猫とピアニスト

野原広子

 


 19年3ヶ月暮らした飼い猫の三四郎が亡くなって、もう4年もたつのね。その前後に弟と父親、母親が立て続けに亡くなったので、悲しいとか喪失感とかにひたっている間がない。

 

 それが先日、YouTubeで辻井伸行くんのラ-カンパネラをなんの気なしに聴いたら、ふいにあるシーンがよみがえってきたの。

 

 ミレミアム直前から15年住んだ本駒込の古いマンションはだらだらした坂を登り切ったところの4階だての4階。エレベーターなしで、1階は倉庫と駐車場。2階から4階までが階段を挟んでワンフロア2軒だけの住居。その東向きの4階が私の部屋だったの。

 

 それまで青山の極小マンションに肩をすぼめて暮らしていたので、6畳二間に無理すればダイニングテーブルが置けるキッチンはすごく広く感じたの。それに何より気に入ったの東に向いたベランダからの眺めでね。掃き出しに座って、当時はまだスモーカーだった私は毎朝、煙を吐き出していたっけ。さらにさらに南北にも大きな窓があって、キッチンとバストイレにも窓。風通しがいいなんてもんじゃない。

 


 この眺望がのちに困ったことになったがそれはともかくよ。大げさにいえば天空の部屋だから、音が空に抜けて聴きたい時に聴きたい音楽を聴けたわけ。

 

 ある日のこと。CDプレイヤーの棚の下に飼い猫の三四郎が耳をピンと立てて座って動かないのよ。5分、10分。いやしかし、こんな姿、初めて見た!

 

 ヤツはここに引越してすぐ、生後3週間の乳飲み猫の状態でもらってきたんだけど、性格は野性そのもの。日に何度もパトロールに出かけて、そのたびにドアを開けろと目で合図する。水は水道の蛇口からポタポタたれるのしか飲まない。ご飯もマイブームがあって、気に入らないと私の手を骨が軋むほどかむ。ま、人間ならDV男だよね。

 

 そいつが身じろぎもしないでピアノ曲を聴いている? いやいや、まさかまさか。が、数日後、今度はテレビの前に座ってピアノ演奏に耳を立てていたの。

 

 ピアニストはどちらも辻井伸行くん!

 

 まさかと思ってその後、何人かのピアニストのCDをかけたけれど、反応するのは辻井伸行くんだけなんだよね。

 

 猫の聴力は人間の何十倍というけれど、聴き惚れる、なんてことがあるのかしら。それを知りたくて一時期、辻井くんのCDばかりかけていた。ところが三四郎はすぐに〝正座〟では聴かなくなり、ぐるんと体を丸めて半寝状態。いつの間にか私の観察熱も冷めていった。

 

 あれからずいぶん長い時間が流れて、亡き三四郎のことを思い出すこともなくなっていたのに、ピアノの鐘の音を聴いたら、もう、完全にふいをつかれたね。

 

 そういえば見晴らしのいい部屋は夏になると遮光カーテンをすり抜けてカミナリの光線が縦横無尽に入ってきてね。雷が枝分かれして飛び散るさまが、まぶたの裏に焼きつくんだよ。怖いなんてもんじゃないって。

 

 それで私が布団をかぶると三四郎も押入れの天袋から飛び降りてきて、布団の中の私の足にしがみついた。

 

 それがだんだん老いて天袋から飛び降りることもなくなり、病院通いが増えていったっけ。やだ、ハートの形に白抜した背中の毛並みや、「にゃーっ」という鳴き声がやけにリアルに聴こえてきたわ。

 

 あーあ、今夜はヤツのことを思い出して泣こうかな。