東洋「哲学」について(1)

山本幸生

西洋と東洋という区分けは既にかなりカビだらけになっているが、それでもやはりそこかしこで依然いろいろと思い当たる部分がないわけでもなく、まだ完全に「死んでいる」とは言えないだろうと思われる。

先にどこかのネット外国語グループで、哲学が「ギリシャ起源だ」みたいなことを書いたら、アフリカとか中東あたりの人たちが「いや、起源はエジプトだ!」とか「メソポタミアにその源流がある」とか「中国、インドなどにも古代哲学があった」等々の、ある種「予想通り」の反論が出てきて、それに対して私も自分の書き込みの「真意」?を説明していく、という展開になったのだった。

確かに最近ではギリシャ神話ならぬ「ギリシャ起源」神話というものに対するリアクションがいろいろ出てきているようで、例えばギリシャ文化そのものに「エジプトの影響」というものをより濃厚に見出す解釈などもあるようだが(そして実際に復元された「多色の」ギリシャ彫刻、神殿などを見るとさもありなんとも思うが)それでもやはり私の感覚からすると、ギリシャの文化・学問全体にそれまでからの「断絶」というものがはっきりと見出せるのであって、「哲学」というものにおいてもその特徴というのは明瞭に見られ、そして少なくとも少し前くらいまでにおいては哲学におけるもっとも主要なDNAはやはり「ギリシャ起源」であったろうと思われるのである。

その特徴とは何かというと、「実用というものを度外視した抽象世界それ自体の価値が社会的にも、ある種主要なものとして成立し得る」ということであり、これは宗教というものを除けばそれまでの「古代社会」には見られなかったものではないかと思われるのだ。

そしてその「非実用的な抽象世界」の最たるものが哲学であり、こうした「形而上学そのものに酔える」体質こそが、ギリシャ的、さらにはそれを受け継いだヨーロッパ世界の(少なくとも大陸側の?)特徴ではないか、と思われる。

エジプトにもメソポタミアにもインドにも、そして古代中国にも「哲学的思考」というのはあっただろうが、最初の三者は主に「宗教」がらみであり、中国の「思想」というのは基本的には現実社会において「いかに生きるか」を探求する「処世学」である。中国ではのちに「朱子学」みたいな形でかなり抽象的な理論が展開されたようではあるが、どうもそれらは仏教の抽象理論に対抗するために作られた、という意図が大きいらしく、それ自体が中国思想の「本質」に属するとは、少なくとも私には思われない。

「哲学」という言葉の意味を非常に広く取って、「人間や人間の社会、さらには〈世界〉全体についての思考」と考えれば、それらもむろん「哲学」に含まれる、ということになるのだろうが、「宗教でも実用でもない抽象的な価値」そのものにリアリティを感じ得る、という意味からして、やはり哲学は「ギリシャ起源」ではないか、と思うわけなのだ。

もっともギリシャというのが本当に、いわゆる「西洋」と言えるのかどうか、ということについてはちょっと微妙な部分があるだろうが、少なくとも当時のギリシャ人は自分たちが「他の、あるいは〈それまでの〉文明とは何か違う」という意識を持っていたことは確かなようだし、それが現在のヨーロッパに最も濃厚に受け継がれている、という面において、やはり東か西かというと「西」なのかな、と思わざるをえない部分があるのだ。。。

しかしここでは、その「西洋」というのはいったん置いておいて、私がこれまで辿ってきた「東洋」哲学の遍歴というものについて次回以降語ってみたいと思う。