新著『現代音楽とメディア・アートの空観無為』のご紹介

小森俊明

 

 先月(2023年1月)、『現代音楽とメディア・アートの空観無為』(TPAF刊)という共著を上梓した。まどか通信フェニックス2023年2月号では、本著についての寄稿を編集責任者の原田広美さんから提案されたのであるが、昨年、岸田政権によって「安保関連3文書」が閣議決定したことを受け、まずは芸術家による政治への関わり方の重要性について急いで書いておきたかった(2月号の『芸術家と政治』を参照)。そこで新著のご紹介は、3月号の本稿においてさせていただきたいと思う。

 本著タイトルにある「空観無為」(くうがんむい)というのは、永井清治(即興演奏家/シタール奏者)、河合孝治(サウンド・アーティスト/著述家)、小森俊明(作曲家/ピアニスト)、織田理史(メディア・アーティスト/哲学者)という4人のアーティストによって結成された即興音楽ユニットの名称(ただし造語)である(「空観」というのは、全ての事象や存在には本性がなく、永続的な自我や実体を持たないという意味であり、「無為」というのは、因縁に因らない不生不滅の存在を指しており、いずれも仏教用語である)。この4人のメンバーのうちの3人、つまり河合孝治、小森俊明、織田理史が今回執筆に参加している。我々4人に表現者として共通しているのは、表現上のプラットフォームを複数有していること、4人が関係する業界の権威主義と中央集権主義に対して批判的な視座を有していること、そして国内外に発表の機会を持っていることである。これらの特徴は、メンバーの一人である永井清治が所属していた日本初の即興演奏ユニット、「タージ・マハル旅行団」のアート界における立ち位置を継承するものであるかも知れない。そして今回の著作においては、これまでに上梓して来た我々の著作以上に、これら3つの共通点が反映していると言って良い。

 本著では大まかに、河合孝治が芸術、仏教について、筆者(小森俊明)が現代音楽、現代アート、現代のダンス(コンテンポラリー・ダンス等)について、織田理史がメディア・アート、現代音楽について執筆している。筆者の現代音楽論は、隣接する他の現代芸術との共通性と差異を参照しつつ批判的に論じたものであり、現代アートに関する論考は、美術家の森村泰昌の仕事の変遷について論じたものであり、現代のダンスに関する論考は、ダンスと隣接する他の現代芸術への言及と交差が著しいダンス作品を中心に論じたものである。なお、各論考のタイトルと目次については、下に掲げたウェブサイトのリンクをご覧いただきたい。そして、ご興味は持たれたかたにはお読みいただけたらと思っている。

『現代音楽とメディア・アートの空観無為』(TPAF刊)