私の舞踊史Ⅰ

舞踊教育法研究家 柴﨑政夫

まもなく71才となる私ですが、舞踊歴に至るまでの紆余曲折を少し長くなりますが、述べます。理由は、日本における舞踊発展の歴史上、今日の大学院卒業者や舞踊評論家は数名を除き、私以後の世代となりますから、 いわば専門職としての舞踊の各ジャンルに精通しているものの、実技、全体の流れ、離合集散から発展に至るまでの道のりについては「専門外」として語ることなく、「ご自分でお探しください」という扱いにて、今日の日本における舞踊史を語っております。私が語るのは、実技も含め、その隙間をどうにか埋め、次世代が活躍できる場を与えるヒントになるようにとの思いが込められていることをご承知ください。

 押さえつけられた歴史。我がふるさとの祭神をご紹介します。

 ・八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)~政治・学問・工業・開運の祖神

 ・知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)~秩父地方開拓の祖神で十世の子孫

 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)~北辰妙見として鎌倉時代に合祀

 ・秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)~昭和天皇の皇太弟昭和28年合祀

イチョウ(銀杏)の木の気根は乳房のよう →チチノキ、秩父を意味する樹です。

秩父神社本殿の脇には、左側に豊受の神、右側に皇大神宮、すなわち伊勢神宮の外宮と内宮が並び、最奥には天神地祇社が並びます。これは、天岩屋戸に隠れたいきさつを解決した【八意(やこころ)思兼神】と多くの神々が集まったという故事を彷彿とさせます。

豊 受 の 神 ( 伊勢神宮外宮 ) 
天神地祇社(神社最奥に全国の一ノ宮)
皇大神宮(内宮)

日本の神様には高天原から降臨した天津神と、地方の神である国津神が居られ、祭られ ております。天孫族の代表が天照大神で伊勢神宮に居られます。その系譜を継承するのが 天皇家で在らせられます。

【造化の三神】それ以前に生まれた神々

古事記で、天地開闢(てんちかいびゃく)のときに高天原(たかまがはら)に出現し、万物生成化育の根源となった三神。天御中主神あまのみなかぬしのかみ・高皇産霊神たかみむすひのかみ・神皇産霊神かみむすひのかみをいう。続いて生まれた二神が、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)- 活力の神と、天之常立神(あめのとこたちのかみ)- 天の永久性を象徴する神。…これら五柱の神を、天津神の中でも特別な存在として「別天津神」と呼びます。別天津神の次に神世七代の神が現れ、最後が有名な伊弉諾・伊弉冉の二神で、日本の島々を生みます。

 【思兼神】あるいは【八意(やこころ)思兼神】 

記紀に見える神。高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の子。思慮の神。天の岩屋戸に隠れた天照大神を慰め誘い出すためのはかりごとを行なったばかりか、天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に従って天降った。つまり、天照大神を誘い出すための舞踊を伴った計画を執り行った神様です。

秩父神社は知恵の神様として知られる「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」をはじめ、四柱の神様を祀っています。 秩父神社の創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされ、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至ります。

左甚五郎作と伝えられている「子宝・子育ての虎」「つなぎの龍」「北辰の梟」「お元気三猿」の彫刻が見られ、お元気三猿は「よく見て・よく聞いて ・よく話す」三猿←→日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿と異なる表情。

天之御中主神を祀っている神社は大きく3つに分かれています。

・神仏混合で妙見菩薩=天之御中主神としている。

・水天宮系(幕末頃に水天宮の御祭神として加わるようになる)

・近代創建の神社

神格は、至高の神・天地創造の神・宇宙の根源の神とされ、ご利益は、安産祈願・子授かり・子宝祈願・開運厄除けとされてます。元々は性別のない単独の神でしたが、神仏混合により妙見信仰から女神や菩薩として信仰されるようになりました。

秩父神社では日本三大曳山祭の1つとされる「秩父夜祭」が毎年12月2日に「宵宮(よみや)」という前夜祭があり、12月3日にお祭り本番「大祭」を迎えます。

宵宮や大祭では提灯が付いた山車を曳き回し、花火が打ち上げられます。能楽を想わせる典雅な神代神楽に勇壮な屋台囃子、豪華な笠鉾・屋台の曳き回しに呼応する盛大な打ち上げ花火の競演など、魅力的なお祭りとして知られ、例年20万人以上の人出が見込まれています。祭神である妙見様にちなんだ祭礼として旧暦11月3日開催が、明治の改暦で12月3日となり、現在に至ります。

 北辰の梟(ふくろう)←ギリシア神話では知恵の神様がこの鳥です。

 妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、北極星または北斗七星を神格化したものとされます。

別称:尊星王(そんしょうおう)、妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)、北辰菩薩(ほくしんぼさつ)等。秩父神社祭神の妙見様は、北極星を中心とした北辰北斗の信仰で、この梟の見ている方角に出現することからも、ご祭神と特に縁りの深い瑞鳥であるとされます。

妙見信仰は古代バビロニアにはじまり、インドと中国を経て、仏教と共に我が国に伝来。平安時代に献灯をもって行う北辰祭として都に流行し、時を経て上野(今の群馬県)の国衙に近い花園妙見寺から秩父平氏が招来したもの。北辰(北極星)・北斗(七星)を神座とする星辰の信仰として伝わりました。

古代からの隠れた意味合いとして、神幸行列の先頭を行く大榊に巻きつけられた藁づくりの竜神は、毎年、春4月4日の神事「御田植祭」において、市内に鎮座する今宮神社境内の竜神池から迎える水神様のご神体を意味します。

この竜神池の湧き水は、秩父神社に対面して聳える武甲山の伏流水であり、盆地をうるおす大切な水源。

秋の収穫を終えての夜祭の神幸祭には、春先に招迎した武甲山の竜神を初冬に歓送する太古以来の風土の神祭り。

今日では、中世以来の信仰が育てた風土のロマンとなって、秩父夜祭が、武甲山の男神と秩父神社の女神との年に一度の逢瀬の物語として語られます。

第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたのが我が郷土秩父(知知夫)の始まりですが、八意思兼命は何をした神様なのでしょうか。

日本の神話の中で最大の困難な事件が「天岩戸隠れ」です。この時、高天原で最も知恵のある神とされたのが八意思兼命。彼の計画により、天鈿女命が踊り、神々が爆笑したので、天照大神が不思議に思い、天岩戸を細めに開いたら、天手力男命が手をとって引き出したと、古事記にあります。高天原を代表する知恵の神様と言えましょう。

逢瀬の場所とされる秩父公園には石が鎮座。天岩戸さながらに、かつては周囲に様々な見世物小屋、サ-カス、出店があり、群衆の熱気による賑わいが観られました。

祭りの夜が過ぎると、夜明けを全員が満喫。この時、天岩戸が開き、新しき年が始まるという感慨が生まれます。踊りから祈りへと、人々の願いは浄化されたのです。