連載小説『天女』第六回

南清璽

 

「今回の仕儀については、さぞかし蔑んでいるのだろうが。」

 そんな私の物言いに対して、当のKは、こう述べた。

「完全に否定はしないが、お前が悪事をなさなかったんだから、良かったと思っているよ。」

「それは、友情の顕だともいうのかね。」

「そうは取れないか。」

「正直、今更という気がする。」

 互いに笑いをこらえている。それが互いのに表情から読み取れた。こんな風に過日のことを顧みた。

 

 伯爵家のピアノの講師を辞めてしばらくしてK を尋ねたときのことだ。もちろん、Kにことの顛末を告げるためでもあった。それは一つの仁義と思えたからだ。何分、今回の令嬢の出奔では、彼の八ヶ岳の別荘を借りる算段だっただけに。だが、それは若干ながら表向きのことに過ぎず、所以は他にもあった。

 

「とんだ道化師を演じさせられたよ。」

 そう言ったものの、Kは苦笑いするのみだった。もちろん、令嬢から父君に告げられた事も彼には述べていた。

 だが、Kはその事に対して、

「必然性があったと考えているよ。」

と主知的な見解を示すのだった。

 そうして彼は続けるのだった。

「安っぽい評釈はやめておこう。お前はそう見えてなかなか伶俐なところがある。どこか俺がお前に会いたがっていると察し、こうして俺に会いに来たのではないか。」

「相変わらず、冴えているな。察しのとおりだ。」

「そうなら、面倒な探り合いはやめておこう。ある筋からの依頼だ。食客としてピアノを弾ける者を雇いたいという御仁がいてる。なんなら口を利いてやってもいいが。」

 

「都合よくそんな話があるもんだな。」

 私は、どことなく訝しそうな体を作為的にやってみた。もちろん、そんな小賢しいことは難なくKは看破しているのだろうが。だが、そんな私を窘めるわけでもなく、むしろ距離を置いてくれた。

「全くな」

 Kがそんな物言いをしたものだから、それもある意味好意だと受け止めて私は、肯定的に捉えたような笑みを浮かべた。

 

 そんな過日の出来事を振り返ってみた。この背の重み。そして、頬から伝わる温もり。満悦の笑みで令室は、我が背にしなだれているのだろうか。私の回想と共に。

 

 

 好奇の目で見るべきなのだろうか。この場にあって如何なる表情をなすのがふさわしいと云うのだ。本当は、そうしたいところだったが、そんな蔑んだ目で見る訳にはいかなかった。たとえそれがどれ程淫らであっても、その当の本人がお館様である限りは。もちろん、興味が全く持てないものではないが、やはり人前での情事となれば、そうも正視することが憚れるものだが、性として、やはり、そうともいかず、つい横目で見てしまう仕儀となっていた。何分、抱かれている女の醸すものに幾分かの興味を惹かれていたからだ。

 だが、当のお館様は、その様子を見ている私のには頓着せず、ひたすら女の軀を弄んでいた。しかも、向きとして焦燥とも捉えられる具合だった。見様によっては、「貪る様な」というありきたりな言い方で収まるものでもなかった。一つには、女は何も感じていない様な程であるばかりに、お館様の営み自体が空回りと言うべき次第に思えたことだろうし、それが、玩具を生き物と見紛いじゃれる犬の様にも感じられたからだ。

 こんな不感症ともいえる仕儀に、私と令室との性交渉に共通する感を見出していた。やはり同じく、一つの意地から来ているのではと自己流の考察を施していた。もちろん、そうなるのも何らかの事情が存するだからのだろうが、私と同じ様に意地、それ以上に何らかの自負があればとも思いたくあった。

頓狂でもあったが、一面しおらしくもあった。情事において女に恭悦をもたらすのが男の勤めだ、当のお館様にはそんな想いがあったはずだ。そうなれば、この天蓋が施された寝台を設えた意味も推し量れるというものだった。

 

 私は、食客の身でありながら、このお館様とお呼びしている御仁に敬いの気持ちが持てなかった。ただ、時おりしおらしく思えることもあった。その二つの目が醸すそれを。お館様は目計頭巾をしていた。何でも子どもの時分、患った疱瘡で痘痕顔になってしまい、それを覆い隠すために頭巾被っているのだそうだ。

 もちろん、頭巾から窺えるのはその眼だけだったが、思いの外、虚ろな面がないというか、むしろ、表情が豊かであったというべきだった。一つにはあどけなさとも取れるものだった。

 だが、私には稚拙さにしか捉えられなかった。単に精神を深化できなかったのではと推察している。ご自身に確かめた訳でもないが、幼少のみぎりの疱瘡のため学校へは行かず、やむなく家庭教師を雇っていたと聞いたことがあった。もちろん、通常の学校生活である、他者との交わりが無かったため葛藤が生じなくなったのが、精神を深化できなかった理由であることは十分に窺えた。

 だが、私がこんな具合にお館様を蔑む次第になったのは、何もこの事象だけではなかった。

 然程でもない事を「凄い」と時おり言ってくるのだった。もっとも、それについて波長を合わせて、共感を表情に出すのが苦手であるばかりに、つい気のない返事になってしまった。

 私は、そんな自身を意識するからか、それを悟られまいとし、つい慇懃な振舞いを取りがちになってしまった。だが、一方でそこに作為がある事に気づいていた。一つの蔑みとして。だが、そうであるにもかかわらず、お館様は単調にそれを悦ぶのだった。そうして、例のごとく私が感心を持てそうもない、昨夜のあの女性、すなわち、「天女」と呼んでいるこの女性との営みについて語り出すのだったのだが、そういうときに限って、気のない返事をすると、解らせようとして話が長くなるので、大袈裟な身振りで首肯したのだった。だが、それは、事の次第を思わぬ方向へと導き、私の眼前で情を交わしてみせると言いだしたのだった。

 

 一連のというべき施し、それを終えると、お館様は、天女、いやそう呼ばれていた女性と重ねていた軀を起こした。こうして、頭巾からのぞかしたその目で、私にこのことへの所感を述べる様に促した。

 だが、言葉の選びようが難しく、その上、人前で情事を行うことにうべなうものなど何もないという思いもあり、沈黙保つことになった。もちろんはしたなさは感じていたい。だが、私は、天女が、そういったことが晒されることへの憐れみを忍ばせることができなかった。

「どうした? いつものインテリゲンチャ気取りか。」

「申し訳ありません。」

 お館様の問いに対しては、こんな風にはぐらかすしかなかった。だが、どちらかというとこういうはぐらかし方は嫌う質だったので、その不快さを露わにした。そうした折り、私に何か御厨から間食でも持って来る様に命じてはくれまいかと、その貌から目を逸らしつ願うのだった。

 そんな中、天女は冷めた表情を保ち続けていた。と共に気がかりだったのは、天女が、どこまでもお館様に媚びないことだった。むしろ、お館様が腹いせに、彼女に乱暴な狼藉を施さないかという懸念を懐かせた。されど、そうとはいえ、一向に天女に意見しようとは思わなかった。仰々しい物言いをするのであれば、尊厳さを感じていたからだと。もちろん、もし、ここでお館様に単に媚びる様に云うのは、ただの太鼓持ちの所業に過ぎないからだ。

「何も言わんつもりか。」

「申し訳ありません。」

 この類のお尋ねには応えないつもりだった。きっと私のこういった態度に対し、心底において蔑んでいると気づいているであろうから、一旦、発作が起これば暴行に及ぶこともあった。だから内心は怯えていた。頭巾から見えるお館様の薄笑い。何か思いついたのだろうか。

 

 出血していた。傷口を手で押さえたとき、その手に血が付いていた。お館様は不意に錫杖を持ち出し、私の頭頂部にそれを見舞ったのだ。しばらくは、その場にうずくまったが、幸い疼く様な痛みはなかった。それから察すると骨には異常ない様だ。だが、出血は止まらず、額に血が幾分か流れているのが分かった。

 だが、このままうずくまるのがいいのか,それとも立ち上がった方がいいのか。お館様のその手にはまだ錫杖があった。更なる一撃があるかもしれない。ならば立ちあがろう。その方が振り下ろされる錫杖に対して、身を躱すこともできようというものだ。一方で、どういった表情を繕いお館様に対峙すべきかを考えた。薄笑いでも浮かべてみるか。幾分とも不気味さを醸せば、お館様はそれに慄き気持ちを落ち着かせるかもしれない。いや、それとも凄みを出すか。眼光鋭く睨んでみせるという具合に。この手の御仁は、存外にこんなことでも恐怖を覚えるたちかもしれない。

 私はお館様に対峙した。そうして鋭い眼差しで御仁を見つめた。

「どうです。お気は済みましたか。」

 お館様は、何も語らず、その場に錫杖を投げ出し部屋を出た。どうやら狼狽の色は隠せなかったようだ。ろくすっぽ私の顔を見ようともせずに。もちろん、お館様の言葉など無用なものだった。正直、何も言わないでこの場を去ってもらったのは幸いだった。もしかしたら、ものの言いようによっては、お館様が自身の言葉の連想から、あらたな謂れのない怒りを私へぶつけるかもしれなかったからだ。

 大概は、私の蔑む態度に発していた。お館様は、それを察しその怒りを向けた。時として狼藉を行う。これは、お館様への一種の復讐でもあった。未来永劫に続く、一連のものとして。そう、蔑まれ、それに対し、怒り、狼藉を働かすという。それから抜け出せない自身に苦しんでいるのに気づいているに違いない。そう思わない限り、私の気がすまない。