マミのA4一枚、こころのデトックス (1)

矢野マミ

  1. 起きて観る夢

 夢には寝ている時に見る夢と、起きているときに観る夢がある。起きている時に観る夢は、頭の後ろのスクリーンに映し出される映画のようだ。そして、映画が映し出される前にシナリオが降りてくる。頭の後ろにシナリオが浮かぶので、こうやって書き留めておくことができる。

 起きている時に観る夢は、予知夢のようでもある。断片的なイメージが浮かぶ。

 例えば今、お気に入りのイメージは「36階で働く」自分である。

 普段は、小さな駅前雑居ビルの5階で働いている。屋上から見る夕日は楽しみの一つだ。しかし、36階から見る夕焼けは別物である。頭上から足元までの1枚ガラス。フロアの一部が透過になっていて、水平線の向こう側まで歩いて行けると錯覚してしまいそうだ。

 5階から次の職場に行くときは、1階に降りなければ…と考えていたが、どうやら次は36階に行くようである。考えたこともなかった。今よりもさらに高いビルの中で働くなんて!しかし、案外良いものかもしれない。

 36階で、私は綺麗な色のスーツを着て働いている。形の良いスーツだ。職場を異動する時に仕立てたものだろう。異動の話はずいぶん前に来るから、話があった時にすぐに百貨店に行ってスーツを注文したのだろう。クラシカルな小さなショールカラーのパールホワイトに輝くスーツ。挨拶用だ。選挙の当確が出たときに、候補者の横で奥さんが着ているようなスーツ。あるいは女性の候補者本人が着る。あまり実用的ではないが主役感が出る。挨拶とお食事会用だ。襟元には大玉のイミテーションのパールが似合うだろう。もちろん、二連の本物のパールネックレスでも良い。

 それから夏用にレモンイエローの麻のスーツ。パナマ帽もセットだ。これはスモークを焚いて「勝手にしやがれ」を歌っている沢田研二のイメージから。動画を見せて、こんな感じで女性用のスーツをお願いしたいと頼んだ。パンツではなくタイトスカートで。胸元のデイジーのコサージュも再現した。普段用には明るいグレーのスーツを作った。サマーウールの軽くて実用的であり、かつフレッシュな感じのテーラードスーツだ。こちらの裏地は水色だ。

「せっかく仕立てるのだから、中も遊びましょう」と、仕立屋さんが提案してくるので、裏地の色は綺麗な色にする。黒いスーツの裏地はスモーキーなピンクに。グレーには水色。冬用の白系のミックスツイードのスーツの裏地は爽やかなライム色だ。袖口を捲り上げると、ジーンズにも良く似合う。

たくさんの綺麗なスーツと共に、私は36階に乗り込む。

 そこで、田代さん(田所さん?田中さん…とにかく最初の文字は『田』がつくようだ)という女性の同僚と一緒にコーヒーを片手に夕焼けを見ている。コーヒーはベンディングマシーンで入れたものだ。私はポットで湯を沸かして自分で入れるのが好きだが、36階では難しいらしい。唯一の欠点だ。

「私ね、ここに来る前は小さな町の駅ビルの5階で働いていたの……」

 そんなことを話しながらコーヒーを片手に夕日を眺めている。美しいスーツを着た二人のシルエットが見える。自分が自分を見ている、ということは「夢なのだろうなぁ」と思っている。

 これが最近の「起きている時に観る夢」である。ノートに書き留めて、しまっておく。

「5階で働く自分」には、ずいぶん前に夢で出会った。だから「36階で働く自分」にもまもなく会えると思っている。東京か、NYか。ここではないどこかで働く自分に会うのが楽しみだ。

2. ファイルを消す人

 皆さんは、どのようなきっかけで心理療法の利用を検討されましたか?

 私の場合は、職場で『共有ファイルを意図的に消去する人』に出会ったからです。

細々とでも長く勤めていると、突然、大量の仕事(雑務)が降ってきたり、執拗に書類の訂正を要求されたり、一方的に無視されたり、仕事ではなく嫌がらせを受けているように感じたこともありました。若い頃は、無理をして体力仕事で修羅場を乗り切ったり、もしかしたら私は特別にできの悪い社員で、ご本人は「指導」しているつもりなのかもしれないなぁ、と大きく振り返ってみたりする余裕もありました。

 しかし、「ファイルを消す人」は、これまで出会ったどんな人とも全く違っていました。職場の共有ファイルで、次の人に引き継ぐべきものを、事前にそっくり消去しておくのです。

 明らかに、明確な悪意を持って行動するのです。

「あの、昨年度担当しておられた〇〇のファイルは、どうされましたか?」

と尋ねると、

「消しておきましたよ。私ごときの作った書類なんて、特に見るべきものではないですから」

「いえ、でも昨年度のものがないと、先方との引継ぎとか、やり取りがわからなくて困るのですが」

「苦しめばいいでしょう? あなたもイチから自分で作ればいいでしょう? それが仕事でしょう?」

 まるで安物のTVドラマのお局様のようなセリフが次々と繰り出されて来て、何か反論すると今度は「年上に向かって口答えするの?」と職場のど真ん中で怒鳴り声をあげるのです。

 何をやってもダメでした。上司に相談しても「消去した直後ならファイルを探すことも可能だが、いつ消去したかわからないと探すことも難しい」と返って来ました。「書類を消去したことには口頭で厳重注意しますから」と言われても、消された書類が復活するわけではなく、何年か前の古い書類を探し出して再度作り直したりし、気持ちは晴れません。同僚に相談しても、「アノ人は、そういうひとだから、今回は運が悪かったわね」と同情はしてもらえますが、問題の解決にはつながりません。

 本当に怖いのは、単に「書類を消された」ことだけでなく、「書類を消される」夢を見たり、「また書類を消されるのではないか」と疑心暗鬼になったり、自分でも手に負えなくなったと感じたのは、夜中に「助けて!」と叫んで、罪のない夫にも心配をかけてしまったことでしょうか。

 ネットで検索すると「夜驚症」という言葉が出てきました。普通は子どもがかかるもので大人には珍しい、と。精神科にかかると薬物療法で抗うつ剤等を処方されることもある、と出てきます。

 なぜ、「悪意ある人」のせいで私が苦しみ、薬を飲まなければならないのでしょうか? 

 薬を飲まなくても、面談などで対応していただけるところを探して、まどか研究所に辿り着きました。「ファイルを消す人」や、職場の人々の顔や人間関係をクレヨンで描いて俯瞰してみる。ワークをする。何回かの面談を経て、わたしは落ち着きを取り戻し、「ファイルを消す人」ともつかず離れずやり取りを続けることができました。共有ファイルとはいえ個人の書類を一つや二つ消したくらいでは、会社は退職させるのは難しいのだそうです。

 人事異動のない小さな職場でしたので、何年か我慢して、ようやく彼女は退職して行きました。書類を消した後にも、わざと鍵を隠すような小さなトラブルはあったのですが、「犯人は彼女だろう」と周囲もわかっているので、何とか心の平安を保つことができました。

 さようなら、悪意のある人。

3. ダマヌール・サーキットにて

 ダマヌール・サーキットの体験談を書いておく。

 ダマヌール日本のホームページには「サーキットを歩くことは、非常にダイナミックな瞑想です。知覚を広げ、インスピレーションを得、夢を刺激し、身体の機能のバランスをとるために用いられます。」と記載されている。 ※ダマヌール日本HP らせん | Damanhur Japan より

 ある年の秋、ある場所でダマヌール・サーキットと出会い、3度輪の中を歩いて巡った。

 初回は、恐る恐る。

「宇宙へ行っちゃう人もいるのですよ」とペンタクルを手渡されて、人生が変わるのではないかと恐ろしく思った。ペンタクルを首にかけて中に入り、入口にロープを渡して締め切り、ゆっくりと歩いて回った。

 途中にシロツメクサの小さな株がいくつかあった。四つ葉を探したが見つからなかった。「世界の中心に立とう」と心を決めて、サークルの中心まで回っていったが、世界の中心には既に、すっかり葉を落とした1本の小さな木が立っていた。「お前は世界の中心には立てない。オマエを中心に世界がまわっているのではない」と宣告を受けたようでがっかりしたが、帰り道で、行きでは見つけられなかった四つ葉のクローバーを見つけることができた。

「ああ…。私は世界に許されている」と感じた。「私は世界の中心には立てないけれど、願いを叶えることはできる」と神託は書き換えられた。

 2回目は、その日の午後。

「午後の夕日が沈むころは美しいですよ」と送り出された。中心まで来て今度は、先ほどの痩せた木の周りを回った。この小さな木は「生命の木」だと思った。「私は世界の中心に立ち、生命の木の周りで踊ることができる」とメッセージが書き換えられた。

 3回目は、帰る日の朝。

 中心まで来てやはり小さな木に出会い、今度は木を両手で抱きしめてみた。下から細い幹をさすって半ばまで行くと、これまで気がつかなかったものを見つけた。

「モズのはやにえ」だ。

 子どもの頃、学研の図鑑を見るのが大好きだった。おそらく、その図鑑に載っていた知識だと思うが「秋になると冬の食糧不足に備えて小枝にカエルなどをさしておく」というのが、はやにえだ。

 周りに自然がたくさんある田舎町で育ち、ずいぶん気をつけて探したが、子ども時代にはとうとうモズのはやにえを見つけることができなかった。今頃になって、こんなところで出会うとは!

 生命の樹は、小さな死を内に秘めていた。そしてそれは誰かの命を支える尊い犠牲なのだ。

 前日、私は知人ががんで亡くなったことを知った。私よりも若い女性だった。尊い犠牲。

 彼女の無念を抱きしめて、生きよう、と思った。

 私はダマヌール・サーキットから「世界の中心で生命の樹を抱きしめて踊り、私の願いは叶う」というメッセージを得た。

 3回目の帰りには、もう一本の別の木にまた「モズのはやにえ」を見つけた。視点が変わると見つけるものも違ってくるものだ。

 また来ようと思う。新しい自分に出会うために。