【特別寄稿】向井潤吉の戦争画について

矢崎秀行

向井潤吉(1901~95)
『影(中国・蘇州上空にて)』1938年
福富太郎コレクション蔵

 今までもっていた漠然としたイメージが変容を迫られ、認識を新たにすることがある。

 向井潤吉のこの絵は、日中戦争が始まった翌年1938年に、陸軍の要請で描かれた。中国蘇州の町は前年37年に日本軍が攻略し既に陥落している。

 向井は戦後、全国各地をめぐり古い藁葺き屋根の民家をくり返し描き続けた。「民家の向井」と呼ばれ、人々の彼の絵に対するイメージは今も圧倒的にそれだろう。時代の進展にしたがって消えてゆきつつあった藁葺き民家への愛惜。

 私自身もずっとそうだったが、「キャバレー王」とかって呼ばれた福富太郎さんのコレクション展でこの絵を見た時、戦前の向井がもっていた絵描きとしての別の資質に気づいたのである。

 この絵は広い意味ではいわゆる「戦争画」である。これを命じた帝国陸軍のお偉いさんたちは「黒い大きな影は、進撃続く日本の覇権を象徴している」と、この絵を見てご満悦だったかもしれない。けれども私はどうしてもこの絵に「不穏な予兆」を感じてしまう。日中戦争の泥沼化、太平洋戦争の惨禍を既に知っているからというのでは必ずしもない。

 この日本軍機の黒い機影は、未来のより一層の惨禍を無意識のうちに取り込んでしまっているのだ。歪んだ低い蘇州の家並み、矩形に折れた揚子江の流れ、何よりも実際よりはるかに、はるかに巨大に描かれた黒い影。それは未来の破滅を暗示してもいるのだ。日本の行く末と中国人の惨禍への予兆である。

 優れた画家の作品には、「未来の時間さえ入り込む」ということを私はこの絵から学んだ。