思い出エッセイ『梅香る里の夏』

西之森涼子

 

 東京といっても山間部に位置し、急流の川が町に沿う我故郷の冬は、冷たく厳しい。
 都心でちらちらと風花が舞っている時は、もうこの町には雪が積もり始めている。      
 それでも私は、幼少時に見たこの町の四季の美しさが心にあるからこそ、殺伐とした都会での日々を耐えることができるのだ、といつも思っている。
 その故郷の家には、二本の梅の木がある。もともとは三本あったのだが、数年前に一本枯れてしまったのだ。
 私には年子の妹と七歳下の弟がいるので、ちょうど三人で三本の梅の木だ、と思っていたのに寂しい限りである。
 この梅が、寒風吹き荒ぶ二月に白い花をその枝先に見せ始める。ほのかに花の香りが鼻先を掠めると、暖かくなるのはまだまだ先でも、私は春を感じ嬉しくなってくるのだ。
 その梅の木が生えている場所は、庭先というよりも土手に近い。我が家の庭の先にある草木の生えた土手である。そのかなり斜めになった場所に、梅の木三本と柚の木が逞しく生えていたのだ。
 戦中に疎開してきた母方の祖父母がこの家に住み始めたときからある梅の木は、祖父母が天寿を全うしてからも生き続けた。
 幼い頃、妹と私は何度怒られてもこの危険な場所に生えている木に登り、木の上からその下にある家々を見下ろした。また、遥か下にある川の景色を見ようと、更に上に登り背伸びをした。
 ある夏の日に、妹が行方不明になり大騒ぎになった。私はもしや、と思って梅の木の方へ走った。すると、こんもりと茂ったその梅の木の葉の間から小さな泣き声が聞こえた。思ったとおり、妹が高く上りすぎて木から降りられなくなっていたのだった。
 緑が濃くなり青い梅の実が甘く香る季節になると、今では逞しい二児の母となった妹が、幼い頃泣いていた夏を思い出すのである。