夢日記『番号』

ゴーレム佐藤

 玄関のドアにぶらさがる番号札、いつから下がっているんだろう。

 部屋番号とは全く別の番号が手書きで書き記してある。となりの部屋をみるとやっぱり手書きの番号札がぶら下がっている。その隣も向かいも13桁の数字がぶら下がっている、連番でもなければ何かの規則あるとも思えない、ランダムな数字の並びがある時から全ての部屋の外にぶら下げられている。

 気持ちが悪くなって、ノブにかけてあるだけのその札を取り去りゴミ箱に捨てたこともあるが、翌日にはまたぶらさがっている。誰がさげに来るのか監視してみたこともあるがいつもふと気を抜いた瞬間にいつのまにか新しい札がさがっているのだ。マンションの管理人に苦情の電話をいれたこともあるが、いつも札の話になるとうまくはぐらかされてしまう。何か知っているようでもあり全く感知してないようでもあり何の手応えもない。

 しかし、そんな日々が一ヶ月も続くとすっかり日常となってしまい、番号札のことは気にならなくなってしまった。うっかりノブから落としてしまっても必ず元にもどされているし、汚れてくると新しい札に交換されているのだった。

 そんなものは最初からなかったように……いや違う、そんなものは生まれてこのかた呼吸をするようにずっと存在していたかのように、もうすでに思うこともなくなったある日のことだった。

 向かいのマンションのちょうど同じ階。そのベランダの手摺に雨ざらしの番号札があることに気がついた。よく見るとその向かいの部屋だけではなく、マンション全体どの部屋のベランダの手摺にも札がぶら下がっている。いままで気がつかなかっただけなのだろうか? ふと自分の部屋のベランダの手摺にもないか調べてみるとそれはちゃんと存在した。よく考えればベランダの手摺に気がつかれぬように札をぶら下げるには、ビルの窓拭きのように宙吊りにならなくてはできないわけで、それは驚きの事実であるはずだったが、整然とならぶ番号札というものに慣れてしまったのか、さして驚きもしなかった。ずっと遠くの高層マンションを見やると、やはり、47階から下までずっとどの部屋のベランダにもぶら下がっていた。街を埋め尽くす手書きの番号札はその意味を問われることもなく日常を形作る一部となっているようだった。

 しかしながら向かいの部屋の札が気になったのは、札がぶら下がっていると言うことではなく、やけに見慣れた札のように思えたからであった。ぼーっと見ていた向かいの部屋だが、ふと気がついた。13桁の番号が僕の部屋にかけられたそれと同じなのだ。あわてて他の部屋の札も見回してみるが、判別できる限りの札に同じ番号はなかった。

 奇妙な一致。

 それ以上の何ものでもなかったが、やけに気になって寝付けない夜が続いた。

 ある日、嵐のような豪雨の晩の翌日、無性に気になって朝早く起きるとベランダに出て向かいの部屋を見た。やはり夕べの嵐で向かいの部屋の番号札はどこかへ飛ばされていた。

 僕は意味のわからない焦燥感に襲われ、いてもたってもいられない気持ちで一杯だった。自分の部屋のベランダにぶら下がっている札もあとかたもない。あわてて玄関を出てドアをみるとそれはちゃんとあったのだ。妙な安堵感とともに、玄関は吹きっさらしじゃないから落ちる理由はないよな、と思い部屋へ戻りまたベランダへと向かう。するとそのわずかな時間の間に、向かいの部屋のベランダにも僕の部屋のベランダにもちゃんと新しい番号札がぶら下がっているのだ。驚きよりも安心感のほうが強く、気分も晴れ晴れとしてまた向かいの部屋を見ると、まだ朝早いのに向かいの部屋の住人らしき人がベランダに出てぶらさがっている番号札を確認していた。ああ、よかったね、よかったわ。ふと視線があった向かいの部屋の住人とそんな交感が確かにあった。

 それ以来、毎日向かいの部屋のベランダをチェックするのが日課となっていった。

 ある日気がつくとその番号札に変化があった。なにやらポケットのようなものがついているではないか。よく見るとそういったポケットのついた番号札は僕の部屋のものと向かいの部屋のものだけだった。急いで玄関に出てノブにぶら下がった番号札を見ると、こちらにもポケットがついている。なにか入っているのか入っていないのか、そのポケットに手をいれてみると紙片が触れた。そっと取り出してみると、四つ折にされた便箋であった。僕はそれをゆっくり開いてみると迸る文字の渦に巻き込まれてくのであった。そこに書かれている文字は…はっきり言って何が書いてあったのかまるで憶えていないが…僕を感動させ緊張させ喜ばせ笑わせ、なにか有頂天にさせるに足る何かであった。何が書いてあるのか意味は不明なはずなのに何度も何度も見返し(読み返したわけではない)気付いたのは、番号札にかかれた13桁の数字と同じ筆跡だということだった。あわててベランダに出てみると向かいの人もベランダに居て、その手には紙片があった。僕も握りしめた便箋を彼女に見せるように手を突き出した。ああ、きみもか。ありがとう。

 その夜は興奮して眠れなかった。

 彼女はいったい何を手にしてたんだろう。誰からの手紙なんだろう。僕の持っているこの手紙はいったい誰が書いたんだろう。手紙?気になって明かりを点けてまた見直してみるが、何が書いてあるのかさっぱりわからないのは同じだった。何度も何度もいくら見ても、まるで読もうとする僕を遠ざけるかのように、さっぱりわからなかった。手紙?だいたい、文字が書いてあるなら読めるのじゃないか?最初の一文字はなんという文字だった?そう思って見直してもまるでわからないのだ。

 すっかり寝不足のまま朝を向かえ、悶々としながらも片手にその便箋を握り締め、僕は階下へ降りていった。足は自然と向かいのマンションへと向かっていた。何をしようとしているのか自分でもよくわからなかったが、とにかくそれしかないと思い込んでいた。

 決して驚きはしなかった。

 前から歩いてくる女性は右手に紙片を持ちまっすぐこちらへ向かっている。お互い急ぐでも焦るでもなく、ごく自然に歩み寄り挨拶を交わすかわりに、立ち止まりお互い持っていた紙片を差し出した。

 二人ともそれを受け取り、もう知っているよ、そうね知っていたわ、そんな交感をしたような気になって、受け取った紙片をゆっくり広げる。そこにはあまりに明確に表現された僕の気持ちが確かにあった。それは彼女もそうだったに違いない。二人して同じような表情で、たまに視線を交わしながらいつまでもいつまでも読んでいた。それは陽光が頭上を通過し月光が表情の陰影を映し出すまでになっても終わらなかった。

 僕はその見慣れた文字をいつまでも追い続けた。時に激しく雑になり、時には柔らかく優しくなる、自分自身の筆跡に間違いのない文字の羅列にいつまでもいつまでも飲み込まれ続けていた。

 

(夢日記)

ゴーレム佐藤の叫びチャンネル
https://www.youtube.com/@arthursatoh