『夢十夜』で漱石を癒す(3)

原田広美

 


*第四夜

 「広い土間の真中(まんなか)に涼(すず)み台のようなものを据えて、その周囲(まわり)に小さい床几(しようぎ)が並べてある。台は黒光に光っている。片隅には四角な膳(ぜん)を前に置いて爺(じい)さんが一人で酒を飲んでいる。…」夢の語り手は、夢の中では子供であった。

 

 夢の語り手は、夢の中では子供であった。

 

 「第四夜」は、人から「食い込まれたくない」爺さんの夢である。しかし「食い込まれたくはない」が「周囲の注目は浴びたかった」爺さんは、手ぬぐいをよじって「蛇にする」と言い、子供達の関心を引きつけたまま、どこまでも真っ直ぐ歩いて河に入った。そして「とうとう上がって来なかった」。あっけにとられた子供の視点が夢の語り手である漱石の視点だが、実は爺さんの方も、漱石が自覚していなかった自分の分身であるだろう。

 


 爺さんは、人とのやり取りに応じようとせず、おかみさんの問いかけに対してもはぐらかす。なぜなら、おかみさんの態度は「受容」的ではなく、「食い込む」態度だったからだ。爺さんはそれを無意識のうちに怖れている。そのかわり爺さんは、自分から人を詮索しない。束縛もしないだろう。「人に食い込む」のも、「食い込まれる」のも苦手である。しかし、やはりコミュニケーションが何もないというのでは、寂しかったのであろう。

 

 つまり人と親密にはなれないが、寂しいので「注目を引きたい」。そこで人との親密度は深めずに、「引きつける」か「引きつけられるか」の関係の構築、ということになる。だから、爺さんは奇妙で面白い物言いや身のこなし、笛に歌、それに手ぬぐいを蛇にするアイディアなど、自分の持てるものすべてを動員して、子供達を「引きつけ」る。そして、観衆を川べりまで引っ張って行った。俳優などにも、こんな性質で成功する人もいるだろう。

 

 夢の中の子供は、爺さんに「引きつけられて」行ったが、それは子供の側にも「引きつける」「引きつけられる」の同じモードが、内在していたからだろう。

 

 「引きつける」か「引きつけられるか」は、裏表一体で、どちらがその人の特徴として表立っているかという問題はあるにせよ、片方を持っている者は、たいてい隠し味として、あるいは無意識的な一面として、もう片方も持っている。そのような構造的な観点から考えれば、この爺さんの中にも漱石を見ることができそうだ。 

 

 おそらく漱石は、自分の内面に「食い込んで」くる人は苦手だった。「第一夜」の女は、女から言いかけたが、夢の語り手の内面には「食い込んで」は来なかった。ただ「私を分かって下さい」の一方通行的な「謎かけ」だったので、「分かってあげる」余裕があったのだろう。  

 

 また、とにかく夢の中のおかみさんのようなコミュニケーション・モードを持つ人から、自分勝手な基準で「食い込まれ」て詮索されるような「分かられ」方は、ごめんだったのだろう。だから夢でも、「私をこのまま分かって下さい」の爺さんに、「そのまま分かってあげましょう」の子供達がついて行く。おかみさんだけは「食い込む」「食い込まれる」のモードで違っているから、爺さんのパフォーマンスにはついて行かない。おかみさんはあくまで自分の土俵で、人を理解する。

 

 漱石は、深層に「分かってあげたい・もらいたい」のパターンを持った、寂しがり屋の人なつこい人だった。しかしその上に「コンプレックス(劣等感)」が覆い被さっていたために、人間関係は、上下の関係になりがちだったと思われる。上下関係といってもイヤイヤの服従ではなく、丸ごと尊敬するか受け入れるかという、深層の「トラウマ」に触れずに済む付き合い方である。

 

 漱石は、丸ごと自分を受け入れてくれる兄貴的な人や、自分が敬愛できる先輩や同輩、もしくは尊敬できる才能を持つ後輩、もしくは自分を敬愛して慕ってくれる人々と付き合った。このように心からの尊敬を介しての、安心で気さくな関係を求めた漱石は、自分が尊敬できる相手を求めるだけでなく、常に自分も尊敬されるだけの基盤を作って置く必要があり、それが原動力にもなっただろう。

 

 要するに、夢の爺さんはパフォーマンスで人を「引きつけ」、漱石は秀才や文才で人を「引きつけ」た。しかし爺さんは、人と親密になるのを避け、「注目を引く」ことのみで自分の孤独を埋めようとした結果、川にはまって破綻してしまった。漱石が、この『夢十夜』を書いたのは四十一歳の時であり、亡くなったのは四十九歳の時だから、この夢の爺さんのように、すぐに破綻したわけではない。 

 

 しかし文才で「注目を引く」ことに成功し、教師を辞め、一本立ちした作家になった頃から「神経衰弱」は治まるものの、漱石の胃は悪化した。そして遂には、それが命取りにもなっていく。とすると、やはり「注目を引きつづけること」と、命の破綻とは全く無関係であったとも思えない。

 

 とにかくこの夢の表面のテーマは、「引きつけ」られて着いて行くと、「尻切れトンボの破綻になる」という、子供の側の不安である。この不安を解く鍵を持っているのは、おかみさんである。おかみさんは自分の側から自分のペースで相手に問いかけ、相手が煙幕を張ってきた場合は、深追いをしない。漱石は子供の頃から、おそらく、このおかみさんのように振る舞うことは、あまりなかった。それは、このおかみさんが、いわば脇役として、登場することからの推論である。だとすれば、漱石自身は逆に、「引きつけ」の破綻にも付き合わされがちだったのではないか。

 

 そして最後になるが、爺さんの家だという「臍(へそ)の奥」や、「肝心綯(かんじんより)」のように細長く綯(よ)った「手拭(てぬぐい)」、そしてその「手ぬぐい」で作った「蛇」、という三つのイメージが気にかかる。「臍の奥」とは「胎内(たいない)」のことで、「肝心綯」というのは、名前を書いた紙を小よりにして仏像の「胎内」に納めたものに由来する呼び方である。そして、その両者に共通するイメージである「胎内」は、「生命」を育むところであり、蛇もまた一般に、「生命力」にまつわるイメージを持っている。

 

 とすると、「臍の奥」に住む爺さんが手ぬぐいで作った蛇で、子供を「引きつけながら」川に突っ込んで行ったテンションの高さは、やはり生きる実感を求めるエネルギーそのものだったと言えるのではないだろうか。爺さんは、人から対等に「食い込み食い込まれる」親密さは苦手でも、「引きつける」ことで、懸命に生きる実感を求めたのだ。それは初期の作品をものすごいテンションで短期間に仕上げていった漱石の姿とも、重なって来る。

 


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*『漱石の〈夢〉とトラウマ』新曜社より、
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