思い出:随想「アンチやくざ者ブルース」

田高孝

 カラーギャング(池袋)とチーマー(渋谷)の戦い。

 それは、いつの事か?

 テレビの公開番組で、ツッパリとチーマーが、対決するという企画で、現われた。

 両者同人数ずつ集まった。

 テレビ画面に向かって、右側に、ツッパリ。左側に、チーマーと並んだ。

 6人か7人ずつ。

 チーマーの方に、一際、巨漢の男が、いた。そして、後ろに座っていた。しばらく、両者にらみ合っていたが、ツッパリ・チームのリーダーが、先に、跳ねた。ツッパリ特有の「かまし」というのか、技を示した。

 そこで、司会が入って、止めた。

 試合終了。

 明らかに、チーマーの方が、落ち着いていた。勝負あった。

 私は、シドニーオリンピックの高橋尚子を見るように、ワールドカップの初得点稲本のワントラップからのシューㇳを見るように、その試合を見た。

 ヤングが、東京の圧政ツッパリに勝った。その瞬間を。

 渋谷にチーマーアリ。

 これを、のちのカラーギャングたちが、見ていたのだろうな?

 後の池袋、カラーギャングたちは、筋肉増強剤を使って、大男を目指した。チーマーの勝利のカギを握った巨漢の男を手本にして。だから、カラーギャングは、二の腕の太い巨漢で、出来ている。

 そして、90年代後半のチーマー渋谷、2000年代後半池袋、カラーギャングは、提携した。

 では、どうやって、渋谷の稲川会、池袋の極東会を追い出せたか?

 それは、こうだった。

 この両グループの二人のリーダーは、金持ちの御曹司だった。彼らは、親父、先代を動かした。

 渋谷は、山梨のやくざを、稲川会にぶつけた。そして、その見返りに、ある音楽会社を提供した。

 池袋は、どこの組をぶつけたのだろうか?

 こっちは、解らないのだが。全国のファッション・マッサージのスポンサーを買って出た節がある。 今、日本中に、かつてのキャバレーの代わりに、ファッション・マサージがある。多分、そのスポンサーになったのだろう。

 カラーギャングは、メキシコのカラーハウス、売春小屋からきている。私は、2019年の夏、駒込の酒場で、カラーギャングの幹部三人が、CCRのプアルドメアリーを、歌っているのを、見ている。

 かくして、渋谷、池袋から、在日系やくざ組織は、いなくなった。

 以上。ご報告方々。

 おっと、これには、後日談がある。それは、今度は思わしくないもの。

 この正義のチーマー、カラーギャングは、いけないものも持ち込んだ。

 それは、MDMA。

 エクスタシーというやつ。合成麻薬。性感を高める快楽薬。いけないものを広めた。その最大の広がりは、渋谷、池袋のガングロ文化。90年代、2000年代のもの。

アーメン。