【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(三)―俳句とモンタージュ―

桝田武宗

 今や俳句と映画制作に於けるモンタージュ(編集)が大きく関わっているということは常識になっていますが、簡単に説明しておきます。

 モンタージュ理論は、ソ連の映画監督・セルゲイ・エイゼンシュタインが提唱した映像編集理論です。エイゼンシュタインは、日本の歌舞伎や漢字、俳句からモンタージュ理論の着想を得たと言っています。

 俳句とモンタージュについては、寺田寅彦の論を始め多くの論があります。その中で注目すべきは、「写生構成」という言葉を創った山口誓子の論だと思います。誓子は論の中で「写生とは現実の尊重。構成とは世界の創造」と記述しています。これは、クレショフ効果のことを述べているのです。つまり、映像制作に於いて、画像の編集次第で様々な意味を創り出すことが可能だということを言っています。

 クレショフ効果というのは、映画監督であり映像理論家であるレフ・クレショフが検証した認知バイアスのことで、映像の前後が変化することによって生じる意味や解釈の変化を指すものです。

 検証の方法は、ある男性俳優のクローズアップカットの中から無表情のカットを選んで、そのクローズアップ画像の前に三つの異なる映像を置くという方法でした。一つ目は、スープ皿のアップ映像。二つ目は、棺桶に入った遺体の映像。三つ目は、ソファーに座った女性の映像です。それぞれの動画を見た被験者は、一つ目の動画では空腹を感じ、二つ目の動画では悲しみを感じ、三つ目の動画では欲望を感じたと答えています。俳優の顔は三つとも同じ画像であるにも関わらず、被験者の捉え方は異なっていたのです。このようなモンタージュによる効果をクレショフ効果と言います。俳句で言うところの「二物衝撃」でしょうか。

 山口誓子は、「写生とは現実の尊重」と言い、「編集とは世界の創造」と言ったということは前記した通りです。「写生」は素材の事で、「構成」というのはモンタージュのことです。つまり、「言葉をモンタージュすることで、実際に見た景とは違う景を詠むことが出来る。それが自分の作句手法だ」と言ったのです。

 この作句手法が正しいか否かはおいておくとして、誓子のモンタージュの解釈には驚くべきものがあります。

 誓子もそうですが、モンタージュ理論と俳句の関わりに関する論は表現される意味についてです。単語の組み合わせ方によって表現されたものに含まれる意味への影響に関する論ばかりが語られているのです。勿論そういう面は大きいのですが、私はモンタージュがあることによって俳句に、「動き」が生じるということに着眼しています。

 人間が景色を見る時は、固定された視線で見ることはありません。かならず全体を見たり、ある一点を見たり、左右を見たり、上下を見ることで景色を把握します。つまり、そこには視線のカメラワークがあると言うことなのです。

 俳句の五七五は、そのカメラワークと同じことだと言えます。例えば、

  荒海や佐渡によこたふ天の川

 という句を分析してみましょう。

 ここでは、「うねる日本海」、「その向こうにある島影」、「見上げた空にある天の川」というように三カットを組み合わせて一つの景としています。

 この三カットは、一度に見たものではありません。さらに加えるなら、この三つのカットは、静止画を三つ組み合わせたものではなく動画を三カット組み合わせて一つの景にしています。

 一カット目は、「島影」です。二カット目は、「うねる海」です。一カット目と二カット目は、カット繋ぎです。二カット目と三カット目の「空」は、「島影」からパンアップ(見上げるというカメラワーク)して「空」を見ているという画像の編集になっています。この分析を見れば俳句は動画を組み合わせて景を詠んでいるということが分かるはずです。

 ここが、景色を絵画や写真で表現することと、文章で表現することの違いなのです。絵画や写真は、二次元の表現ですから景色の瞬間を切り取ることしかできません。しかし、文章表現である俳句の写生というものは、写生した景の中に時間が含まれるという特性があります。この特性が俳句に、「動き」を創り出して、俳句を特別な文章表現作品にしているのです。

(※以上、漱石も寄稿していた俳誌「渋柿」令和3年9月(1289号)より転載。)

批評・論考桝田武宗