意外な自分を知る時間~アートセラピーのワークショップに参加して

飯島章嘉                   

*まどか研究所「アートセラピー実験工房」の中で、「かちかち山」をテーマに描かれたクレヨン画。

 

 

 なんだかワクワクしながら、木曜日の午後七時からの時間を過ごさせてもらいました。その時間がアートセラピーのワークショップの時間だったのです。僕の生活が自宅でひたすらアニメーションの背景画をパソコンで描くという仕事なので、どこに出かけるでもなく、誰と接触することもない毎日ですから、今まで知りようもない方たちのお話を聞き、自分のお話をさせていただくことだけで面白かったのです。

 

 

 もっともセラピーというものに関心がない訳ではありませんでした。僕自身にもパニック障害があり、と言うよりも人生のほとんどを何らかの神経症に苦しめられながら歩んで来たようなもので、精神分析とかセラピーと聞くと、おのずから注目せざるを得ないような気持になっていたのです。今はだいぶ普通に暮らせてはいますが、やはり生活はしづらい、病院も替えては通う日々もありました。

 

 精神分析の話で言うと、僕の雑な解釈ですが、心の葛藤の正体(それは無意識の世界にあって、普段はまったく気づかないものですが)に気づく事が神経症の治癒に繋がる、と言います。しかし、それは理屈だけではなかなか理解しにくい。

 

 どうして無意識を意識上に上らせることが神経症の治療になるのか、を具体的に知りたい、ということもワークショップに参加した要因でもありました。

(おまけに、「まどか通信」フェニックスのヘッダーにヨーロッパ風の庭園を見事な古典的描写でえがいた画家さんも参加なさるというのですから)https://madokainst.tx-d.art/

 

 初日のアートセラピーから、僕には驚きでした。昔話の絵を描き、その絵についてあれこれと話すうちに、自分の知らない自分の思い(この言い方は実にヘンな言いようですが)に気づかされたからです。それはまさに無意識の世界であり、それを知る初めての経験だったからです。

 

 絵を描き、それについて語る。また語る事が重要である、という事も気づかされました。言葉にすることは、無意識の世界の一角がフワっと浮かびあがった所を、一挙に意識の世界に移動させると言ったらいいでしょうか。絵には、無意識が現れるようです。ただ、それは薄ぼんやりとしか見えないもので、その薄ぼんやりしたものを、語る事によって輪郭を明瞭なものにする、と言ってもいいのでしょうか。そんなことを意識的に行うなんて日常にはあり得ないものです。その後もそういう体験を何度もしました。ワークショップの時間は意外な自分を知る時間になった訳です。

 

 ところでその時間の中で参加している人々の絵も拝見しました。一つのテーマでも、受け取りようは各々、実にさまざまな表現があるものです。意外だったのは、その絵から受ける印象で、僕自身がこの人はこんな思いで描いたに違いないと思ったことと、描いた当人が託す思いがあまりにも違う、ということでした。人はそれぞれ違う意識を持つものですから、考えてみれば当然なのですが、具体的にその事実に突き当たる事はそうはありません。あらためて他者の理解とは難しいと思ったものです。まただからこそ、理解する努力が重要なのかもしれません。

 

 僕自身のいまだわだかまる不安や恐怖の骨格を、僕自身が正確に知り得たとはまだまだ言えませんし、無意識の意識化がなぜ治癒に繋がるかも把握したとは言い切れません。

 


 しかし、毎週木曜日の午後七時からの二時間は、いわばファンタジーの時間だったかもしれません。日常ではない無意識の世界を旅した時間だったと言ったら、あまりにもファンタジックでしょうか。