小説的断章『イヴの煙』

求道鞠

 

◇写真©松岡祐貴◇

 あこがれはやはりまぼろしだった。あこがれの甘い残り香も消えた。

 やおら烟草に手を伸ばし、火をつける。肺を軽いメンソールの煙で満たすと、胸にいつもよどんでいる、もったりした霧状の虚しさが、ふうわりなだめられる気がした。もう煙を慎む理由もない。女にいっときあこがれを託した自分の愚かさを呪い、見果てぬあこがれの泥濘(ぬかるみ)に足を取られてもがきながら空費した過去をぼんやり思った。自分の胤(たね)も宿さず、夢の種も愛くるしくふりまけない女に、野暮用以外の用などなかった。女はただ肉の泥濘としてシーツの底に沈み込んでいる。いっそこのまま目覚めなければいい。夏が終わればシーツごと腐り果ててしまえばいい。

 この一服は、俺の憂鬱を晴らすためにある。しかしこの一生は? 火はすでについてしまっている。煙草のように、もう一度つけなおすこともできない。目の前でじりじりと灰になってゆく。苛立ちで指が慄(ふる)える。 

 女は相変わらず、泥の眠りをむさぼっている。         

 煙に胸を慰撫されるこの刹那が、永遠に続けばいいと思う。しかし煙はやがて容赦なくかき消え、また重苦しい霧状の、もったりした空虚がぬかりなく胸をおかしはじめる。刹那を引き延ばすために、一本、また一本とつづけざまに烟草に火をつける。しかし残りの烟草はいつの間にか湿気を帯びて、慄えるジッポの火を厭(きら)った。

 あこがれはやはりまぼろしだった?

 眠っている女の指から指輪を抜きとろうとする。が、できない。その指もまた深く泥濘(ぬかる)んでいた。