I write「約束の代わりに」 

若月小百合

 

俳優・演出家の私の恩師、池田一臣先生がお亡くなりになられた。

葬儀は近親者で行われたそうだ。

 

生前、自分のお葬式には必ず来るようにと先生から言われていた。

もしそんなことがあったら…訃報が届いたら…告別式に飛んでいくものだと思っていた。

案内がなければどうすることも出来ない。近親者のみでというのは、先生の意思でもあると先輩からのメールにあった。

気にはなっていても、日々の忙しさにかまけてなかなか会いに行けず、先生は私から忘れられてしまったと思っただろうか…。

最後に会いに行けなかったことを謝ることも感謝を述べることも出来ない…

死者にお別れを言い、送り出すことが出来ない。

 

昨今のお葬式の簡素化には疑問を抱かざるを得ない。

有名人までが家族葬というのは、簡素化の理由が決して金銭的な問題だけではないことを意味すると思う。

 

 

どうしてなのだろうか。

 

コロナのせいで、なければないで楽でよいと皆が思ってしまったのだろうか。

葬儀のない文化ー。

考えるとおぞましい
近親者に死者が出ない限り、子供たちは人間の死と向かい合う機会がなくなる。

幼い頃に人の死を受け入れ意識して生きていくことは大事なことだと私は思う。

 

大人になってからでは遅い一つの理由がある。

心理学の本に書いてあったのだが、大人になってから死を初めて体感するとショックで特に男性は鬱になる可能性があるようなことが書かれていた。
だから殆どのタイ人男性が経験する出家は若いうちにするのかもしれないと思ったものだ。

 

浄土宗松苔山西方寺の住職が言った。

命日は仏様の誕生日であると。

とすれば、亡くなった日は、仏様が誕生する日だ。

長い年月をかけて、人は成長していくー。

どんな人でも大体の人は若い頃よりは成長しているのではないかと思う。

そして、とうとう仏様になれるのだとしたら、こんなめでたい日はないではないか。

 


息子たちには私の葬儀代を残しておこう。

遺影(イエイ)は「イエーイ」と両手を挙げて撮った写真を使用してもらい、参列者の皆がホッとするような、笑えるようなママのエピソードを何でもよいから思い出し話すようにとー。

 

こんなことも、今、元気だからそのように考えられるのかもしれない…

そのうち、私も面倒見てもらった人たちにこれ以上迷惑をかけられないとか、お金があるならば、そちらの方たちに回したいとか…様々な理由で家族葬にしてくれと…言うようになってしまうのだろうか。

 

先生の話に戻るが、先生の魂は遺された者たちの所にとどまるより、とっとと、先生の師である、千田是也のところへ笑いながら飛んでいってしまっているような気がする。

演劇界の大御所千田是也と先生ー。強烈な二人の再会だー。

 


「笑いながら飛んでいく」というのは、池田一臣にぴったりだ。

先生の演技は、いつも他者と同じではないぶっ飛んだものがあり、「暗の中にも必ず明がある」ユニークな演技だったからー。

 

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池田 一臣(いけだ いっしん、1932年3月12日[ ‐ 2023年8月5日)は、日本の俳優演出家脚本家声優劇団三期会を経て現代劇センター・真夏座元主宰、制作集団・真夏座元代表。東京都出身。

ウィキペキアより

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写真は、知り合いの最近のタイの葬儀のお写真です。僧侶が何人もと大勢の方が集まっていますが、ごく一般的なご家庭です。