小説風エッセイ『心象の中の少女』

北條立記

 

 自分には、心象の中の傷付いた少女というのがいる。

 ヨーロッパの心中映画では、最後はピストル自殺だ。ベッドサイドで恋人を撃ち、男性は彼女をやさしく寝かせ付け、その横に自分が横たわり、こめかみを撃つ。

 私の考える心中は、そういうものではない。

 病院のベッドで瀕死の彼女を連れ出し、冬の北海道の湖に連れて行く。鞄一つで汽車に乗り、宿に一泊。翌朝、空気が白い中、荷物は置いたまま、二人で湖へ向かう。

 凍った湖。縁から凍っていく水というもの、真ん中はまだ薄氷のままだろう。防寒着は水辺に捨て、極寒の冷気の中、手を取り、湖の上を歩いて行く。左手を彼女の体に回し、右手は手を握って。ゆっくりと、どこまでも続く舞台の花道の上を歩くように。銀世界の中を、霧の向こうに向かい、湖の中央を目指して、一歩一歩確かな感触を感じながら歩いて行く。意識は真っ白な世界に溶け合うだろう。確認することはない。腕に彼女を感じ、引っ張りも押しもしない、ただ腕を添えているだけだ。自分が動く。彼女も自然と動く。自分が歩く。彼女も同じ歩調で歩く。それは一体となった感覚と、何ら変わりがない。そうしてどこまでも歩いて行くだけの世界…

 

 その傷付いた少女と知り合った時、適当な駅で降り、適当な方向に、けれど、どこまでも歩こう、と言った。そして、少女は付いてきた。

 

 その少女は、初めて会った時、わたしってキレイ? と自分の小顔を人差しながら言った。その時の言葉と仕草は記憶に残り、私をとらえて離さないでいる。

 

 心象の中の傷付いた少女は、私が10代の時からいる。

 

 珈琲の乾いた出涸らしのガラのようにさらっとしているが赤黒く、亀裂の中に深く入り込み、そして私の琴線に響き続けているその少女の傷。

 

 意識せず眼前に浮かび続け、脳裏に焼き付いているのだ。

 その少女の傷は、私の意識の核に、天女の衣のように触れている。