思い出エッセイ「川辺のビキニ」

西之森涼子

 

 子供達の夏休みもとうに終わったというのに、今年の猛暑は長く夏はこのまま終わらないのではないかという錯覚に陥った。

 通勤経路を急ぐ朝、ヒラヒラと舞い落ちる木々の葉を目にして空を見上げると夏の青さとは違う水色の秋の空に気付いた。

 自然は人間よりも季節を知っている。人間は自然には敵わないと感心した。

 さて、はるか昔ではあるが私は小学生であり渓谷がある町に住んでいた。

 そして夏は、毎日のように友人や妹と川で遊んでいた。

 1時間に2本か3本の電車と更にそれより少ない路線バスが交通手段の小さな町ではあったが、子供達には天国である。

 春には町のいたるところに桜が美しく、木々の木陰にはシャガがレースのハンカチのように白く神秘的に咲いている。

 夏は川遊び。澄んだ川には小さな魚が泳ぐほど川の水は冷たく清い。秋や冬には木の葉や木の実を拾うために山裾で遊んでいた。

 そのような自然豊かな町なので、一風変わった芸術家が多く住んでいたように思う。

 ちょうど私が小学校4年生の時に、近所に家を建て小学校の美術教員として着任したK先生もそんな芸術家の一人だった。

 パーマをかけない長い髪を一つに結び、前髪をまっすぐに眉のあたりで揃えていた。少しやせすぎかと思うほどのスレンダーな体型であったが、声は大きい。というか、よくとおる声なので美術室の一番後ろの席でも先生の声はよく聞こえた。

 さて、その授業であるが小学生だからといって容赦ない。描いた絵の色の説明をきちんと先生に話さなくてはならないのだ。

 反面、子供の個性と自由な発想に対してはどこまでも寛大だった。

 例えば、空の色をみんなが青、水色に塗っているところ、赤やピンクに塗った生徒がいた。

 先生は尋ねる

 「どうして赤に見えたの?ピンクにしたの?」

 一人の生徒は説明した。

 「夕焼けのとき、こんな風に見えたよ。」先生は満足そうにうなずく。

 ところがもう一人の生徒は言った。

 「あ、いいの、いいの、適当にこの色にしただけ。」

 そこで先生の雷が落ちた。

 「適当とはなんですか。目に映ったものにいいかげんなものはありません。」

 K先生は、いい加減なことが何より嫌いだったのである。

 そんな先生のご自宅は私の実家の近所にあり、ご夫婦で芸術家らしく真っ白な洋風、木造の家でお二人のこだわりが感じられるおしゃれな家だった。

 その家でK先生ご夫婦は「アレアレア」という大きな犬を飼っていた。

 後の知識ではあるが「アレアレア」とは「はじめまして」という意味であり、またゴーギャンの有名な絵画にも同名の作品がある。

 美術の先生らしいこだわりである。

 夏のある日、いつものように私は友人のT美と二人、川で泳いでいた。すると後ろから

「先生も仲間に入れて。」という声がする。

 T美と振り向くとそこにはビキニ姿で髪を2つに分けて三つ編みにしたK先生が、パシャパシャと川の水を身体に慣らす様にかけながら、笑っていた。

 普段はちょっと怖いK先生だが、ビキニ姿で笑顔を見ると親しみを感じて3人でゆっくり夏の川を泳ぎ、疲れると焼けたように暑い石の上で寝転んだ。

 そして1、2時間すると、

 「先生、もう帰るね。」といって水着にタオルを巻いて帰っていった。

先生の家はその河原から、歩いて2,3分もかからない。

 私とT美は顔を見合わせて笑った。

 「川原にビキニは派手すぎるよね。K先生って面白い。」

 それから何年かして先生のご主人の描いた絵本がとても売れて、その後おしゃれな白い家は壊され、K先生ご夫婦は引っ越していった。
 今でも帰省したときに川辺を散歩すると、あの夏の日、細いボーダーのビキニを着て髪を三つ編みにしていた先生の笑顔を思い出すのである。

 


◇写真は、沢渡橋から見た秋川