連載小説『天女』第二回

南清璽

 この日、令室は、ハ短調の楽曲を所望された。当初、ベートーヴェンのピアノソナタをと考えたが、独逸国の留学時に楽譜として手に取ったシューベルトのピアノソナタが忘れられず、知己を通じ、その楽譜を借りた。今回のサロンでの演奏は、令室が、女学校時代の友人を館にまねきいれ、その師を偲ぶものとして、催した次第だった。もちろん、そういう類の催しであれば、モーツァルト、ショパンの楽曲を無難にこなすのだったのだが。ただ、令室によると、中には、音楽学校に進学した御仁もいるから、玄人受けする曲目を選ぶ様にとの仰せだった。

 そうして、このシューベルトのソナタを自ら写譜し、臨んだものだった。もちろん、本邦において、それを入手するのが、どれほどに困難を極めるか、おそらく令室は、存じないであろう。たとえ、たしなみとして、ピアノを学んでいたとしても。もっとも音楽学校への進学を望んでおられた様だが、それを果たせなかったとも聞いていた。無論、ピアノの演奏については、それほどの技量は持ち合わせていないのは容易に推察出来た。令室は、私がそういった事情を知るにつけ、どことなく蔑んでいる、とのきらいを読み取っていたのかもしれない。

 招かれたのは、五人だった。着飾った衣装や宝飾に、相当な身分にある方々だと推察したのだった。そのうちの一人に対し、令室は、よそよそしい態度を取った。きっとこの御仁が、音楽学校に進学した方だと思った。

 令室も招かれた者達と負けるとも劣らない出立だった。作為的に気品を漂わせる立居振る舞いに、そう、ある意味、芝居じみた、そんな光景を、見つつ、その可憐さに、“椿姫”の第一幕に重なるものを感じていた。

 彼女たちは、互いに身に纏った服飾や宝飾を褒めそやすのだった。彼女の良人はもちろん、守銭奴であったが、彼女への服飾、宝飾に対する出費は惜しまなかった。良人であるお館様は、その献身ぶりを見せる一つの手段であったからだ。

 さて、今回のシューベルトのピアノ・ソナタの演奏は、もしかしたら、本邦初披露であったかもしれない、そういった自負があったから、つい演奏への感想を、令室でなく、音楽学校に進学したと思す御仁に求めてしまった。一方で、それは、慢心ともいえたし、そうしたため、令室の癇癪を招く一因になったのかもしれない。

 定めし、彼女には、先ほど述べた音楽学校に進めなかった事情による負い目から、癇癪を起こしたのであろうが。ただ、今宵は、さほどではなかったが、ひどいときは、くどくどと折檻された。だが、その折は、極まって愉悦を感じるようにしていた。そう、たかが、素人ではないかと。私は、玄人の演奏家であり、作曲家でもあるのだと。そう、たとえ、大成したといえなくても。だが、滑稽にも、こうして、食客に身をやつした境遇を忘れていた。そうなったことの次第とは、とある華族に令嬢の音楽の家庭教師として招かれたことだった。

 つい見とれてしまう。これも男性に属する故の性か?つまりは、女性のデコルテに視線を落としてしまうという。これは、数年前の事柄でありながら、その残像は、艷やかを保っていた。彼女はそんな私を見て取り、薄笑みを浮かべていた。ただ、愛らしく。否、ただ、愛らしくの言葉で、尽きさせていいものか。はにかんだ笑みであるというのに、知らず知らずのうちに、極々いとけなき日々に母の背中を追った、そのときに感じた母性に近いものも感じられたからだ。こういった性分だから女性と交際しても永く続かないのかもしれない。性的な、そう極めて性的なものを求めなくなっていた。

 だからかだろうか。そこに何か魂胆を秘めているにではという、蔑みなど感じる訳はなかった。その一方で、その御仁に反作用ともいうべきものが生じていた。つまりは、好気な目でご淑女の露出した肌を見るといった男の性分を受容しているのかもしれないという。それとも、男そのものを知っているのか?しかし、これは不謹慎極まりない。伯爵家の令嬢ゆえに。だが、そんな彼女に、私は、淫らな面を全く見出せないことはないという、ある種の妄想も、そして、それが、自己の深層に、願望として、窺われもした。一方、その手の妄想は、とめどなく誇大へと発展を遂げていくものだった。そう、彼女から、我が胸にしなだれ、我が身を求められんという。

 それは揺らぎだった。観念上の令嬢であるべきなのに、そういった想いは、令嬢を物質化させるものだった。だが、淫靡な感はなく、むしろ、捉えようによっては、健全ささえ感じる向きになった。やはり、令嬢の屈託のなさが、そう感じさせるのかもしれない。

「どうでした、私の演奏?」

 その物言い、そのあどけなさに、愛くるしさを覚えていた。やはり、否定できない。それは、作為を施しているのではという想いが。彼女を称えるべきだという気持ちと、それとは裏腹に憧れと妬みがない混ぜなった不思議な感情が沸き起こっていた。今、顧みて、これは、そう、特に妬みが、その後、やらかした不始末に繫がる所以たる事象であったかもしれない。だが、詮無きことであった。

 そのときは、ただ、令嬢の見目から目を逸らすことにした。何分、自身の不埒な想いが読み取られるのを嫌った次第にあったからだ。彼女にあてがった楽曲はシューベルトの「楽興の時」だった。それも、この宴に相応しくあったからだ。そして、何より一番満悦していたのは、母君であり、その御祖父母であった。それもそのはずで、その御祖父母の結婚記念の催しであり、孫娘のピアノは何よりの贈物であったに違いない。

「ありがとうございました。それもこれも、先生の指導のよろしき賜物ですわ。」

「いえ、とんでもございません。御令嬢が心を込めて弾いたからです。その心持ちが指先に伝わったのです。ほんと、よかったよ。あの曲の持つ包容力が如何なく伝わる具合でした。」

 こうして、母君の謝辞に満悦しつつも、すべからく、奏者の日頃の心得が成果として結実したものだと思うように努めた。しかも、微塵にも、我が成果と態度に出さない様にも。もっとも、そこには、謙遜の意味合いなど、全く存しないという屈折した心情があった。ある意味、歪みであったが、信頼を醸成、維持するために、媚びを売ったまでだ。現に、伯爵令嬢も、私の、この言葉に安堵を得ていたようだ。いや、むしろ、安堵を得ていたのは、私の方かもしれない。このときの母君、ご令嬢の様子からして、当座も、ここの伯爵家で音楽の家庭教師が続けられそうであったからだ。

「思い出していたのね。」

 ーそうか。ー

 心裡においてこう呟いていた。そうして、顧みて気付いたのが、令室の、はだけた寝衣の胸元に視線を落としていたことだった。シルクのきめ細かい艶とそれにも劣らないきめ細かい肌の持主であることが、なぜか、感じ入る仕儀となってしまった。あのときの令嬢の様に薄笑みを浮かべていた。それが、男性の好奇な視線を受容するかの様だった。

 だが、それ以上に不覚だったのは、あの晩の催しで、伯爵家令嬢のデコルテを見入っていたことを告解してしまったことだったかもしれない。そうせずに済んだのに違いなかっただけに。そう成った所以は、過日の出来事、つまりは、伯爵令嬢の出奔における事柄への回顧という事象以上に、一つの感傷めいたものを伴っていたからだろうが、更に想うと、やはり、その折の、ご令嬢の対応、翻意に俄然としないむきにあったことが、幾分か心にも占めていたのも事実だ。しかも、この場においても、同様な、感傷めいたものが、心境として、帯びてくるのだった。他方、令室に対しては、不感症でいようとするものの、臥所を共にし、傍らに横臥する段になると愛おしさを感じていた。いや、むしろ、感じていたのは、ある種の母性であったかもしれない。認めたくもないが、心持ちとして、そうであった。

 悦に浸れたのか。令室の微笑、不敵さを滲ませてのそれを見るにつけ、かえって、自身は、平静なる装いを作為的に施した。そうすることで、今度は、自身が悦に浸れた。なるほど令室は物憂げになり、あの毒々しい様は失せる。

 こういった一面は、悩ましさが、概して、つきまとうもので、やはり、冷たい素振りでいるべきか、そんな想いが逡巡する。一方、そういった安直さ、そう、割り切るか割り切らないかということに安直さを覚え、そこに無粋さを感じていた。だったら…。だが、どういった所為になろう。下手すると、あのご勘気を蒙り、厄介なことになるかもしれないなどの想いも生じていた。ならば、この状況を維持すべきか。しかし、沈着に省みることもした。そのままにしておけないと思わせる、そうした雰囲気が、漂っていた。一方、こうして物憂げな表情を見せるのは、異性を自分の関心から解き放さない手練に過ぎないことも承知していた。でも、この程度の手練は許される範疇にあるという心持ちもあった。そう、一つの受容として。一方で、ひとかどの優越感にも浸れた。いわば、高みにいるという。しかし、だとしても、愛おしさを感じないということが、全く否定できないことも分かっていた。だが、それを素直に、いうなれば発露とすることもできない。それも、一つの作為として、心理として、これを打ち消そうとしていたからかもしれない。だが、これは誇りに類するというより、どちらかというと、意地であるし、この点は、明確に捉えることができた。

「何を考えていたの。あの御令嬢のこと?」

 聴くまでもないことだった。この静寂ともいえるものを嫌い令室は、こう聞いたのだろう。しかし、私もそこにある種の皮肉を交えることは怠らない。

「そうですとも。外に考えられます?」

 こう言葉を発してみた。陰湿さを醸す様に。でも、これしきのことで嫉妬を顕にする御仁ではなかった。現に、彼女も平静を装っている。これは、取りも直さず、私からの挑発であると看破されている証査だった。もっとも、この装っているというのは、私の意味づけに過ぎない。全く確信の持てないものでもないにしろ。きっと、令室も御令嬢のことを意識しているし、その言葉そのものからもう、それは十分に窺えた。つまりは、私に、令嬢のことが未だにもたげていることが。

 無為に過ぎゆく時間。この空間は、嫌うものでもない。むしろ、こういった具合に不作為のまま、いわば、だべっているような過ごし方になるのでは、と考えていた。しかし、この場の、令室の肉体が横臥するこの臥床においては、予期に反する次第になっていくのだった。といようか、むしろ、いつものとおりの反芻される現象に沿うことになろうとしている、とした方が正確なのであろうが。事実、いつものことながら、令室は、その手で、我が頭を自身の胸へと引き寄せるのだった。そうして、我が口を令室の乳首にあてがうのだった。

 その後の事が自然の成り行きだったといえる様なものだっただろうか。作為を施していた。まるで、貪る様に弄んでいた。やはり、ある意味、これは、不感症を求めるという我が心情にあっては、乖離と目すべきものだし、そうした矛盾に気付く。そういった有様を予期に反してといいつつ、令室と自分の間では実に反芻されている事柄だということが。

 無意味な反問だった。有体に申そう。受容できない向きにあった。この乖離せられる状況が。もちろん、こうした営みを、男の性によるものだと、いわば、開き直り、そういったものに過ぎないと、言ってしまえるものであるのは、確かだ。しかし、いとも簡単にそうはできない何ていう未練も感じていた。それどころか、今や、反芻するものでありながら、予期に反すると思えるところが、実体として正しいのだと感じているのだった。