小説『回帰 或いは、テレ・オフ』

田高孝

 

 2017年6月17日、母死去の報が、妹より、あった。深夜だった。私は、かねてからの、計画を実行することにした。

 それは、電話回線外し。うちは、電話は、3台ある。携帯はない。そして、インターネット回線で、全部、つながっている。黒電話も、親機子機のファックス電話も、一つのモデムでつながっている。

 だから、一気に、はずせる。私は、電話のない世界へ行けると思っていたのだ。

 これは、以前より、実験したかったテーマの一つだった。

 ここのところ、模様替えを覚えて、部屋をいじることが、好きで、思いついていた。

 さて、母は、死なれた。介護の12年は長かった。アルツも、あった。3回ほど、行方不明も起こした。少し、目を離すと、外へ出たがったり、よその家の前で、寝ていたりする。これらに、参っていた?まさか!でも、悲しくもあった。覇気のある豪快な人だったから。

 一族をまとめるゴッド・マザーでも、あったし。私の心の支えであったし。

 そして。死去の報。私は、煩わしい一切の電話を排除しようと、決意した。

 反動は、大きいなと思った。

 エイッと、ばかりに、外した。

 一週間後、妹が、飛んできた。いくら連絡しても、連絡できないと。

 葬儀のその他の手はずを伝えに。

「お兄ちゃん、いい加減にして。」

 そこで、事情を話した。悲しくて、電話に出たくなかったからと。しかし、私は、回線を外し続けた。

 二ヶ月後に、同じマンションのおばさんと、立ち話をした時、「何、酔っているのよ。」と言われる。酔っぱらいのように、体が、揺れているらしい。

 次に、目にしわができて、街が歪んで見えるようになった。ゴッホの絵や、ムンクの絵のように。そして、電話回線の一つ携帯のアンテナが、屋上にあることを知った。

 そこで、町中のビルの屋上を、写真に映して歩いた。

 また、夜街を歩くと、町が暗く見えるようになった。最初は、節電しているのか?と思った。街が、酷く暗く、怖いのだった、夜は。

 これも、成果だった。また、空が、遠くまで見えるような気がして来た。空は、広いのだ。都会でも。

 半年近く、結局外して気が済んだ。

 この現象が、始まったら、同じマンションのおじいさんやおばあさんたちと話が合うようになって、この人たちが、また、普通の人たちが歩かない場所を歩くことを、知った。

 「ああ、町の背中を歩いているのだな?」と思った。ある意味では、老人性痴呆なのかな?とも持ったが、私は、この「町の背中」と言ういい方が好きになった。

 そう言えば、ノヴァーリスは、散歩のとき、良く視霊した。

 「霊の権限が特に目覚ましいのは、色々な人間の姿や子を眺めるとき、ことに、様々な目や表情や動作を見やるとき、書物の何らかの個所を読むとき.あるいは、人生や世界や運命に思いをいたすときなどである。」(「花粉」)

 これは、まだ、町の表通りを歩いているね。人々の顔や表情が見えるのだから。

 もう少し本物がいる。

 それは、ライプニッツ。彼は、正確には、こんな風に言う。

 「同じ都市でも、異なる方面から眺めると全く別のものに見え、眺望として幾重にもなったように見える。」(モナドロジー)

 これが、ずばりだった。

 つまり、町は、歩くたびに、違って見える、と言うものだ。

 それが、私だった。

 そして、私は、自分が見知らぬ街にいることを、見出した。

 今は、普通にしているが。

 しかし、時折、いろいろ言われる。

 近所の酒場のマスターは、朝,スクーターに乗って、私の後から近づくとこういう。

 「与田ちゃん、後ろに目がないね。」

 二度、言われた。

 つまり、後ろからスクーターで, 接近しても気づかないのだ、私は。

 また、交差点で信号待ちしていたら、いつか私を襲ったボーフラのような奴、クロス・ロードで追われたあの話の主人公のような奴、が、後ろから近づいてきて、私に、ふっと息を, 吹きかけたりした。

 ああ、私は、後ろの気配に気づかないのだな,と思った, 次第。

 そうなると、偉大な変化が始まる。

 音楽が,  ゆっくり聞こえたり、早く聞こえたりするようになった。電話回線を付けていると、早く聞こえる。外すと、ゆっくり聞こえるようになった。このインベーダー現象に感動。

 しかし、まあ、私は, 音楽の聴きすぎで耳が, やられているのだ。

 三半規管がやられていれば、平衡感覚がなく、揺れているかもしれないしね。

 でも、検波という考え方があって、すでに悪い状態があって、それを浮かび上がらせる,という考えがある。私は、電話回線外しで、何かが、起こることを覚悟していた。

 私は、玄米食をすでに、6年以上やっている。血液データーは、完全に正常である。

 夢遊病者のように、健康へ実験を繰り返しているのだが、ついに、こうなった。

 そこで、不思議な出会い。

 近所に、シャドーというショット・バーができ、通いだした。

 そこのマスターは、原宿の地下組織の中心ブランドのナンバー・ワン・モデルだった。オーバーラップという店で、今泉京子などが、集まる店のモデルさんだった。

 この人は、全身に入れ墨をしていた。

 遺憾な、とも思うが、意味を知った。彼は、もう戻れない。帰れない。

 私の電話回線の意味もそうだと思った。

 しばらく、仲良くしたが、私は去った。

 また、マンションの前で外務省のOBと知り合った。彼との付き合いは、不思議中の不思議。

 定期的に、会うし、手紙のやり取りを書状と言って、行っている。

 なんでも、テーマに、文通しあっている。

 少しずつだが、変化があり、人生は、楽しむものだと、悟るようになったね。本当を言うと、随分、急激な変化を経験しているが。

 

 さて、この電話回線外しは、ほかにも、こういう可能性を表した。

 それは、心臓が痛むというもの。2017年の6月21~24日に外したから、その2か月後か?心臓が痛むのは、実に怖い。心筋梗塞では、ないが、狭心症でも、また、ないが。

 もう一つさてだが、電話回線外しというクレージーな実験を、楽しんきた僕。その後。

 私は、半年で、止めたといったと思う。しかし、断続的に、はずさないと不安になるようになったのだ。

 2017年6月21日から始めて、半年後の12月19日まで、はずしていた。

 その後は、最初は、たまには。外すか?といった調子で、やっていた。しかし、だんだん、頻繁に外さないと不安・恐怖を感じるようになった。これは、私を、少し焦らせた。

 そういう時は、音楽を楽しんだ。

 あるいは、電気を消して、部屋を暗くして祈ったりした。

 静かにしたりした。

 電話回線を外すと。音楽はゆっくり聞こえる。

 そこで、まだ、電話のないころのクラッシック音楽を、集めた。

 そう、電気を消す作戦は、一番良かった。これが、電話回線外しと並行に、編み出された我慢の方法だった。いや、快楽的解決だった。脳みそが、休まると思う。そう、坂東玉三郎が、こう言っていた。

 「僕は蛍光灯LEDを使わないのです。本当の色が、見えなくなるから。」と言っていた。味方は、いるのだ。

 かくして、だが、電話回線外しは。恐ろしいものになった。

 初めから、もう、戻れないと知っていたか?

 さあ?

 どうかな?

 私は、命綱を外すことを、したようだ。

 原始への逆行?古代への帰依?現代文明の謎解き?

 実は、私は、絵を描く習慣が、あるのだが、作風が変わったかな?

 どうだろう?絵は、立体的になったか?判らない。

 確実に、私は、遠近法以前の中世の城の絵とか、エスキモーやアフリカの絵画を思わせるミロやカンディンスキーも、好きになって行った。元々は、マグリットが好きだが。

 実は、モデムは一つだが、接続口は、二つある。そして、黒電話が使えなくなった。これをやると、音楽が、超高速度になるのだ。信じるかい?この話。

 今は、親機子機のファックス電話だけを付けている。

 変化は、色々。私は、ある意味で、沖縄っ子の親友のように、なった。海辺で、寝るような、自然時間男になった。「南の乗り」と、御岳大学のその親友が、言ったことに、近づいた。白日夢を見るようになったと言っておこう。

 いささか、とりとめがない。これは、いかんな。

 そう、電話回線のデーターは、収まった。そうこうしているうちに。しかし、二度と外せないのやら、また、外したいのやら、不安から、そうせざるをえないようになったのかもしれないのやら?一度外すと、データーが、安定するまでが、長い気がする。

 「またか?」そう思うと、一層、恐怖?

 そう、電話回線を外すと、自分を認識できなくなるのだ。そうすると、世界が、異変を起こすのだ。違って見えだすというのかな?

 しかし、私には、信念もあるのだ。自然へ帰れるという。

 実に、釈迦は、森で悟られた。野外自然で。私は、これを、信じているのだ。

 自然のほうが、強い。自然のほうが、幸せ、と。

 電話回線など、ない方が、自然に決まっているのだ。

 それに、東京は、電話セールスが多く、うんざりするのだ。

 外して、死んだほうがいいさ、みんなと違って。

 みんなと違うと、死ぬという脅しとの戦い=内なる戦いでもあるのさ。

 昔、社会から、外れるのは、死=恐怖だった。今、社会へ入るのは、死=恐怖だ。これを統合失調症という。私は、両方へ挑む。電話回線外しは、第一歩。知的な方法だ。

 釈迦も、言われた。死にたいと。そこで、神が現れて、こういう。「教えなさい」と。以後、45年間、教えた。

 しかし、又、僕は、文明下で修業しているのは、本当。

 精一杯やるさ。もう、私は、8段階目まで来ているのさ。データー取りながらやっているのさ。

 安心して。科学も使っている。でも、これ、シュール・レアリズムかも。文明下での修行は?でも、もともと受験生、何て、修行僧のようなものだった。

 これを、神智学という。ヘレニズム時代のキリスト教の神学者、オリゲネスに言わせると、『三位は、視覚の及ばないものである』。

 だから、安心してやっている。時に。しかし、不安は、ある。尚、いつ果てるともなき、回線への不安な問いかけ。外そうかな?今日は?いや、今は?そう思う日もある。

 宇宙船の不安に、似ているかもしれない,未知への旅。無重力への旅。

 すでに、一歩踏み外した私は、一歩、踏み出したというより、私は、家で、ゴロゴロしており、一日中、沖縄の親友の様に、海辺で、寝てられる男の様に、生きている。暇の恐怖は、兎も角として、一日中、遊んでいる。後、少し。いつ、何が、起こるか、分からないが、楽しんでいる。カスタネダ・シリーズの白眉、ドン・ヘナロ風に言うと。「楽しめば、いいのだ」。これを、かあちゃんに、言ったら、「でも、その楽しみ、短いものじゃない?」と言ってくれた。


 

 今は、寝るときに外して、朝起こると、付けるという効果ある方法になった。これで、不眠は、直った。なるほど、夜、電話のない世界へ行っていると、無意識自体も、また、深いのだろう。すぐ、深く眠れる。

 永い、不眠のノイローゼが、晴れた。万歳!

 決死の覚悟からの反動の嵐は、潜れたのだろうか?

 しかし、フロイトが言う、不安ノイローゼ=不安は、共なっているが。

 漠たる不安。

 未知の外界。

 異変感。

 いや、呪いでは、無くなった。

 メビウスの輪の如く、最初へ戻る。

 電話回線外しは、奇跡を生んだ。今は、まだ、整理できないでいる。いつか、全体を。電話回線外しの副作用、および、適切な副作用止めについて。本当は、私は、計算していた。人間の神経が、7年で更新される事を。だから、7年後に、一切の成果が出ることを。データーの本当の安定が得られることを。

 電話回線外しには、今日、甚大な決意がいるだろう。決死の覚悟がいるに違いない。

 まったくの闇夜の中に戻るのだから。

 しかも、電気のついた部屋の中で行う『一種のシュール・レアリズム』だから。

 しかし、電話回線は、まず、最大の変動を、目の喪失に起こした。

 詳しくは、今は、立ち入れないが、回線外しは、耳の世界を自由にするとは、思っていた。それが、どういうものなのかは、解からなかった。

 少し、繰り返しになるが、例えば、真っ先に、ビルの上の携帯電話のアンテナが気になりだした、私は、町中のビルに聳え立つアンテナたちを写した。デジカメに。

 次に、あるおばさんと立ち話をしていたら、「何酔っているのよ?」と言われた。

 私は、きっと、電話回線外しで、耳が休憩に入って、勿論、検波現象を見始めたと思った。

 悪いところが、吹き出したか?検波?調査機のこと。

 体の悪いところを、自分で、知ること。

 その機能が、回復されたのか?と思った。

 コンピューター風に言うと、スキャン機能。

 きっと、ふらふら酔っているのだろう。耳の、三半規管が、大分、やられているのだろう。私は、音楽の愛好家だしね。耳は、使い過ぎた。

 三半規管は、バランスを取るものだから。

 このバランスって、何だろう?

 時に、この実験は、大きな反動を生むか?

 神智学書の神は、言われた、聴覚の13段階まで可能、宇宙では。

 地球では、9段階まで、である。(アグニヨガ叢「「モリアの庭の木の葉)」)

 だが、体操部には。「反動を利用して、上へあがる」蹴上がりなどの技があるが。

 私は、絶望していない。 

 ストレンジ?       

 Am I wrong?

 もう少し、言おう。フランスのシュールレアリストにアンリ・ミショーという人がいる。

彼は、メスカリンの実験をして、報告書を書こうと思った。そして、最後に、こう記した。

「惨めな奇跡」=「ミゼラブル・ミラクル」という本を出したのだった。

 どういうことかと言うと、メスカリンで、いい気分になっていたところ、急に、孤立した自分が、見えた! と言ってよく、「私は、思考だけに、なってしまった。」と言う逃れられない恐怖をしたのだった。

 その時の体験が、デザイン画とともに、執筆された本であった。

 ちょうど、私は、電話回線を外して、自由度を極限まで、高める可能性があったのだろう。

 しかし、それは、あまりに、ラジカルで,無謀だった。反動は大きく、自由に耐えられないのだろう?

 しかし、これは、第一反応であろうと。

 だから、絶望していない。

 ここで、また、別の例題。

 今度は、2011年の7月11日にやった骨折の治療過程への観察からのヒント。

 骨折の話。そして、その治って行った過程の話。

 骨折して6年目の事、つまり2017年に、私は漢方薬を取った。柴胡加龍牡サイ湯という薬だった。これを一日3回きちっとやった。同時に、副作用止めで、芽キャベツも毎日摂った。こうして、私は、骨折から、骨盤変形を引き出せた。

 「変化は進歩や。」(テレビ・コマーシャルより)

 これで治ると思った。

 案の定、そのまた、5年後の2021年初頭に、その骨盤変形は、収まり、左右の足は、同じ大きさになって、行った。つまり、治り始めた。

 それまでは、骨盤変形の前は、骨折した左足が、だんだん、白くなり、毛もなくなり、全体が、小さくなって行った。

 これが、嫌であったし、危機を感じさせていた。事実、今も、左には、水虫の最初の兆候、角化が生じている。

 アーメン。でも、がんばろ!

 努力は買うぜ!

 まだ、希望を失っていない。

 「体操部には、反動を利用して、上へあがる『蹴上がり』のような技がある。」

 さて、今は、約5年半後。どうやら、音楽が、昔のように楽しめるようになった。耳の回復に、やはり、5年半も掛かった。

 綺麗に、蘇った音の世界。好きだったロックが、聞ける。うれしい。しかし、弱っていた耳の記憶が、まだ、怖さとして残っているね。

 後、残る自然食系健康法は、アロエと高麗人参ぐらいだったか?

 アロエは、ことのほか強く、てんさい糖を混ぜて、お湯で溶かすしかなった。

 人参は、ただ、お湯で溶かすだけでよかった。

 そうしたら、どちらが効いたのか?知らないが、右目に涙が溜まった。

 南無

 「いつの時代も、その時代の思考は、その時代に会っていない。」

 (小林秀雄の「近代絵画」の一説を、私風に要約したもの)

 (おっと、忘れていた。今は、スマホを買い、電話回線を増やした。なぜ?分からない。運命を増やした?かな?)