短編小説『憐れに憐れな、そして憐れよ!!』

北條立記

1 電車にて

 杖つく背の低い老婦人、草色のワンピース姿のぱっちり目の妊婦、ヘルプマークをリュックサックからぶら下げた16歳くらいの女の子、松葉杖で疲れて苦しそうなサラリーマン。全部無視して50分間シルバーシート、そのドア側の所に座り続けてしまった。会社で課せられた言われていたTOEICの点数を取るため、参考書の重要語句を赤いプラシートを上げ下げしてチェックしながら、目線を上げることもなく。

2 公園にて

 ベビーカーを押す母親の前をパタパタと走っていた小さい女の子。丁度、私が座っているベンチの前まで来た時、つまずいて膝から倒れて泣き出した。しかし、「やがて母親が助けるだろうし、母親の方がうまく助けるだろう」と考え、何もせず黙ってベンチに座っていた。母親の「またあ〜〇〇ちゃん気を付けてよ〜〜」というのんびりした声が聞こえた。母親はベビーカーを押しながらゆっくりやって来る。だが私は、その子の方を目の端で見ながらも、目医者で言われた通り視力回復のために遠くの時計台と近くの小石を交互に見る目の体操を続けながら、そのままスマホとともに手だけ握りしめて座っていた。

3 駅前にて

 私は駅前広場の茶色いベンチに座り、カップラーメンを食べていた。すると前方で、速歩きの働き盛りの女性が、勢い余ってつまずいて倒れて身動きできなくなり、倒れたままうずくまってしまった。人々が集まり始める。口々に「大丈夫ですか?」「起きれますか?」と盛んに声を掛ける。学生の一人は、携帯を取り出しながら「救急車呼びましょうか!?」と呼び掛けた。

 しかし私は、「これだけ人が集まったんだから、その中の誰かがその人を助けるだろう、だから私は居ても居なくても同じだ。居ても何をしていいか分からない。ここで私が他の人に代わって、他の人と違う、する必要があることは思い付かない、だからこの場を離れてもいいだろう」と思い、そそくさと食べかけのカップ麺を手に持って、何事もないかのように離れたベンチに向かって移動し、続きを食べ始めた。

 そのベンチに座る際、人だかりの方に少し目をやると、小学生の女の子2人と、清掃服のアンちゃんが、まなこを見開いてこっちを軽蔑の目で睨んでいた。

 後になって、打った頭を冷やすための氷をどこかで探してあげればよかったのだと、気付いたのだが……。

4 中華屋にて

 レバニラ定食を食べ終わって席を立つ時、ふと隣の、二十歳くらいのカップルが座っていた席を見ると、スマホが落ちていた。

 しかし私は、「それに触るとコロナに感染するかもしれない」とその時思い、また「スマホだから本人も必ず気付いて戻ってくるだろう、だから、下手に自分が触って移動させずに、本人が戻ってきた時にすぐ見つけられるよう、そのままの場所にしておいた方がいいだろう」と思った。

 そのスマホは、さらに奥の席の老人も見つけて、「あれっ」という顔をしつつぼんやりと眺めていた。

 だから、自分が先陣を切って代表してスマホを手に取り、店の外にすぐに出て、持ち主を探すこともできたかもしれない。あるいは店員にすぐに知らせてスマホが盗まれないようにすることができたかもしれない。

 しかし私はそのまま店主に向かって「御馳走様です。とても美味しかったです。今度は妻を連れて来ますね。ありがとうございました」といかにも良い客を振る舞って声を掛けながらお代を払い、店の入り口に足を踏み出した。そしたら、さっきのカップルの男の子の方が、焦った様子で走って入って来た。後ろからは、女性の「イスの所に落ちてるんじゃないの〜?」という声が聞こえた。擦れ違いざま、「スマホ落ちてましたよ」とすぐ口にすることもできた。だが私は柔軟な考えを持てないまま、そのまま素通りで出てしまった。

 背後からは、「なにあのオジン、教えろよ、バカ」という声が追ってきた。

5 喫茶店にて

 前職は中学校の教員だった。人数が少ないハンドボール部の生徒に、顧問がいないからと頼まれ、「え〜そんな〜」とか言って一度へらへらと断っていた。生徒達は、他の何人かの教員にも当たったらしく、二週間後にまた頼んできた。私はその間、「自分がその競技をできようができまいが、生徒達が意欲を持ってやろうとしている以上、その思いをよく汲み取り、教師として引き受けてあげなければならない」と思い直していたので、今度は引き受け、名ばかりの顧問をやっていた。

 対校試合があって、1チーム7人が必要な所、5人だけだから、生徒達は惨敗した。

 その翌日の日曜の午後、私は学校の最寄り駅の2つ隣の街の喫茶店にいた。

 今の妻となる当時の彼女に格好付けで、休日は先の尖った縦長で黒光りする革靴を履き、ブランドの黒い垂れ目のサングラスを掛けていた。将来は、真っ赤なスポーツカーも買い、デートの際に彼女の家まで乗り付けられるようにしたいと思っていた。

 珈琲を飲んでいると、5人の男子が店に入ってきた。ハンド部の生徒達。普段着でだらだらなよなよとしている。

 その時、私は奥から2番目の席についていて、煙草に目をやりながら入り口に向かって足組んで座っていた。彼らは一番奥へ行き、4人掛けのテーブル席2つをくっつけてガタゴトと座った。

 彼らはサングラスの私には気付かなかった。もちろん私は内心、すぐに振り向くべきだと思った。彼らを慰め励まし勇気づける言葉を、一言二言にとどまらず、饒舌巧みに話し、男子それぞれの澄んだ黒い瞳をじっと見て、生徒達の存在を認める教育者としての態度を取る。そのような振る舞いをすべきだ、と。

 だが私は、その振り向く瞬間を逃した。彼らは「あの映画今度一緒に観に行かねー?」「〇〇って可愛いよなー」とか男子トークを始め、どんどん盛り上がって行く。

 私は、負け試合の話を持ち出してこいつらの気分を冷ましては悪い、今更振り返るのではタイミングが遅すぎる、気付かない振りを続けていた方がいいかもしれないと考え始め、どんどん振り返るタイミングを失っていった。別に気にせず振り返ればいいのだが……。

 やがてこういう声が聞こえた。「そこの人」「似てね?」「じゃね?」「それっぽくね?」男子達は声のトーンを限りなく下げて互いにささやき始めた。

 私の背には、冷や汗が流れる。おしっこちびったかもという感覚も起こる。汗だけが流れ続けた。

愛するとは

 私には愛が足りないのだろう。人を愛することが。誰彼問わず、ヒトとは擦れ違う、街中では。その時、達観した気持ちでそれらの人に愛を向けていれば。人の不幸を見逃すことは。ないはずだ。これは譲ってあげねば。これは教えてあげねば。これは助けてあげねば。反射で。考える間もなく。出てくるだろう。その行動は。名前を知らない人たちへの愛があれば。

——愛することこそが幸福なことである。愛することこそがこの憐れさに対する救いである。

——何故、人に席を譲るのを人に見られると、人から非難されると思ってしまうのか?

——今の人は、人からの愛を信じられていないからである。