柴﨑政夫

 

しばさきまさお

5才で映画界からスカウト←禁じられて15才まで丸坊主。
特待生ながら大学紛争を経験。俳協付属演技研究所4期卒。
モイセエフバレエ・現代舞踊・クラシックバレエを習得。
埼玉県舞踊協会舞踊大学4期生卒。
雑誌「バレリ-ナへの道」への執筆他、著書に『白のバレエを踊ろう!』『バレエ上達へのヒント』『バレエレッスン プロフェッショナルへの準備』他(文薗社)。https://amzn.to/3SMyGpf
バレエ、モダンダンスの個人レッスンからプロ育成まで / 埼玉県深谷市-アートスタジオ シバサキバレエ (shibasaki-ballet.jp)

「新宿村バレエフェス」ワ-クショップ講師等を歴任。
海外バレエ学校卒業者輩出。

 

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  • 私の舞踊史Ⅵ
    柴﨑政夫  私が所属した俳優協同組合付属養成所では、様々な先生の指導を受けることができました。ここは日本を代表する声優達が有名。声の技法に関してトップレベル。だから売れる売れないに関係なく、その技法を学ぼうとしました。 […]
  • 私の舞踊史Ⅴ
    柴﨑政夫  不本意入学ながら、大学生活が始まった。 学徒援護会で間借りを探した。ここの交差点対面側には警察の駐在所があって、ある漫画家が署員の個性や性格を拡大して書くこともあった。地下鉄を利用すれば早稲田から神 […]
  • 憂国の士、市ヶ谷事件についても読める「私の舞踊史Ⅳ」
    柴﨑政夫  幸か不幸か父から書道の手ほどきは受けていた。  小学校5年生からは臨書に取りかかり、虞世南、欧陽詢らの書風にふれながら、千字文を習っていた。  これは強制だったため、弟妹はすぐに離脱。後々これがなぜか、学校掲 […]
  • 昭和の時代も懐かしい「私の舞踊史Ⅲ」
    柴﨑政夫  昭和20~26年の間、アメリカ進駐軍指導の下、日本は再生してきた。  華族制度の廃止、マサチュ-セッツ州制度を基本とした義務教育の整備。外国語の推奨。しかし、直ぐ実現できるわけもなく、努力する体制で教育推進が […]
  • 私の舞踊史Ⅱ
    舞踊教育法研究家 柴﨑政夫 続いて、私の所属する寺院檀家も紹介します。  秩父札所16番 無量山 西光寺~四国八十八箇所霊場の本尊模刻の回廊堂が建つ。  …この回廊を巡ると、四国八十八箇所を巡るのと同等の功徳が得られ、観 […]
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    舞踊教育法研究家 柴﨑政夫 まもなく71才となる私ですが、舞踊歴に至るまでの紆余曲折を少し長くなりますが、述べます。理由は、日本における舞踊発展の歴史上、今日の大学院卒業者や舞踊評論家は数名を除き、私以後の世代 […]