夢日記『銀髪』

ゴーレム佐藤

 

 とにもかくにも部屋中動物で充満していた。

 匂いとかはさほど気にならなかったが、とにかく、ちょろちょろするこの、リスがうるさい。犬と違ってそこいらじゅうに糞をするのを、僕は一日中集めてまわる。気にするなと思えばいいのだが、とにかく足を一歩踏み出すたび足裏に感じる異物が気になって気になって、結局一日糞集めという状況なのだ。それに見たこともない、そう、コガネムシくらいの大きさの、これはなんだろう?でも哺乳類だということは何故かわかる。これが無数にいるのだ。普通これだけ小さい生物はすばしっこかったりするのだが、こいつは違う。異様に行動がトロいのだ。すり足でその極小動物を足で掻き分けるようにしか歩けない。踏んでしまえば…一度踏んでしまったのだが…とってつもない罪悪感にさいなまされることになる。そのくせ、これまた無数にといっていいほど居る犬たちは、そんなことおかまいなく部屋を歩き回る。足裏の面積も人間とは圧倒的に違うしまた足裏の感覚も違うからなのか、決して踏みつけたりはしないのだ。もう痛々しいほど気を使って生きている自分が憐れになる。生きている?ことの証は死んでないということだけかもしれない。死んでない、つまりはこうして「痛々しい」とか「不快にならぬよう気を使う」とか、そういった、この脳が勝手に感じる「なにか」だけということ。

 糞集めに草臥れるとついついそんなことを思うが、まあ、それほど嫌になっているわけではない自分もそこにはいた。中学生の頃だったか、阿部公房の「砂の女」を読んだ感想に似ているのかもしれない。終わることのない連日の砂による攻撃をひたすら排除する、という言い方はおかしいか。日常になってしまった砂との付き合いをする女、決して砂の穴の外には出られない、そこへはまってしまった男もやがてその世界の日常に慣れていく。その日常を打開しようとすればとんでもないしっぺ返しがあるのだ。逃げようとしている間は不満しかないが、あきらめた瞬間から全く同じ行為が幸せにすら変化する。

 とにかく一日の大半が糞集めであり散歩(犬のだ)でありエサの用意であり敷き詰められたように存在する極小動物に気をつかうことである私の生活は、立ち止まるといろいろ思うことはあるが、決して不満でもなくまたこれといって幸福でもないのであった。

 それでも朝はやってきた。

 庭に出ると葦で作られた防風のための柵が交差するように屹立しており、庭先は砂だ。あの向うまでは行ったことがないが、ひょっとするとここは砂浜でむこうは海岸なのかもしれない。これまで打ち寄せる波の音、とか気にもしたことがなかったが、その日は確かに砂を洗う波の音が聞こえたような気がした。

 声が届くか届かないか微妙な距離をおいてそれは居た。

 見事なまでに銀髪の髪はボブカットにされた、女のものだった。

 気がつくとしきりに私は声をかけている。なぜかちょうどそこまで届かない程度の声量で必死に何か言っている私。何を言っているのか自分でも不明だった。また、それに呼応してかしないでかその女は微妙に聞き取れない声で何かを言う。私へなのか只こちらに向かってなのか、または充満している動物たちになのか、その視線は何を見ているのかいや見ていないのか。とにかく会話が全く持って不成立だということが唯一の関係としてあること、それにすがるように私は集中していた。

 近寄ればいい。だがそれはできなかった。私には明確な境界線があり、その一歩向うに銀髪の女は居た。踏み越えられない線でも近くまで寄れば話はできるだろう。だが近寄ってはいけないのだ。なにかがそう囁く。

 永遠とも思われる時間、必死になる私と曖昧な銀髪は対峙していた。

 終わることなく、それは今でも続いている。ときおり輝く、太陽に対抗するかのような銀髪が発する強烈な光で目を瞑る瞬間に、一瞬遮断されて感じる時の流れの中で。

 

(夢日記)

 

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