知らないで、大学4年間、付き合った。良い人だった。私が、恋人のトラブルで、困ったときも助けて貰った。

私が、恋人を取られたとき、救いようもなく、彼女にも見放されたときの事を言うと、「わたしだったら、そんなことしない」と言ってくる人だった。

私は、救われた思い出が、ある。 

だから、彼女はいつも、私の話を真剣に、聞いてくれる人と思っていた。 

所が、ある日。 

大学を卒業し、働きに出て、20年以上も経って、あるサラリーマンにこう言った。

吉川さんという彼女がいて、その人、自分が話をしていないとき、自分を見せていると言ってみた。西洋の若い男の子が、良く見せると透明な目をして、自分を見せているあの目である。

そうしたら、そのサラリーマンの人は、叫ぶように、「その人、人の話を聞いていない、のじゃない!」と言い放った。 

私は、愕然とした。エッ、彼女、私の話、聞いてくれてないの? 

また、ある時は、深夜遅く電話をかけて、「これから、君の家へ行くよ」と言ったりして、彼女は、「駄目よ、与田君、来ちゃダメよ」と真剣に会話していた。

そして、ビートルズの歌を、電話口で、合唱した。4.5曲知っていたね、彼女は。

また、許嫁がいて、その彼から月一で、テープが来て、「ロックを知ることに、なっているの」、と言っていた。ディープ・パープルなどを知っていたし、ミック・ジャガーの事を、「ミック」と言って、近しく発音していた。

私は、不実にも、恋人がいた。しかし、この涼子ちゃんとは付き合った。のちに、村上さんに、言われた。「涼子は連れて歩きたい女の子。」と。村上は、あの最初のパーティで、引き返す最後の人だったと言う由縁もあるか?

村上は、教えてくれた。中学時代、乱交パーティをしていたことを。 

少し、飛んだ。 

かくして、ミステリーな付き合いは、続いた。そして、卒業間近に、私は言ってはいけないことを言った。「もっと、那須大に居て、遊び、てえ.」と。これで、彼女と切れた。私は、そののち、修行に時間を割くのだが、それを遊びと言ってしまった。 

そして、逆襲。 

最後に、合コンがあった。また、座敷で。大浪では、ないが。 

そこで、私を慕ってくれた広島の木野が、私のやったハプニング、にヒントを得たのか、皆の前で、突然、歌を歌いますと言い出して、歌い始めた。そして、「涼子さんの隣に座ります」と言った。私は、ギャフンした。思えば私のハプニングは、傍若無人の振舞か?決して、すべての人を幸せにする原理ではなかった。

私の大浪でのハレンチなハプニングどころか、自分と同じ事をやられると、実に嫌なものだった。 

源氏物語に、柏木の巻という下りがある。要するに、衝動で光源氏の彼女を取る下級の男の話だが、これがあだに見えた。私は、衝動的にナンパすることがあった。

これを、自慢していた。しかし、自分の彼女に他の人が、アタックすることを経験しなかった。これが、経験された。 

しかし、この効果で、涼子は、少し、木野と付き合った。後で、木野にあった時、彼は、こういった。「涼子ちゃんは与田君が、しつこいと言っていたよと」。

何分不備な、私の青春の真実ではあった。どの話も。 

さて、涼子ちゃん。不安処分を受けた人。私は、その手術を知っていた。アーメン。 

さて、少し、軽めにして終わろう。 

最初のシーンへ戻る。 

私の大浪でのハレンチな酒場盛り立て行為に、惹かれた女の子もいた。それは、森下さんという子。森下珈琲のお嬢さん。 

彼女は、学級委員長タイプの、取りまとめ役の責任感の強い人だった。私に惚れてしまったようだ。詳しくは良いよね。 

彼女は、最初、涼子の皆への反応を、いかがわしいものと考えた。 

ここは、私の推理なのだが、私のハプニングを見て、涼子は、失われた記憶の発見の旅を開始した。つまり、母殺しの真実への旅を。まあ、ミステリー。彼女は、クラスのどの女の子に対しても、同じ話をしたのだ。そして、これに、森下が、気が付いた。みんなを取りまとめるタイプの森下は、ある作戦を思いついた。彼女を、姫と呼ぶことにした。

こうして、どの子も、彼女を、姫と呼ぶようになった。 

つまり、涼子は孤立した。そして、たった一人、友人の杉山さんといつも、一緒だった。 

私は、涼子ちゃんをよく誘って喫茶店へ行った。 

日吉にいたときは、パレパレとかいう喫茶店に行った。ポレポレかもしれない。 

ある日雨の音が、外で急にした。涼子ちゃんは、「お洗濯ものを畳まなきゃ」と言い出した。 

そして、お洗濯の話になった。 

彼女は,言った。 

私、洗濯し始めると、ずっとしていると。 

すぐ、フロイトの洗浄強迫を思い出した。 

何か、罪があるのだと思った。しかし、さして、重要視はしなかった。今思えば、無意識の罪滅ぼしだったのだ。アーメン。 

私は、涼子ちゃんと本の話もした。彼女の唯一の本は、横溝正史だった。これも、今思えば、すごいヒントだった。 

軽く森下さんの話で、まとめようと思ったが、また、ヘビーになっちまった。 

あの頃の大学生は、社会へ帰る間の唯一の遊び時間として大学で遊ぶという考えが多かった。 

涼子は、失われた記憶への旅に興味が生まれたのだった。 

しかし、それは行き詰った。彼女はこの続きは、結婚してからとでも、思ったのでは? 

その象徴が、「横溝正史を唯一の愛読書にしているの」、と言う表現だったと思う。 

森下も、また、大学時代を少しだけ遊ぼうと思ったのだろう。いや、遊べる時間は、大学生の時間にしかなかった。私を見て、そう思ったのだろう。しかし、すぐ失墜した。秋口に私は、風邪を引いて教室に来た。苦しそうにしていたら、森下はすっと、ハンカチを差し出してくれた。しかし、私は、皆の手前、そのハンカチを受け取らなかった。アーメン。

それっきりだったね。後に、森下は、文学部で一番難しい英米科へ行った。私は、涼子ちゃんと一緒の国史科だった。これには、驚いたが。そう言えば、私の最初転んだ相手、水田さんもまた、英米科だったな。

 

 

おっと、もう一人の主役を、忘れていた。私の活躍した入学式の合コンの話のもう一人の主役。村矢君について。彼は、塾高出身で、ゲイだった。正確には、バイだった。(バイは、バイセクシャルの事)

すぐ、わたしと打ち解けて、友達になり、それを知った。彼は、また、私の事を「火の玉小僧」と言ってくれた。異口同音に、学生運動を知り、薬文化へ走り、悩み多き青年になっていたが。この彼を、クラス中の女の子たちが、心密かに、思っていたと、後に聞いた。

村矢は、在日韓国人だった。家は、英会話学校を経営し、跡取り息子だった。私には、「俺のおやじ、B大統領に会える人でさ」と言って悩んでいた。私は、「僕の父は、岸信一に会う人だったよ」と言って慰めた。この一言が、良かったのだろう。彼の悩みは,半分減ったらしい。

さあ、次の番。今度は、吉川家の話。憶測だが。 

1974年に那須大に入り、78年には、卒業の予定だった私。しかし、私は、暴走した。勿論、その間に、涼子さんは、卒業し、故郷へ帰った。

すぐ、許嫁と結婚したでしょう。 

吉川家は、丸菱グループ中核の東邦の名家です。恐らくは、北陸の京都、金城の銘家なのでしょう。 

ここからは、当て推量。 

さて、涼子さんは、あの性格。穏やかで、優雅で、可愛らしい人だった。足の細いロス・アンジェルスで、よく見た中国やスペイン美人と似ていた。浅黒い顔立ちは、沖縄の女の子にも、似ていた。

子供は多分、男の子一人。だと思う。 

そんなある日。涼子の知らないところで、ある計画が行われていた。 

彼女には、姉さんが二人いたと、言ったと思う。 

その姉二人の夫婦と涼子の旦那がつるむ話。 

事はこう。吉川家の先代は、もうとっくの昔に、いないのだろう。 

涼子の父は、跡取りもいなかったの だろう。嫁婿三人は、あまり、冴えた人たちでは、なかったのだろう。 

しかし、晩婚だったせいか、お姉さんたちは、遺産に目が向かったのだろう。 

或る陰謀を敷いた。 

西のドンと、言わせてもらう。東は、丸菱本家の隅田氏であろうか。 

西のドンは、ソファーに腰かけていた。クーデターが起こったのか? 

わたしも、どう状況を設定して、いいのか?わからないのだが。 

吉川家は、姉夫婦二組と涼子の旦那の5人によって、遺産相続を分けられた? 

いや、何かの乗っ取りなのだ。 

それを、西のドンは、諦めた。 

身内に裏切られて、諦めて、ソファーで寝ようとしていた。 

しかし、西のドンは、眠りにつこうとしたそのソファーの上で、身内に裏切られて、がっくりしていたのだろう。しかし、あるところで、眠りは途絶えた。無意識の底から西のドンは、無意識に、意識が再浮上してきた。やはり、婿養子たちの陰謀に、負けるわけにいかないと。

リア王である。西のドンは、リア王であった。シェークスピア4大悲劇の一つリア王。三女涼子まで疑ったリア王。(シェークスピアでは、三女はコーデリアだったっけ?)勿論、涼子だけは、裏切っていなかった。彼女は、蚊帳の外だった。計画を知らなかった。一貫して、父に仕えていた。

二流の小説になるが、そういうストーリーがあった。と、私は、ある時、想像した。 

こうして、吉川家に起こった反乱は、鎮圧された。どんな陰謀?どんな反乱?のっとり? 

もう、古いとでも言ったのか、先代に?バカの娘婿たちは?そんな感じだ。 

だが、西のドンは強かった。今時の若いものに、負けない。 

しかし、この一件から、西のドンは、三女涼子と以前にもまして、親近感を強めたのだろう。本来なら、5人全員、家から追放処分したかも知れない。

そこは、温情をかけた。裏切りは、許されない。如何に、外様で、遠慮の中にいた姉婿たちでも。でも、許したであろう。そんな気がする。後は、三女涼子しか、愛さなかったかもしれない。

なぜか、筆致が私もさえない。うまく伝わらないなあ。 

まあ、いいや。ダメなら、また書き直そう。 

この辺で最後になる。 

1年C組には、もう一人親友が、いた。彼の名を安田虎彦という。小柄な少年のような奴だった。比較的に早期から、かれと、折り合いがよく、付き合った。一年の時の劇団人類でも一緒だった。いつも、彼が立ちあってくれたような所が、があるな。

そして、白眉は、キャバクラ研での会長を引き受けてくれた事。那須大学キャバクラ研究会。の誕生から一緒だった。 

悠然と、腰掛に手をついて、テレビの前で、居並ぶスター、局アナの中で、しゃべってくれた。大げさかな?いや、沢たまき、西川きよし、稲川淳二、江木俊夫。などなど。雑誌社の取材でも、受付窓口としても、活躍してくれた。あれは、全員の直感的連係、演技の問題だった。

「僕たちは、演じていた。」だった。 

さて、彼とは、30年も付き合うことになった。 

74年大学入学からの付き合い。30年後の、2004年に、三田、那須大のそばで飲んでいたのだが、私も往けなかったのだが、安田を怒らせ、殴られて、終わった友情だった。今は、音沙汰なし。

この安田という男は、温厚な紳士で、いつも、ハンカチと散り紙をもって、エチケットを、表す男だった。そして、いつも、「チマチマ」という言葉を使っていた。

要するに、「チマチマ」とは、細かいことを言うのだろう。 

俺は、細かい事が、嫌いだ、という意思表明と聞いていたのだが。 

安田は、名古屋に居たことがあると言っていた。この意味を長く理解出来なかった。 

それは、他県転入という法律用語の世界だった。 

安田のこの事実を知るのは、つい最近と言っていい。高校時代、名古屋にいて、親友がたった一人いたと言っていた。ひどく寂しそうな話だな、とは思っていた。それが、まさか、人を殴った事から来る行政処分とは?

これも、やはり想像だが。 

恐らくは、中学時代、中学3年ごろか?教室で、同級生を殴った。俺が、想像するに、俺を殴ったとき同様に、座りながら。左利きの安田は、ストレートを、繰り出して来たな。俺に、座りながら、殴ったから、殴りなれている奴だとは、思った。昔、ヤンキーが、酒の席で、一発繰り出すのを見た時と、一緒だったな。

私は、座席から、ころがり落ちた、っけ。あれから安田とは、会っていない。 

なぜか、安田が、スタンディングで殴り合ったという印象が、出てこない。彼は、教室で、うるさくつきまっとった同級生を一発殴ったのだろう。周りの女の子たちが、「安田君怖い」と言い出したのだろう。これが、行政資料に溜まった。書式は、一杯に埋まった。彼は、居られなくなった。神奈川県の学校に。そういうことに違いあるまい。

こうして、彼は、神奈川県の学校から、愛知県の学校へと変わっていった。他県転入。 

私と会ったのは、その後、4年ぐらいか?彼は、何気ない紳士な奴だった。しかし、30年付き合って、最後に、殴られてから、知った。何気ない男に、悠然と、テレビで、しゃべることができるか?

ずうっと、疑問だった。 

別れる前の電話。「最近、結婚している人と付き合っている。」 

吉川さんだなと思った。 

他に、いない。 

彼は、最初に、作った1年C組の名簿を持っていた、ものな。 

好きだと言っていた水田さんの話も、教えてくれた、ものな。 

「卒業後、水田さんは、どうしている?」(私) 

「保険会社の秘書になっているよ。」「秘書課かな?」(安田) 

「じゃあ、東京にいるのだ。」(私) 

再び、吉川家へ。夕方になると、涼子さんは、父の名代で、銀行業務。朱色の印鑑を、通帳に押しに行く。 

安田は、公然と交際を、許されているだろうな。もう、息子も育ち上っているし。夫の、父への陰謀への加担を許さないでいいようになった。晴れて、安田君と付き合っているね。

西のドン、父も許しているね。 

さて、私が、なぜ、このような長話をしたかを言おう。それは、この西のドンの娘は、南のドンの娘と大学で出会う運命があったということ。西は、ここで、重要な吉川さん。では、南は、それは、最初に登場した水田さんである。

だから、私は、最初、涼子さんへ電話した時に、「水田さん、なんでしょ?」と言われたお覚えがあった。 

ここから、さらに運命は深くなる。この涼子の西のドンに対して、東のドンがいるわけだが、その人の次女が、私の殺めたアンである。

ぐるっと、廻って、元のテーマへ戻るのです。 

さて、私の権力文学も佳境でしょうか?私が、電車の中でしたこと。山手線の中で、したことに戻って。 

私は、現役の時、那須大最大のライバル御岳大学の文学部を受けた。しかし、英語で、歯が、立たなかったことがある。受験は失敗した。結果的には、これはよかった。青春を謳歌できて。

浪人中は、駿台にいた。最初は。その前に、受験を終えて、私は、古里の芸術団体へ戻った。毎月、その芸術団体で、パーティをしていて、これに参加できることを、何かの特権の様に思っていた。これは、高校の2年の秋から始まった。闘争が、弾けて、無残な結果で勝利して、終わっていたころ、私は、その芸術団体と出会っていた。その半裸の行進儀式とパーティと議論の参加を、駆け込み寺の救いのように、生きていた。

さて、それは、高校2年の秋だった。一年後の春に、私は、受験に失敗して、その芸術団体へと戻った。そこで、いきなり、名古屋で、市長選をやるから、参加せよ、とのこと。そして、その芸術団体で知り合った女性アウラとも、再会した。小説を読んでいた。私は、一夜の出来事を、彼女は忘れたのかな?と思ったが、言い出せなかった。

さて、私は、名古屋へ行った。選挙運動の合宿所ヘと、向かった。その時、同室した男がいた、名を、田宮健といった。見るからに、スマートな奴だった。切れ者だった。ただものでは、なかった。彼と一緒の部屋だった。居間の大きな場所では、毎晩、宴会が行われていたが、私と田宮は、そこへは参加しなかった。ある日、私は、この男に話かけた。

彼は、A-4の紙を、はがき大の紙へと折っていた。私は、何をしているのですか?と尋ねた。

すると、彼は、紙を折る手を休めて、私の方を見て言った。 

「電車の中で、配って、話、掛ける運動をしている」と言い出した。 

そして、そのはがき大の紙を見せた。そこには、「話ズム」と書いてあった。また、「車内報」とあった。そう、車内報の車は、社ではなかった。つまり、社内報をしゃれた、車内報。彼は、これを配って、電車の中で、「あなたも、話ませんか?」という運動を起こしているという。

2年間に、2000回、話かけたといった。 

私は、クレージーな人だなあと思った。そして、自分には、到底できないと思った。なんて、恐怖なのか?と思ったのだった。 

これが、のちにヒントになる。 

私は、決意した、電車の中で、話しかけることを。しかも、私は、即興で、やった。はがきは、なかった。渋谷発池袋行きの山手線の中で、やった。なぜ?

それは、恋に破れたから。ある邪魔者によって。その話は冒頭のリルケの詩になる。「神が放った熟練の技」。私は、彼女を取られたことになった。それへの反撃だった。奴には、出来ないことをやってやろうと思ったのだ。

渋谷を出てすぐ私は、話し始めた。席へついて、人々が、周りに座ったのを見計らって。 

しかし、私は、いきなり話すことが、どう思われるかを、すぐ悟った。とっさに、私は、一方で話し続ける、他方で、狂気と見られることを避けようと意識して、話題を探るという二重の運動を自己に課して、話すことを続けた、

実は、この時、例の芸術団体の伝手で、アメリカへ行く予定が決まったのだった。 

そして、私は、いきなり、振った。 

「今、アメリカから帰って来たのですよ。」 

窓ガラスを振りかえり、隣の客が、新聞を広げた。そこに、「長嶋」とあったので、「いやあ、長嶋が、」とまた、振り始めた。長嶋はまだやっていたのですか?といった調子。

こうして、渋谷から、新宿まで、話続けた。気づいたときは、周りの客が、居なくなっていた。私は、ジーンとしながら、背もたれに背をもたれて、意識が続くのを見ていた。

外に意識が、あったのを知った。 

恐らくは、最後の行為と呼ばれる。そして、それは、シュールレアリストの一人、トリスタン・ツアラによっては、「決意、それは、狂気なのです。」と言わせた行為だった。

こうして、私は、田宮氏の真似をして、生き延びた。 

なぜって? 

のちに、この田宮氏によって、キャバクラ研なるものが、作られるきっかけをくれるからだ。 

田宮氏は、週刊朝潮の嘱託記者になっていた。 

そして、ある日、私のアパートに電話をくれた。 

「最近、大学に面白いサークルありませんか?」 

「それなら、那須大学に、キャバクラを研究するグループがありますよ。」といった。もちろん、嘘だったが。彼は、興味を示した。

「じゃあ、その連中を連れてきて下さい。明日、週刊朝潮で、待っていますから。」 

かくして、キャバクラ研は、始まった。 

しかし、ここで、止めよう。この話の調子よさへの疑問があるから。 

いや、結語だけは、しよう。 

つまり、こうだ。「現実して、現実を越えよう」だ。 

そこから、今度は、私の加害者意識が問われるドラマへ入る。ことは、そう調子よくはいかないのだ。 

この現実行為、電車の中で、「話す」という、見も知らぬ赤の他人に向かってする現実行動は、高く付いた。もちろん、「イケない」ことだから。

これらは、75年のことです。次に翌年の事。 

76年のこと。 

この加害者行為への答えが来る。それはやはり電車の中で。やくざが、私の行為への答えを出しに来る。 

そいつらは、二人組だった。新宿から乗り込んできた。 

夜の11時ぐらいか?そうそう、前の年のハプニングも、夜の11時ぐらいだったか? 

新宿から、二人のやくざが乗り込んで来た。いきなり、一人が、殴り始めた。酔っぱらって、背もたれしている労働者だった。殴られ始めた奴は。グッデングッデンに、酔っ払っていたのだろう。そこを目がけて、やくざが、あばれるように殴った。

私は、本を読んでいたが、瞬間扉が閉まった時から、乗客全員、やくざが乗り込んできたことを、知っていた。閉鎖空間でのやくざの暴力だった。私は、逃げ様のないことを知ってか?恐怖し始めた。次は、僕の番かと思った。

一人ひとり処刑されるのでは、といった空間へと変わった。みんなそう思ったに、違いない。 

私は、自己の中に閉じこもって、あらぬことを考えた。「僕だけは、助かりたい」と、心の中で、念じていた。新宿から乗り込んで、高いところを通過したあたりで、このドラマは起こった。記憶の映像。

そして、新大久保、高田馬場、と過ぎて行った。私は、目白で正気に返った。 

しかし、このショックは消えなかった。いつものように、常盤台へ帰らずに、駒込へ向かって、山手線を下りなかった。 

ある人に言わせると、そういうドラマは、潜在意識では、知っていたと言っていたな。 

私は、その恐怖を、「フロアー恐怖」と呼ぶことにした。 

こうして、私は、関門をくぐっていった。アンに関する出来事は以上と思う。 

キス事件は、この電車の中のおしゃべりの力で生じた「意の分量(3人分の)」だと、私が言った意味を分かってくれるかな? 

不充分な言い方だろうか? 

つまり、見も知らぬ人に向かって、不特定の人に向かって、話をしつづけたのだ。それは、それは、甚大な決意だった。3駅分の決意。渋谷、原宿、代々木、新宿と。3駅分の話の意(思い)の分量とでも、言うしかない、それが、のちに、客観暴力の力へと変換されたのだ。どうして?

敢えて、今、説明の一旦を言えば、渋谷、原宿、代々木、新宿の3駅分に対して、返し技のやくざの暴力への恐怖感の意(思い)の量もまた、3駅分だった。

私は、新宿からの乗り込んできたやくざの暴力への恐怖を、3駅キープしてしまったから。 

新宿、新大久保、高田馬場、目白と。そして、池袋から乗り換えて、東上線の域話題へは帰れなかったのだ。そのまま、池袋を通過して、駒込へ帰った。母のいる実家へ。

3駅分=加害者すれば、3駅分=被害者させられるさ、ね。こうして、変換(決意(意)の分量が、のちの行為(キスへの)への推進力の分量へと変換される)への方程式は、整うのか?

直感は、そうなる。       

なんと言っても、女性を襲ったのだから、その許されぬ出来事を、その後どうしたかを言わねばならないだろう。 

では、続き。 

たった今、N.H.K.の「外事警察」が、終わったところだ。石田ゆり子が、「ハニー」するシーンを除いては、問題はないと思った。

そいつは、俺が、逃げに使った鵜の岬のホテルの中にまで、入ってきた。彼は、きれいな奴だった。彼と私には、共通点があったと思う。

それは、彼も俺も腹を割って、話し合える友達がいないということか。私の犯行を彼は、測りにわざわざ、茨城の果て、ほとんど福島のいわきの傍にあるホテルに入ってくる人だった。そして、彼は、センサーを持っていた。私のおぞましい犯行を、彼は、測りに来たのだった。その犯行は、真実なのか?虚偽なのか?或いは、何かのトリックなのか?を。また、鵜の岬のそのホテルは一風変わっていた。海辺にあるのだが、入り口に検問所らしき柵があった。わたしは、バスで入って行ったのだが。昔、そのホテルに改築した建物は、何か自衛隊か何かの施設だったのだろう。アメリカの国立公園に、よくある回りながらだんだん入口へ近づく道で、柵へ至るのだ。そして、検問所を通って、中へ入る。

答えから言おう。私の犯行は、彼のセンサーを通過した。私は、合格サインを貰った。丸一日をかけての通過だった。 

ホテルの通路で、すれ違う時、彼は、ニコッと笑ってくれた。彼は、そのセンサーを、前の日に仕掛けていたのだった。私が、滞在したホテルの相部屋の隣に彼は、来た。何日か、彼は、私の隣にいて、夜中、「ドスン、ドスン」と転がり落ちるのだった。私には、彼のこの反応の意味が、解らなかった。彼が、Mr.住本であることなど、そんなこと、ホテルを出てからしか分からなかった。彼には、私の犯したおぞましい犯罪の余韻が、耐えられないものだったのだ。

そして、夜中、「ドスン、ドスン」とベッドから落ちるのだった。 

彼は、潜入捜査官。警視庁公安部。殺人型強姦の専従班長。名前は、平林を名乗った。(これについては、また)(かいつまんでいうと、私の学生闘争期の座談会21という雑誌の編集長であり、その企画者の名である)。正確には、平一良(タイラ・カズラ)を名乗った。

小柄で、おそらくは、柔道4.5段の人。病院にいるときは、私とは、仲良しだった。最初に、「お住まいは?」と聞いた時は、「羽田」と答えた。この時点で、私を調べに来たとは思った。1967年10月8日の羽田事件が、僕ら新左翼学生の発生だから。あの事件がなかったら、学生運動の嵐は、日本になかったであろう。まあ、今となっては、余計な話だけれどね。

次に、「お名前は?」と聞いた時は、「平(たいら)」と答えてくれたので、ああ、なるほど、ミーのことを全部知って、来ているのだと、思った次第だった。

そして、私は、彼のことを、敬愛をこめて、「住本」と呼ぶことにした。NHKドラマ、「外事警察」の主役、住本と。 

話の続き。 

彼は、その私への反応(ドスン、ドスンと落ちること、隣のベッドに居ると)を通して、その場で、本格的に私を調べることにした。この少年から、伝わる「ハニー」は、本物かどうか。彼は、静かに、自販機のある部屋の前の椅子に腰かけて、私が、通り過ぎるのを待っていた。そんなこと、かけらも知らない私は、彼の腰かけている椅子の前を通り抜けた。

かすかに、彼の首が、揺れた。いや、引き攣ったと言った方がいい。 

その日の就眠中に、わたしは、夢を見た。嫌な夢だった。女子房の方のある女性が夢に出てきた。私は、発情を抑えたのだろうか?少しは、彼女に気があったのだろうか?夢の中で、彼女は、正夢のように迫っていた。その瞬間、左脇腹から、丸い青い太い手が侵入して来て、私のへその緒を、「グニャっ」と握り潰したのである。そして、その夢は、シュワシュワッと、泡のように消えていった。同時に。

こうして、私は、その翌日、彼とすれ違った時の合格サイン.にっこと笑う.を受けて、無事生きている。 

もし、あの手によって、あの青い太い手によって、「私の硬くなる可能性のあった」「へその緒」が、柔らかくなっていなかったら、彼は、私を殺していたかも知れない。

この話には、さらに、補充がある。彼、公安のポリさんは、住本と呼ぶこの人は、ある特殊な修行をしたという事。それは、山の中のある山村のことだろうな。かれも、また、へその緒をグニャっとやったことが、あるのだろう。それは、私の場合のような、夢の神の手ではなく、自分の手で、やったのだという違いがあるのだが。

だから、彼は、解るのだった。へその緒が固くなる強姦的病気が。私は、それに引っかかっていたのだ。 

あの「ドスン、ドスン。」は、あのベッドから、苦痛のあまり落ちる彼の清らかさは、彼の手による「へその緒」の「断ち切り」という修行からの超能力だったと。

そして、私のまた、夢の力で、へその緒を絶った。(もちろん、神の力だ!)(信じる?)こうして、彼は、私を許した。 

彼は、こう言いたげだった。「お前の中に働いている神の力を信じるよ」。「俺なんて、自分の力で、やったのだからな.」