マミのA4一枚、こころのデトックス (3)

矢野マミ

7. 多いですか?少ないですか?誰に聞いたら良いですか?

 特別な職業に就いているわけではないが、ふと気がつくと、周りに自死、変死した人が何人もいた。

 普通、平均して何人くらい自死した知人がいるのだろうか? ちょっと多すぎないでしょうか?

 

≪直接話したことがある人≫

・特別に親しかったわけではないが、一緒に出掛けたりご飯を食べたりしたことはある高校・大学時代の知人。彼女は他の大学に転学し、卒業間際に亡くなった。医者の娘だった。

・高校3年で亡くなった少女。進路のことで悩んでいたのだろうか。

・車の中で練炭心中した二十歳前後の少女。彼女とも言葉を交わしたことがある。

・研修で偶然同じグループになった笑顔が爽やかな好青年。年度末に勤務先の倉庫内で自死。

・限りなく自死に近い事故死。正月に自宅で酒を飲んでいて階段から足を滑らせて亡くなった男性。

・同じくほぼ自死に該当するだろう、冬期にシャッターを降ろした自宅の車庫の車内で音楽を聴いていて亡くなった男性。奥さんと喧嘩して車に避難していたそうだ。

 

≪直接話したことがある人≫ 未遂者として、二人。

・ビルの屋上で逡巡しているところを助けられた女性。

・オーバードーズから生還した女子高生。

 

≪直接話したことはない。知人から聞いた話(知人の家族または知己)≫

・不登校だった娘が大学生になったが、就職を前に自死。

・職場のエースだった人が地方に転勤後に自死。

・○○君(子どもの同級生)の母親は自宅浴室で自死した。

 

「死んだ子の年は数えるな」とよく言われるが、葬儀やお通夜に列席してもしなくても、お墓にお参りしていなくても、何十年も経っても時折、彼ら、彼女らのことを思い出す。特別親しかったわけでもないのに、人生の短い時間、空間を共にして短い会話を交わし、突然ふっといなくなった人に対して、心を込めて冥福を祈る。そして自分が生かされている奇跡に感謝する。

 

 祖母は、約50年前に一人で亡くなった。「孤独死」という言葉はまだなかったが、間違いなく「孤独死」だろう。一緒に住んでいた息子家族が地方に引っ越した数か月後に、都内のアパートで独り、亡くなったのだという。人は、寂しいと本当に亡くなってしまうのだと思った。

 祖母の死を、私は長らく「布団の中で穏やかに最期を迎えた」と思っていたが、50年後にふと気づいた。それは違うだろう。最近の孤独死のニュースを聞くたびに、現場は凄惨なことになっていたのではないかと思い至るようになった。検死には警察も来ていたらしい。父が上京して遺体の確認や火葬など執り行ったはずだが、祖母の死に関しては家族には一言も語らず、父も既に亡くなった。

 きっと、語りたくないこと、語れないことがたくさんあったのだろう、と今は推し量っている。

 

 月並みな言葉になるが、助かった人は、命を大切にして今の人生を生きてほしい。

 

 

8. バビロン再訪

 

 年下の友人に誘われて、映画『BABIRON』を観て来た。友人とは、どちらからともなく誘い合っては折々の話題作を映画館で鑑賞し、その後に行きつけのレストランで食事するのが何となくの習わしになっている。今回は「ラ・ラ・ランドの監督が新作を出したから観に行こう」と声を掛けられたのだ。

 

 本作『BABIRON』では、物語の語り手となる青年を狂言回しに用いて、野心的な若い映画女優の栄光と失墜、彼ら二人の不器用な恋模様、トーキーから時代の転換期についていけなくなった大物俳優の凋落、黒人ミュージシャンの栄光と悲哀、をストーリーの中心に据えている。合わせて映画黎明期のハリウッドの様々な人間模様が繰り返し重層的に語られている。3時間余りの長丁場を一瞬たりとも「長い」と感じさせなかったカメラワークは見事である。

 脇役にも細やかな人物造形、伏線があり、嘘の話を本物らしく見せる工夫でいっぱいの魅力的な映画であった。

 私にとって忘れられないシーンは、映画の本筋とは外れるが「地下4階に降りていく」エピソードである。青年は敏腕プロデューサーとなり、お騒がせ女優に泣きつかれて彼女の賭博での失態を取り繕うため、ギャングのアジトを訪れる。そこで彼らの「秘密の遊び場」に案内され、断り切れずに暗黒の「地下4階」へと降りていく。地下にはありとあらゆる種類のフリークスたちが囚われて見世物にされている。怖かった。階段を降りていくたびに恐怖が深くなり、「地下4階」に何が潜んでいるのか胸がつぶれる思いで見た。(私の予想では、地下4階の部屋は鏡張りで、そこに閉じ込められる=「オマエこそが醜い化物だ!この後一生、そこで暮らせ!」となる…。)見事にハズレました!

 さて、「地下4階」である。

 村上春樹は、川上未央子との対談本『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中で次のように語っている。「普通の作家は地下1階に降りて作品を書く。僕は地下2階まで下りて書く」。もちろん比喩的に。

 

 かつて「地下3階」まで降りて行ったことがある。そこには古い感情が澱のように堆積していた。懐かしい毛布に包み込まれるような暖かく癒される旅でもあった。宝物を得て私は旅から帰還したが、後に同じく大切なものを失った。一緒に行った友人は程なくして重大な代償を払うことになった。友人は私を「化物のようだ」と言い、私は友人に「悪魔!」と言った。20年も昔のことだ。

 

「地下4階」のエピソードに心が震えたということは、「まもなく地下4階に降りて行く」という予感なのかもしれないし「地下4階に行け」というメッセージなのかもしれない。私はそのようにしてシンクロニシティ―を感じ、心の準備をしておく。「地下4階」に行くに当たっては、十分に準備をしておこうと思う。染み出てくる地下水を追いかけて、更に深く潜ることになるかもしれないし、地底のマグマ溜まりまで降りていくことになるかもしれない。マグマからは、流れるマグマの脇で戦うスターウォーズのアナキンや、溶鉱炉に自ら降りていくターミネーターの姿が思い浮かぶ。

 私はどちらなのだろうか? あるいは別の何者なのだろうか?

 

 危険に満ちた「地下4階」から無事帰還して、その物語を書くのが目下の目標である。

 

 

9.お弁当を食べに来る人

 

 職場には「仕事をしに来る人」と「お弁当を食べに来る人」がいる。もちろん、その他にも、遊びに来る人、恋愛相手を探しに来る人、威張りに来る人、時間つぶしに来る人、うわさ話に来る人など、たくさんの種類の人がいるが、最初に挙げた二つが2大勢力だ。

 小学校の算数で習った「ベン図」を描くとわかりやすい。「仕事をする」、「お弁当を食べる」の二つの輪を描いてみる。二つの重なるところは、その両方を兼ねている人だ。何となくウチの職場には「お弁当を食べに来る」のがメインの人が多いような気がしている。

 

 例えば、隣の人。50代後半、まもなく定年。定時に来て、定時に帰る。残業はしない。飛び石連休は必ず真ん中を休んで長期連休にする。余計な仕事は引き受けない。朝来て、PCを立ち上げると、ゆっくりと席を立ち誰かが入れたコーヒーをカップに入れて戻ってくる。社内連絡用の掲示板を眺めながら時間をかけてコーヒーを飲む。それからひとしきりネットニュースをチェックしたのちに、自分の書類を作り出す。お昼になるとお茶を入れて2段重ねのお弁当を食べる。妻の手作りだ。

 春先に一度、何かのことで質問したら「主任を通してください」と返って来た。それから、口を聞いていない。朝「おはようございます」を言って、帰りに「お疲れ様でした」を言うだけだ。反抗期の中学生や倦怠期の夫婦よりも話をしないのではないだろうか。

 質問に答えてくれなかったから自分で調べて仕事をした。それで私の前期の営業目標達成率は75%だった。隣の人は50%だった。でも彼は気にしていないだろう。

 もう一人、管理人さん。彼女は、ある部屋の管理をしている。誰もいない部屋。彼女のために用意された部屋。大勢がいるワークスペースだと彼女が落ち着かないから。数人の小部屋にいたときには、「今、私のこと見ていませんでした? 止めてください。気持ち悪い」と誰彼となくいうので、みんなが閉口して次の年から一人部屋になった。どこの部署にも所属していない。管理職からは「全体を見てください」と言われているらしい。彼女がチームに入ってくると輪が壊れるから。何か用事があって質問に行くと「今から、お弁当を食べるから!」と撥ねつけてくる。それでいて、人が食事をしている時には平気で、執拗に仕事上の確認を求めてくる。

 お弁当を食べに来る人は、何より「自分のお弁当時間」だけが最優先のようだ。

 子育て優先で仕事をしてきた。1時間早く出社して昼食の時間を削って仕事をし、速攻で帰る。自分のお弁当作りは後回しになった。社食もないのでお昼はパンでさっと済ます。ゆっくりお弁当を食べる余裕のある人をうらやましいと思う。過去には外にランチに出かけて昼食に3時間もかける人がいたらしいけど、今やさすがにそんなに優雅な人はいなくなった。

 勤め始めた初期の頃は、もっと面白いおじさんがたくさんいた。きっちり12時に机の引き出しから食パンを1枚取り出し、窓際のトースターで焼いて食べる人。毎日必ず1枚だけ。トースターのジーという音を聴くのが好きだった。机の引き出しに携帯用の小型ボトルにアルコールを隠し持っているおじさんもいた。彼は何か気づいたことがあると、夜に長電話をかけてくるらしい。もちろん酔っぱらって。私も一度だけかかって来たことがある。それは愚痴ではなくて、その日、誰かに押し付けられてコピー機の前で紙詰まりを一人で直していたことを「あれはキミのする仕事ではない」という説教のような慰めのような電話だった。

 

 私もそろそろ本気でお弁当を作って、「お弁当を食べに来る人」になろうかな、と考えている。