初投稿*「滝野川クロニクル2022」振り返り

松原容子

 photo: Daisaku OOZU

「滝野川クロニクル2022」の振り返り/藤井様の質問へ答える形で。 松原容子 2022.6.21

 

1.そこで松原さんに確認したい点は、松原さんご自身は、このイベントの<焦点>は、どういう点に置かれたか?ということ。

 

 展覧会を実行するにあたって私が意識したことは、イベントやアーティストに対して何か既存の形へと向かうような操作をしないことでした。
 その時・その場にあるものを活かすこと、そこで生じる人と場所・人と人との関係、漂う空気を、戸惑いや居心地の悪さも含めて、再現性の無い体験として楽しむ、そのふたつでした。

 

 

2.今回の企画の出品者たちのポジションは、どのように見られるか?

 

 準備期間中にミーティングを重ねて自分なりのポジションを作ってゆける可能性のある人を出品者として選びました(というより、そういう方たちが残ってくれました)。
 まず「飛鳥山のサトリ」から、何でも相談できる親友の大内三枝さん、状況判断に優れており、いざという時に頼りになる浅野順さんを共同主催者とさせてもらいました。そして会計の大内雅彦さん。この3人は前年の「プレ滝野川クロニクル」から一貫したテーマで作品を制作しており、プロジェクトに協力する意志も確認済みでした。

 山本亜矢さんは優秀なホームページビルダーで、滝野川での活動に何度も関わってきています。現代史の知識と政治・社会運動への深い理解を持っているので、地域(=軍都)の特性を総合的に捉える視点と作品化できる潜在的な力があると思いました。

 坂井奈桜子さんも滝野川繋がり。生き物や植物との親和性、自然とともにある生活・生き方、彼女の存在感、声、音楽が水の流れや風を呼び込み、次の人類の時代(アントロポセン)の予感を作品(空間)にもたらしてくれると考えました。

 万城目純さんはベテランの舞踏家として、そのパフォーマンスでイベントの品格を上げてくれる有難い存在です。

 青山悟さんは、作品のクオリティの高さ、完成された展示コンセプトで、展示全体をグレードアップし、新しい観客層を呼び込む存在。私はもちろん他の参加者もその仕事を身近で知る機会はとても勉強になります。この機会に参加を請いました。

 市川平さんは、「滝野川クロニクル2022」を中央文化センターで開催する計画のいちばん最初に必要だと思ったアーティストです。確かな技術と豊富な経験、卓越したコラボレーション能力、彼の身体が空くのを半年以上待った甲斐がありました。
 「滝野川クロニクル2022」の舞台装置は市川さんの尽力です。

 

 

3.内容と、アートとの関係を、どのように考えていられるか?また、その内容に大きなウェイトを占めた、かつて軍都と呼ばれたこの地域のその特性と、今日の滝野川地域との関係を、どう見られるか?

 

 少し参考にした既存のアート作品に、ターナー賞受賞のコンセプチュアル・アーティスト、ジェレミー・デラーが2001年に発表した「オーグリーヴの戦い」があります。これは実際に起こった労働闘争を再現したもので、矛盾を含んだ着想は汎用性に富み作品は多義的に捉えることが可能です。しかし非常に大掛かりかつアートとして認識されないようなぶっ飛んだ内容なので、引用は非現実的です。

 私のテーマ「王子野戦病院反対闘争」をデラーのようなヒストリカル・リエナクトメントとして再現することは無理だけれど、5月15日に行った『本と包帯』のパフォーマンスで「その場で起きたことの再現性」を応用しました。
 小熊英二著『1968 [上] 若者たちの反乱とその背景』中の王子野戦病院反対闘争について書かれた箇所537p〜549pを来場者にリレー式に回し読みしてもらい、読み終えた人の身体を私が包帯でぐるぐるっと巻きながら次々に繋げてゆく。自由を奪われながら伸び縮みする包帯は案外肌触りが良く、読後の安堵感もあり、繋がることによる連帯を感じた人もいました。パフォーマンスで少し読んだ体験から、本の内容をもっと知りたくなった若い人たちもいる、全共闘時代の反動で今日に至ってもなお政治的無関心・無行動な私たちのあり方や現状を問いかけ考えるきっかけの一つになりはしないだろうか、と思います。

 「王子野戦病院反対闘争」は、かつて軍都と呼ばれたこの地域の地下水脈のような特性がこれを機会に奔流のごとく噴出した出来事だと認識しています。
 ジェレミー・デラーの市民参加型のアートは、演出側の統制と暴動を演じる側のぎりぎりの秩序とのバランスの上に成り立ち、「滝野川クロニクル2022」は、アーティストの自主的な秩序のようなものへの期待の上に形作られた。
 先の読めない緊張感やぎりぎりのバランスは文化センターとの間にあったと思います、その緊張感も会期の半ば頃には消えて、とても協力的になっていただきました。国民性やアートの捉え方の違いも合わせて考えてゆくべき現象だと思います。

 土地のリサーチや作品制作と並行して展覧会を作ってゆく過程で、それぞれが自分の役割を見い出し、他者と擦り合わせ、達成できた部分と持ち帰ったものがある。「滝野川クロニクル2022」は、アーティストの主体的なパフォーマンスであり、全体がひとつのワークショップでもあったのだと今は振り返っています。