ブランショとの出会い

田高孝

 青春時代を謳歌した、東武東上線の常盤台駅前シャガールの内部。私の青春舞台。

 ときわ台で、アパート暮らししていた時。キャバ研の後、行き場を失って、幸田と一緒に、逃げの算段をしていたころ。突然、本屋で、コリン・ウイルソンの「宗教と反抗人」を手に取った。すぐ、読んだ。私は、啓示を受けたように、コリンを読み続けた。そして、地下生活を始めた。その時、「つんちゃん」に、会った。

 365日、つんちゃんと話し合った。

 ツンは、最後に、こう言った。「事象の起こり方と心の起こり方」と言って、私の存在的瞑想を指導した。耳で生きている統合失調症の僕を知っていた。

 彼の下で、働いた。彼の持つ店、シャガールで。夜10時に入り、未明2時まで、働いた。

 その時、文学空間を読んだ。芳林堂で、見つけ、今が、読むときと知っていた(詩的な言い方だ)。

 そこにこうあった。

「ここで、働けたら、もっと奥へ行けるだろう」というリルケの詩を、教えていた。

 かくて、ブランショとの付き合いは、始まった。

 

 さて、ブランショとは?

 死を言う言葉をやたら、使う人と言えばいいか?

 死ねえ?彼は、作家は何にも支えられていないと言っていた。丁度、スターが、ステージに上がるように、統合失調症患者が、舞台に立たされて、困っているように。

 

 ブランショは、文学者詩人を借りて、或る不在の運動、見る事の、想像的なものへの接近を遊んでいる。

「この人生で、時間を取ることの危険」を語っている。人生から去り、不在へ向かう運動。

 コリン・ウイルソンなら、こう言う。「人間は、人生を意識的な方法で、再現したがっている。」と。

 こうして、私は、文学者、詩人を学んでいった。

 ヘンリー・ミラーからは、「物質界の異常な美しさ」という詩を頂いた。

 これもブランショの指示からの教え。

 段々、そのまま、飛ぶ術のようなものへの準備をしていった。

 そして、私は、「つんちゃん」を、加藤さんへ引き合わせた。

 大橋行った。

 マリファナを出した。加藤は。

 長いやり取りがあった。

 省く。

 一つだけ。

「ツン、そろそろ、危ないぞ」であった。加藤さんの意見は。

 ブランショは、天国への道をこう言った。

「セイレーンの歌」船乗りを眠りに誘う。

 或いは、オルフェウスと。女性への軽い一瞥らしい。ドン・ファンだったら「特別な女性には、素晴らしい言葉を使うのだ」か?

 

 彼のヨガは、恋愛だった。伊勢物語のような。それは、文学空間ではなく、「来るべき書物」にある。

 死を賭けたブランショの、存在賭けたブランショの遊びが、書かれる。これは、文学空間。その成果は、「来るべき書物」(恋愛報告書)。

 では、このパワー・トリップ男は、どう過程を描いたか?

 それが、死の接近としての想像的なもの。24時間の瞑想男ブランショ。

「夜の物語ばかりで、昼の物語を入れられなかった者」と言った調子。

 

 消えて行くようなその文体世界。満足して忘れる世界。

 それが、彼の伝え方。

 

「一切を、或る遊びに変える運動」。カフカ、マラルメ、リルケなど。

 ランボーは、「この世へ亡命した」と来る。違う気もするが、何かを指している。一貫したもの。そして、死のサイン、セイレーンの歌。

 彼の世界は、そんな感じだった。

「連続性を求めるように、宣告されている。」

 

 教えは、続く。

「刻一刻、迷いへと落ち」

「障害と手本が、交互になり」

「聞かれることなき口と化し」

 などなど。

 

 怪しげな教えが続く。

 それでなくとも、都会の妖しさが、光る。

 思い出せるのは、そんなこと。

青春時代を謳歌した、東武東上線の常盤台駅前シャガールの内部。私の青春舞台。