虚構かリアルか『森田の環境』

田高孝

 

 ●●区●台に、森田家(仮名)はあった。1977年の事だ。私が、キャバクラ研を作った年であり、この家へ、家庭教師で通った時でもある。

 その森田守(仮名)は、その後、かなり知られた●●評論家になっている。私は、そのことを2015年までは、知らなかった。懐かしい思い出であり、悲しい思い出だったことを思い出す。

 つまり、こうだ。

 

 彼は、兄思いだったのだろう。お兄さんは、狂っていたというよりも、脅されたことがあったのでしょうね。やくざ者に。倉庫か、何か?に連れ込まれて、脅されたのでしょうね。

 

 そんな感じで、家の中で、吠えていた。キャアッ、ヒャアッというか? この不憫な環境の中で、私は教えていた。二言目には、「ふかし入れんなよ」と「発狂しているんじゃ、ねえよ」と言った。ふかしは、まあ、暴走族の当時の流行り言葉として、次の「発狂しているんじゃ、ねえよ」は、オリジナルに聞こえた。後になって、この言葉が嬌声を挙げる兄への「言いたさ」と気付いた。

 

「男らしく、堪えてくれよ」みたいな彼の忍びない気持ちを、僕に、ぶつけていた気がする。

 

 では、何があったのか?それは、脅された理由。私は、森田君の家の●●会社とタイアップする~花岡さん(仮名)というおばさん~に頼まれて、家庭教師をした。母の友人である花岡さんに。

 

 恐らくは、土地のやくざ者に脅された兄貴の影響が、弟君へ移るのを、防いで欲しかったのだろう。花岡さんは、無二の友人の母に、頼んだ。慶応へ入っていた私に、頼った。花岡さんは、幼稚園から小学校まで、一緒だった双子の兄弟がいて、私の母と花岡さんは、PTAの友人だった、無二の。

 

 こうして、私は、派遣された。そして、見た。

 今、思えば、森田●●会社さんは、ライバルの会社があったのでしょう。その人に頼まれたやくざ者が、遣ったのでしょうね。よくあるトラブルなのでしょうか? 金で頼む。他にない。

 かくして私は、森田の勉強を一年間見た。峠は、越えて、森田は、真面目になって、勉強する様になった。現役で、国立の御岳大へ入った。●台の高速道路脇から、常盤台の高台へバスで帰って行く週に2回の家庭教師は、成功した。

「下駄を鳴らして、奴が来る。家庭教師の柄じゃない。ああ~。」(かまやつひろし)だった。

 

追伸:

 もしかしたら森田は、私が、テレビに出ているところを見たのかもしれない。

 7月のある日、土曜日だったか? 夕方の公開生番組で、いつものように、テレビのディレクターを通して、企画を行った。10チャンネルだった。

 

 女子高生が、20名位客席にいる会場で、パンツ一丁のイベント、女性を担ぎ上げるイベントを強行した。私も、アジり(アジテーション=扇動し)ながら、テレビに映った。これを、森田は、観た。

 それは、裏切りであり、それは、怒りを禁じ得ないものだったに違いない。

 だが、彼は、これを=俺を見て、変わった。

 

 この破廉恥男が!

 授業では、まことしやかに、説教、人生訓を述べるのに、このざまは、何なのだ!

 だが、彼の中の何かが、氷解したのだろう。

 かくして、彼は、勉強するように、なって行った。

 

 推理ですが。