「いるだけで傷つく人がいることに、気づく」

いとう あきこ

 


 よく、「自分は何もしていないのに」「人に迷惑かけている訳じゃない」という言葉を聞くが、その事柄直結でなくても、人はどこかで必ず人を傷つけ、また自分も傷ついている。

 

 私の最初の子どもは、乳児性突然死というもので生後二か月で他界した。病名でなく症状というものなのだろうが、実際は自分が殺したと思っている。当時、流行していたうつぶせ寝をさせていた。しかし、うつぶせ寝は、寝返りが出来るようにならなければ、まだしない方が良いことは今では常識だ。うつぶせ寝にすると彼女は欧米で流行っていた言葉のように、良く眠ってくれた。彼女の心臓に負担をかけていることに気づきもせず。真冬の子育ては大変だった。しかも夫の仕事は夜勤で、ワンオペ育児の上、昼間も泣かせることは許されなかった。泣く時は仕方なく、外へ出た。

 ある朝、日曜日だけ育児を代わってくれる夫の隣で娘は冷たくなっていた。私は起こされ、すぐに救急車を呼び、室内を温めた。病院での死亡ではないので、警察が来て宅内を調べていき、事情聴取も受けた。娘は病院から解剖のため、すぐに大塚の監査医務院に運ばれた。結果は、乳児性突然死となり、私も夫も罪に問われないこととなった。

 人を死なせてしまった。どう償うのか。死のうとしても死ねなかった。では十字架を背負い、このまま生き、自分が死んだ後、娘に頭をいつまでも下げよう、そして自分の気が済むまで地獄で償わせて欲しいと思った。それは今でも変わらない。

 

 そして、そこから存在というものだけで傷つくことになる。赤子を失くした母親は、まず赤ん坊や妊婦を見るのが辛かった。夫婦でいて街中でそういう親子や家族に会えば、同じ痛みを感じるのか、一瞬空気が止まる。歩いてくる妊婦さんは、ただいるだけだ。それでも傷つく。すれ違う時の息が止まるような苦しさを、言葉にも表情にも出せない。胸や腹の辺りに力を入れて、重みや痛みが遠のくのを待つだけだ。

 

 

 実は夫は子どもが欲しくなかった。今でいう「授かり婚」で、彼が持っていた自由のほとんどの部分を奪ったと言っても過言ではない。だからそれから5年の間、子を意図的に作らなかった。正確に言えば流産をその間に一度したから、自分のところに来てくれた命を二度守れなかった。そんなミス、過ちを早く取り戻したくて、自分は子どもがずっと欲しかった。だから余計に妊婦さんや赤子を持つ母親を見るのが辛かったのだと思っている。これが精神的不妊と言えるかはわからないが、結果、思い上がりながらも不妊症の人の気持ちがほんの少しだけはわかった気がする。

 

 未婚者や不妊症の人が周りにそう多くなかったこともあり、自分が妊婦の時には、全く思いもしなかった。子が欲しくても得られなかった人の中に、自分を見て傷ついた人が何人いただろう。何もしなくても、人を傷つける。この事実に気づいてからは、一層徳を積もうと思った。良く生きようと思った。自分の知らないところで人を傷つけている、悲しませている。なら、一生を通して、どれだけの人を苦しめているのだろう、とてもわかるものではない。女性に生まれたかったのに男性に生まれた人、背が高く生まれたかったのに低めに生まれた人、自分を見るだけで、いるだけで、どこでどう人が傷いているかわからない。だから謙虚でなければならない。

 


 世の中の人は、気づいているのだろうか、そんなのとっくに知っているよ、みんな知ってるよということなのかもしれず、若かりし頃の自分がお花畑頭だったのかもしれない。いずれにしても、これからもその経験は忘れてはいけない。

 自分が思いもしないところで、法にも常識にも触れなくても、自分の姿、言動で傷つくかもしれない人がいることを。