F・パールズ自伝『記憶のゴミ箱』ゲシュタルトセラピー創始者/新曜社/訳者あとがき(前半)

原田成志

 

 本書はフレデリック(フリッツ)・パールズの自伝『In and Out the Garbage pail』の全訳である。1969年にReal People Pressから出版されたが、1992年にThe Gestalt Journal Pressがイラストも含め初版に忠実に復刻している。現在入手でいるのは、こちらの版である。

 

 こんな破天荒な自伝は、そうあるものではない。人生の終わりにあたって、記憶のゴミ箱の中の書かれたいと欲する出来事にはすべて表現のチャンスを与え、パールズが生涯をかえて創り上げたゲシュタルトセラピーをパールズ自身に試してみて、自分の退屈感や喫煙や過剰な自己顕示欲、のぞき趣味などの悪癖にゲシュタルトセラピーがどう効くのかを読者の前に明らかにし、自分をゲシュタルトセラピーの生きた見本にしよう、というのがこの本の趣向である。ゲシュタルトセラピーがパールズに分である以上、パールズの半生と共にゲシュタルトセラピーもまた読者の前に明らかにされねばならない。読者は本書を読みながらパールズの思考の経過や感情の振幅を、葛藤や行き詰まりも含めて克明にたどり、見分ちながらゲシュタルトセラピーのアイディアが生まれ成長する過程を生き生きと追体験することができる。

 

 実は人生を回想しながら文章を書いている時の状態は、ゲシュタルトセラピーで言うところの中間領域に属していて、今を生きていないし、体の感覚からも離れている。何とかそこから逃れ、今を生き生きと生きようとして、パールズは文章をリズムに乗せて詩のように歌おうとするのだが、すぐ堂々めぐりの壁にぶつかり、人との出会いを避け、ただリズムに乗って自分の中をぐるぐる回るだけの自己満足に陥ってしまう。そこからパールズのさらなる苦闘が続いてゆく。

 

 自分に正直に、読者を退屈させないように、ゲシュタルトの理論になるべく忠実に、自分を退屈させないように、綱渡りは続いていく。

 

 パールズは自分の性的な嗜好や両親の不和、妻や親族の欠点なども容赦なく書き出しているが、その正直さがパールズを実に身近に感じさせてくれる。

 

 本書の中でパールズと、ゲシュタルトセラピーの基本理論である内部領域、中間領域、外部領域での気づきや、コンタクトの理論、4つの抵抗システムであるプロジェクション(投影)、イントロジェクション(取り込み:鵜呑み)、レトロフレクション(反転行為)、コンフルエンス(融合)などについて分かりやすく説明し、どの点がまだ上手く理論化できていないのか、どんな可能性が残されているのかについても述べている。パールズの日本での禅の修行体験や禅僧との公案をめぐるやり取りも実に興味深い。ゲシュタルトセラピーを学ぶ者にとって本書は格好の入門書となっている。

 

 1964年にエサレン研究所に移り住んでからのパールズは、知性による感情の抑圧、ごまかしを警告し、ワークの中では質問や議論を嫌い、感情を表現することを強く求めたが、本書を読んでわかるのは、パールズが優れた知性の人であり、パールズの頭の中では量子力学から政治体制に至るまで、常に議論や考察が行われていたということだ。

 

 途中ひんぱんに会話の形で登場する声は、パールズのワークの中ではトップドッグ(勝ちイヌ)とアンダードッグ(負けイヌ)と呼ばれ、自分の中の「~するべき」と命令するパートと「~できない」あるいは「やります、もし~してくれれば」などといって怠けようとするパートを表している。これらはフロイトの精神分析における超自我と自我に対応している。ゲシュタルトセラピーにおいては、どちらか一方を排除するのではなく、両方の声を自分の中に統合し、両者を生かすことが大事であると考える。どちらも大事な自己の一部分だからだ。

 

 本書は一方で、ユダヤ人知識人による優れた歴史の証言にもなっている。第一次大戦の西部戦線フランドルの塹壕戦と毒ガス戦、軍隊内のユダヤ人差別、中流下層のユダヤ人家族の生活と教育、ナチスの台頭とユダヤ人社会の反応などが、パールズの実体験を元に生き生きと描かれている。パールズはいち早くナチスによるユダヤ人虐殺を予見し、一刻も早い脱出を周囲のユダヤ人や親類達に訴えたが、聞き入れられなかった。「当時のユダヤ人達が根拠のない楽観主義を改め、財産や親戚を捨て、未知の土地で生きる勇気さえ出せたら多くの人は助かったのに」、とパールズは残念がっている。ユダヤ人にも選択のチャンスはあったのだ 

 

「私は私のことをやり、あなたはあなたのことをやる、

 私はあなたの期待に応えるために生きているのではないし、

 あなたは私の期待に応えるために存在しているのではない」

 

 で始まる有名なゲシュタルトの祈りの詩は、時に個人主義的すぎるとして批判されるが、その背景には、ドイツから逃げたパールズは生き残り、「逃げるように」との勧めを受け入れなかった親類はすべて強制収容所で殺されたという現実がある。まさに、生き残るために私は私のことをやらざるを得なかったのである。その結果の残酷さだからこそ祈りなのだ。(後半に続く)

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*パールズ自伝『記憶のゴミ箱』(原田成志・訳/新曜社)他、
原田成志の本
https://bit.ly/47dcevW