【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(四)―不可逆という時間―

桝田武宗

 

 前回まで「時間の認識」「自然主義」「モンタージュ」について書いて来ました。今回からの四回は、蕪村の句を例に挙げながら句に詠み込まれた時間の分析について書いて行きます。

 

  秋の空きのふや鶴を放ちたる

  凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ

 

 この二つは、「不可逆の時間」を詠んだ句です。

 「秋の空……」の句は、「秋の空に昨日は鶴が飛んでいた」という情景を詠んでいます。詠まれている景は、何もない秋の空だけです。「鶴が飛んでいた昨日の空」と「鶴がいない今日の空」を較べることで虚しい秋の空の実景が浮かび上がって来ます。

 ここで、「昨日」の意味することが何かを考えると、「『昨日』は鶴が飛んでいたが、『今日』は鶴がいない」という絶たれた時間というか、「不可逆の時間」(鶴は飛んで行って戻っては来ない)を表現していることに気づくはずです。

 この句は、「鶴」がキーワードですから鶴が飛んでいるかいないかが重要なのです。

 「凧きのふ……」の句の解釈を多くの人は、「昨日凧が揚がっていたあたりに今日もまた凧が揚がっている」と解釈していますが、この解釈は誤りです。正しい解釈は、「『昨日』は空のあのあたりに凧が揚がっていたが『今日』は揚がっていない」ということになります。この句のキーワードは、「凧」で、凧が「ある」か「ない」かをどのように解釈するかが重要です。従って、「秋の空……」の句と同じように「不可逆の時間」を詠んでいます。

 但し、蕪村が、「不可逆の時間」を意図して詠んだのか無意識のうちに詠んだのかということについてはどちらとも断定できません。時間という観点から見ると、「不可逆の時間」が詠み込まれていることが明らかだということです。

 

  〈循環する時間〉

 

  欠け欠けて月もなくなる夜寒かな

 

 

 月は、新月から十五日をかけて欠けて満ちて行き、満月から十五日欠けて新月になります。

 この句は、太陰太陽暦の基になっている月の満ち欠けを詠んだ句です。「欠け欠けて」と表現しているところに注目すると蕪村が新月になる何日か前から月を見ていて、晩秋のこの夜月はなくなってしまったと詠んだことが分かるはずです。

 月の循環=満ち欠けを暦の基としていた江戸時代に生きた蕪村だということを考えれば、

「循環する時間」を詠んだ句だと解釈しなければこの句の妙味はなくなります。

 日本では、明治時代に暦法が改正されるまで太陰太陽暦が使われていました。太陰太陽暦は、月が新月になる日を月の始まりとして、各月の一日とします。次の新月の日がやって来ると、そこを次の月の一日として来ました。

 新月から新月までが一ヶ月ですから平均して二十九・五日です。これを十二倍すると一年は三百五十四日になって、太陽暦の一年より約十一日短いため季節とズレて来ます。暦と季節のズレが大きくなって一月分近くなると閏月を入れてズレを修正していました。例えば三月の後に閏月を入れると一年が十三ヶ月になってしまいます。

 この太陰太陽暦では、大まかに言うと、一月から三月までが春、四月から六月までが夏、七月から九月までが秋、十月から十二月までが冬となっていましたから太陽暦を使用している現代とは季節のズレが生じて句作をする際に混乱してしまいます。句作の面で混乱が生ずるということは別にして、暦というものの成り立ちや時間の概念について振り返ってみると興味深いことが多々あります。

 二十一世紀を二十年過ぎた現在でも宇宙の謎は解明できていませんし、時間に関しても存在するのかしないのかということも明確になっていません(ミンコフスキー理論では、「存在する」とされています)。そのようなことを思いつつ、俳句というものを考えると不思議な気持ちになるのは私だけでしょうか。

………………………………………………………..

以上、漱石も寄稿していた松山市の俳誌「渋柿」令和3年10月(1290号)より転載。