『トーテムとタブー』 付 フロイトの思想形成の謎

田高孝

フロイト『トーテムとタブー』

どうしても、この本が、気になる。個人的には、人類学のきっかけとも思うし、近年的には、ジラールが、再考していて、重要視している気がする。別に、人に影響されて読んだ覚えはない。本家、精神分析として、かなり以前に、読んでいた。人文書院版の「フロイト著作集3」に在る。140頁位の中論文と思う。そのうちの4分の3を読んだと記憶している。拙く要約すると、皆、或いは、後の人の向学心を奪ってしまうのでいけないのだが、話の先を考えると、少し、自己流に、要約したい。

この作品は、膨大な論証で出来ている。一つ一つの証明を、丹念に、反芻しないと面白くないと言っていい。かなり、凝った印象のある本だった。こう言うのを、衒学趣味と言うのだろうか。急ごう。

この本は、最初に、「父を殺す」と言う集団心理に始まる。「圧制的な王だったかは、覚えていない。」次に、王を殺して、秩序が乱れ、その責任をお互いにして、兄弟同士が、殺し合う。秩序が成り立たないので、殺し合いを止めさせる方法として、「トーテム」として選ばれた動物を食う事で、「殺した父の匂いを嗅ぐように、動物の匂いを嗅ぐ」風習が作られた。これが、「トーテム動物」と呼ばれるものの始まりと思う。

これと似ているのが、日本の、恐れ入谷の鬼子母神だろうか。仏教説話だが、神話の一つと言っていいのだろう。鬼子母神は、生んだ息子、生んだ息子を、喰ってしまうので、釈迦が、ザクロを揚げて、子供を食う代わりに、『ザクロ』を食べさせたという。

私の神話学では、「匂い」が大事なのだ。「動物」の革靴の匂いのような世界。父を、殺す代わりとはいえ、動物も殺すのだから、同じ、殺人の反映である、その『トーテム』の世界。そして、殺したものを味わうのは、十分猟奇的であると考えている。

いや、少し、説明を焦っている。『トーテムとタブー』は、動物による殺人の再現を結論としているが、その動物を殺して、喰うという文化と、革靴の世界は、「匂いの世界」として、昇華の世界として、「父の世界」であるとして、違うという事自体が、可笑しいか。われわれ、タントラ・ヨガ学では、「足の世界」は、何時も「父の世界」なのだ。しかし、ここで、問題なのは、フロイトの「父殺し」=「動物殺し」ではなく、「革靴」=「父の匂いの世界」である。

私の混乱を解こう。フロイトの場合、「動物」を殺して、「食べる」ので、猟奇的で、私達の場合は、確かに動物を殺さねば手に入らない革靴だが、「文化」へと昇華していると言っていいはずである。我々は、「動物の革靴」の「匂い」を嗅ぐ時、「良い匂い」と思うし、このフロイトの言う「トーテムとタブー」は、「その動物を食う時に、人の肉を食う事を思いだす」のである。これは、異常なことである。

もう少し、本題へ迫ろう、まどろっこしい。『トーテムとタブー』は、「動物を殺して、動物を食べることで、人間を食べること」を思い出しているのだ。この再現が、異常なのだ。この一見、文化的に、再現「味合う」ことが、「自然―直接」であることの可笑しさがあるのだ。簡単に、言おう。動物の「再現」で、「人間の肉を食う」という可笑しさなのだ。勿論、「人間の肉を食うのもおかしいこと」なのだが、「人間の肉を食えるのは、人間の肉を再現で、食えなければ、出来ない」と言う文化法則が有ると思う。これは、ジャック・デリダの知恵だが。これが、フロイトの言いたかったことでは、無いか。もっと、簡単に言おう。「人間の肉を食える奴は、既に、人間の肉を食ったことのあるやつである」、という法則が、あると思う。これは、ジャック・デリダが、文字に言ったことを、犯罪に当てはめたのである。『再現』で、「人間の肉を食える奴」とは、「ゆっくり、落ち着いて、人間の肉が食える奴」と言う意味だ。これは、言語の下にイメージがあるとか、アニマが有るといった基本が、無くなっていると言っていい。『トーテムとタブー』とは、そう言う本である。そこに書かれている、非人間の世界とは、そう言う事になる。これは、男と女の対立ではない。一方的な、男の側からの女性への攻撃性を生むだけなのだ。内なる異性を否定すると、外なる異性を否定する可能性が、生じる。これを殺人ともいう。

さて、この気色の悪い世界像を、少し、清掃して行こう。

そして、フロイトも、清めて置く。この本、『トーテムとタブー』は、「父を、殺し」(主体)、「兄弟を殺し」(主体)、「動物で、再現味わい」(客体)、「日常へ戻る」(主体)と言う4層錠と言える。やはり、最大の問題は、『客体』「再現」「味合う」の問題かと思う。しかし、統合失調症は、「客体」だが、また、別の地平を持っている。「そのあくどい展望を、自分へ使えば、統合失調症に成れる」なのだ。この逆転をしてくれるのが、「フロアー」だと良いのだが。(私のような、積極的フロアーの様に)(185号のケース)統合失調症に成るきっかけは、かなり、色々だね。勿論良い人には、良く、良くない人には、良くない。私は、統合失調症を、救済の様に言ってしまったな。随分。私の調子良さを、戒めて、置かねばならないね。

『その分析は、在る破壊によって可能である。』(私の言い方)『結晶は、壊れた時に、認識される。』(フロイトの、言い方)「フロイトは、地獄から、宝を、持って帰ってきた。」(レインの言い方)「そういう人間は、失われる。エネルギーだ!完璧さだ!」(ドン・ファンの言い方)「人には、それぞれ、ゴールが、在る。」(大師の言い方)「集合点の移動は、自然に収まる。」(再び、ドン・ファンの意見)

フロイトの思想形成の謎(生涯で、43人患者を診た)

1856年   生まれ

最初は、脳神経学者として、コカインからモルヒネを生成する技術者だった。それは、後に歯医者の麻酔薬になった。

1895年(39歳)   ブロイラーの原理で「ヒステリー研究」をした。精神分析の大半は、ブロイラーが作った。

       世間の顰蹙を買う;医師免許はく奪

       ヒステリーの原因が、幼児期の強いられたセックスと発表。

1900年(44歳)   「夢判断」発表―エディプス・コンプレックスの発見。(ユングの証言)

       フロイトの唯一の発見。「夢=エディプス・コンプレックス=神経症」=謎

1905年(49歳)    ドラの症例

         機知(1905年)       

         ハンス坊やの症例(恐怖症)

1911年        シュレーバーの症例(パラノイアの完全な分析

         ねずみ男―狼男の二大「強迫神経症」症例(ヒステリーより難しかった)

1913年     トーテムとタブー

1915年   抑圧(完成-神経症理論の)

1916年(60歳)    「精神分析入門」ー全部の検討を終えて、入門書を書いた。

         フロイトは、神経症のすべてのパタンを知った。