私の舞踊史Ⅹ(10)

柴﨑政夫

 


 たまたまだが、高専卒→テレビ局勤務から、大卒資格取得→大卒後NHKへ転職希望という人物と知り合った。(理系専門知識はOKで一般知識が鍵)

 話をすると、制作側では、番組責任の判断は視聴率。継続企画かどうかは周囲の判断。

 となると、低予算で高品質の手堅い視聴率維持番組が歓迎された。

 代表が洋画で、当時は解説者不足の時代だった。

 逆を狙った企画がバラエティ番組。下品さとお色気寸前止まりの演出。おまけの生放送というドキドキ感満載。

 ここにいわゆるタレントたちが台頭。

 コメディアン、後の大物歌手、レポーター等が出現。

 毎週一回定時に大騒ぎする番組が定着する。

 アニメからは声優、ナレ-ション、朗読といった仕事も、はじめは雰囲気のある俳優選択だったが、やがて安価な新人起用となる時代。

 その変化に、アナウンサ-代用兼任までして低コスト化→やがて独立プロへ委託と変化していった。

高額な演劇、オペラ、バレエはどこかに押しやられ、視聴率稼ぎに新人発掘が加速。

 「スタ-」という安っぽい言葉が流行。番組編成のつじつま合わせに、特定プロダクションが癒着し、今日の巨大帝国が誕生するきっかけを作り出す。

 使い捨て大量生産・企業戦士時代の到来である。

 いわゆる俗悪番組と呼ばれる類いの視聴率合戦時代到来。

 東京の明るい部分と日陰の部分が家庭向け番組の時間帯に遠慮なくばらまかれる時代となった。

 

 テレビ局の番組編成は3ヶ月を基本のⅠク-ルとし、4回で年間計画を進めてゆくやり方。

 報道、教育、娯楽としてのドラマや歌番組とお笑い番組等があらかじめ配分された上で予算執行がなされ、担当部門が代表となって、執行権限を持つ。

 加えて会社設立の趣旨によって配分も決まる。

 NETというテレビ局は日本教育テレビという設立趣旨だったが、やがてテレビ朝日という一般営業の局へと変貌した。まあ、NHK教育放送からNHKへと格上げしたようなものだが、違いは娯楽番組等の比率が増加。

 当初、映画界はテレビと対立するやや高級な芸術だったので、映画やアニメ等の声優起用は、歌舞伎・劇団等既存の団体が推薦した人材で埋まった。

 表立ったキャラに関しては慎重に審議され、周囲の役柄に関しては、長い付き合いの中で徐々に「あうんの呼吸」で決まってゆく。

 しかし、後続局、安くても一応番組の体裁を取る必要から、他局からの番組貸し出しで埋めようとした。

 幼児教育番組は制作陣から見れば、台本演出が原則重視で安定。

 雇用タレントだけは好感度が必要。

 ここに子役躍進の糸口がある。

 それでも足りず、ダンスやコントお笑いを交えた番組宣伝で、忘年会的な企画を新旧編成の帳尻あわせに1回ほど特別番組を付け加えた。

 

 こうして、今日巨大化する児童劇団・合唱団や若い子たちを擁する団体の入り込む余地ができた。

すなわち、バックダンサ-や通行人、子役の友人等は、プロダクションとの付き合いによって、柔軟に!? 波風立てずに、問題視されることなく徐々に決まってゆく。

 演歌系の日舞御用達、お笑い系の多少新味のある振付ダンサ-、そして、新味を聞かせた曲に合わせた外国風のダンサ-育成も急務だった。

 となると、ブロ-ドウェイ仕込みの振付師やハリウッド映画の端役となった系列のダンサ-経験者が、陰の指導を引き受けることになる。

 やがて、本格的志向が生まれ、日劇、宝塚、ミュ-ジカル路線を目指し、欧米へ留学経験するものが出始めた時代である。

 フォリ-・ベルジュ-ルやシャンソン導入のため、フランス留学をめざすものもいた。

同時に、ロシア演劇やオペラの中にある民族舞踊を学ぶため、モスクワをめざすものも少なからずいた。

 ただ、バレエだけは高嶺の花だった。

 既存のバレエ団体からトップと見なされるダンサ-を客演起用した。

 戦後の隆盛を極めた世代が高齢化し、次世代育成が叫ばれてた頃、時代劇や歌舞伎界・新国劇等は身内の中から次世代育成を始めていた。

 洋物関係ではロシア物や西欧の翻訳物が諸外国レベルと比較され、やや物足りなさを感じさせる頃だった。

 代わりに、新しい試みとしての創作ミュ-ジカル路線、ダンス、音楽劇等への移行も試みられる時代となっていった。

 ウィ-ンのオペレッタのしきたりに合わせ、少年役は女性が務め、主役は美男美女で歌える人物起用。脇で支えるのが軽快でユ-モアあふれる男女のダンサ-といった配役。

 それは無言の約束だった。

 しかし、これを破壊したのがウエストサイドスト-リ-。全員が踊らされる時代となった。

 音大出身であろうと踊らなければならない。全国合唱コンク-ル1位であってもキャラが濃くなければならない。

 日本的な素材は敬遠され、アピ-ル力が求められる時代となった。

 しかし、マネージャーはほとんどが大卒の素人同然。個人経歴の○○Ⅰ位といった表記だけを仕事先に解説するだけ。

 サラリ-マン社員ばかりだから、長続きしない。

 これぞと思った人材に惚れ込み売り出すなんてことは滅多にない。

 NHK、TBSの連続テレビ小説主演獲得を皮切りに会社設立、独立しようなんて者はほとんどいない。

 この時代、放送業界から1曲当てて、資金作りし、独立プロ設立の方が効率がよかった。

 ここから、徐々にお笑い、コント、コマ-シャル、そして演技へと会社の営業幅を拡げていく時代だった。

 こうして巨大化したプロ経営陣が、タレントの交際から結婚・移籍問題に介入してゆく。

 一発勝負で当てたら企業雇用。不発だったら消えるしかない。

 その結果、中学卒業→即、研修内定対象者という扱いで、子どもたちを拘束する慣行が横行。

 芸術としてのキャリアを積まず、現場参加で騒ぐ「使い捨て」タレント時代へと向かっていた。

 正規の団体は雇用制度をきちんと守ったが、試験的採用の場合、ギャラさえきちんとしてなかった。

 

 加えて、私は芸術志向だったため、演技・歌唱・舞踊の技を学び続けたい気持ちが強かった。

 それを確保できる環境はというと、公務員に甘んじながら、研究だけは続けるという職業選択をする時期に来ていた。

 今、こうした課題が噴出している。