【特別寄稿】コラム①藤牧義夫 モダン都市東京に江戸は蘇ったのか!!

矢崎秀行

 藤牧義夫(1911~35年9月2日失踪)『ENOKEN之図』1934年

 

「ENOKEN之図」は謎めいた作品として以前から研究者の議論を呼んでいたという。

 この図は1934年9月27日、浅草松竹座での新版画集団展覧会にちなみ、当時のエノケン一座公演をテーマに製作された。描かれた主は、当時一世を風靡していた喜劇役者、榎本健一。

 けれどもその顔は、コメディアンと思えない凄まじい形相で闇の中から逆光を浴びて浮かび上がっている。モダン都市を描いた他の藤牧作品とは明らかに異質な、この謎めいた作品は、いったい何なのだろう。

藤牧義夫「赤陽」(東京国立近代美術館蔵)


 藤牧と同じ版画家で文明開化の明治に光線画を描いた“最後の浮世絵師”小林清親は「ガス燈のまばゆい光の中に、逆説的に江戸空間の深い闇と陰翳を蘇らせた」と、かつて評されたことがある。

 エノケン図をジッと見ていると、藤牧にも清親に類似の“逆説的な”ダイナミズムが働いたと仮定したい誘惑にかられる。人工照明煌くモダンな浅草に深く感応していた藤牧が、あたかもポジがネガに反転するように、浅草芸人エノケンの顔に江戸を浮かび上がらせたという可能性である。

 研究者によるとこの時期藤牧は、歴史感覚を入れて創作を始めていた気配が濃厚にあるという。確かに同年6月発表の代表作「赤陽」では川のような上野の大通りに明らかに時の流れが投影されているし、何よりも同じ9月には時間を川に仮託したと思しい「隅田川両岸絵巻」にも着手していた。

 エノケン図が過去に誘引されているとすれば、ポイントは直接的にはやはり浅草という場と芸人だろうと思われる。浅草は1930年代モダン都市東京随一の歓楽街であると同時に、江戸の一大「悪所」であった。浅草寺裏、浅草猿若町には芝居小屋が立ち並び、そのすぐ裏には遊郭・吉原もひかえていた。浅草には濃密な時間と、庶民の喜怒哀楽の記憶が幾重にも積み重なっている。

藤牧義夫ポートレート


 浅草の地に染込んだ重層的な生々しい記憶が芸人エノケンを媒介として、そのルナティックで複雑な表情の中に一瞬蘇えったのではないだろうか。
 
 昼、モダン都市空間を照らしたのは確かに明るいオレンジ色の太陽だったかもしれないが、黄色い月が照らす夜の浅草六区で、突如反転した時間と空間は、深くて濃い江戸の闇にまで繋がったかもしれないのである。(評論家 矢崎秀行)

写真:藤牧義夫「エノケン之図」
   藤牧義夫「赤陽」(東京国立近代美術館蔵)
   藤牧義夫ポートレート