私の舞踊史12

柴﨑政夫

 

大きな時代の流れに沿って常に変革改善を求められるのが、制作スタッフという憧れの職なのだが、現実はそう甘くはない。制作現場と基本的な作業の流れの違いを知っている人材は少ないでしょう。

実地訓練がないと意見さえ採り上げてくれない。有名大学出身で監督脚本づくりをめざすものは、はじめからオリジナル企画を念頭に十代から骨子づくりにいそしんでるものだ。しかし、現場の実態を知らないから丁稚奉公よろしく、様々な部署でこき使われる。助監督といえば聞こえはよいが、弁当手配と雑用が主である。

一番気楽なのは企画を持ち込む提案者側である。時代背景に絡み、「今何が求められているかを説き、周囲を納得させようとする。」間違ってもよい、いやかまわない。10やって1つ成功すれば大当たり。万が一であっても元は取れる。スポンサ-が鍵。言い訳や責任回避、代案等で使い回しできる。失敗例の典型を言えば、米国映画クレオパトラ。4人のプロデュ-サ-が関わり、公開にこぎ着けたが、自殺者まででる始末。

この映画、元々はハリウッド映画界に旋風を巻き起こした監督が次々と成功したのにあやかって、一発勝負に出た巨大企画。ブロ-ドウェイ経験のない監督ながら、次々と小気味よい切り口で各賞を獲得した実績から、制作陣は大いに自信を持って臨んだ。

特に前作がジュリアス・シ-ザ-(舞台劇の映画化)だったので、6人の名優たちと女優を使いこなしたという実績により、周囲を安心させた。

ところが、クレオパトラに関しては野外撮影・巨大化という時代の流れがつきまとったため、経費は次々と増加。品質面で面目を保ったものの、巨大スクリーンの隅の粗さが目立ち、演技面の主導権を誰が発揮するのかという面での貫禄不足。加えて、装飾品の質の悪さ→是正申告が相次ぐ。

日本市場は3ヶ月の興行収入で獲得できればよいから、ロ-ドショ-公開でという策を選ぶ。都心はともかく、田舎の映画館では扱えない興業となる。

日本映画では低コスト・お抱え俳優の再起用・期待の新人+起承転結の冴え渡る演出。という無難な企画が浮上する。

年に一度の芸術祭参加映画的実験なら、直木賞受賞作品その他、何らかのこだわりが原作に求められる。

ところが毎日放送されるテレビ現場では、1ク-ル3ヶ月の企画台本を基本とする作業が一般的。制作陣を悩ますのが「放送コ-ド」の存在。これを逆手にとって、ギャグを連発する番組がバカ受けした時代。視聴率上位番組はほとんどがこれ。8~10時台の良き家庭重視の規範という重圧が存在した。

著名女優へ「~お後は15分アドリブ、よろしく」と書かれた台本にもめげず、着々とこなして「日本のお母さん女優」の呼び名を獲得した人もいた。

こうした企画が好評ならば次の3ヶ月も延長。あるいは1年後に再登場。という流れができる。その間を埋める企画は一発企画の歌番組やコント。多少の時間的ズレがあっても、一つや二つの増減は可能。ここにアルバイト的な調整業者が関わってくる。軽音楽関連の歌手・ダンサ-等。特に男子が不足していた。

とはいえ、この時代、一般家庭出身者が伝統歌舞伎・映画界へ進出するには、不退転の覚悟で弟子入りしないと、受け入れてくれない時代。

女子の多くが中学卒業後から25才ぐらいまでの10年間ほど、アルバイトしながら世間を知り、良き家庭の主婦となることを夢見ていた若者が多かった。

いわゆる使い捨て企画と、延々と続く家庭生活の幸せ感を描く企画という流れで、平穏無事に明日を夢見るのが、世間の常識とも思えた時代だった。

それでも常時必要なものとして、大声で騒ぐ主婦代表や「日本のここが変」と指摘する外人タレント。身体だけ立派に見える流行服の女子。都会遊びに慣れ、ちゃっかり上手く生きてる子たち。これらはいわゆる「ガヤ…番組盛り上げ的存在」として、常時必要とされたが、正体不明の「使い捨て人材」。→ここに目をつけたのが個人事務所経営の登録企業。

子役専門斡旋業からタレント雇用事務所の存在が、次第に巨大化→小中学生に知られるタレント育成事務所に成長してゆく。

何のことはない、学校ではない単なるアルバイト契約的な使い捨て企業である。

しかし、テレビ番組制作陣は大卒経験→現場修行→監督へという流れ。常時、こういった連中とのつき合いがないと、一発勝負の企画に手が届かない場合もある。こうして、一人一人の個人的なつき合いが深まってゆく。

かつては、「この役はこの子に」といったマネ-ジャ-もいるにはいたが、「真ん中だけ探せば、あとはまとめて私にお任せください」という事務所も。となるとどう選ぶか。NHK・TBSの連続ドラマ主役が新人公募で取り沙汰される時代となっていた。

男子の多くは十代で人気を獲得したアイドルに、伝統歌舞伎芸や時代劇的な演出で新生面を。また、アメリカンポップス系の演出で華やかな歌唱ステ-ジを。といった流れになる。そこにファンクラブ結成・支援団体という存在が欠かせない。

こうして子役から素人を有望新人と称して育ててゆくことを楽しむ日本独特のプロダクションシステムが定着する。

それでも足りないから、伝統芸、軽いダンス、集団で抱える悪役・貧民・娼婦役といったプロ集団の存在維持も必要とされた。

一つ言えるのは、「主役より目立ってはいけない」こと。主役は一本契約だから、臨む結果がでなければ、次回作は消える。

安く使われる中からスタ-に選抜→次回作の時間あたりの拘束額が高くなるだけのこと。特別スタ-は「作品一本に対して何パ-セントの利益取得」という具合。モ-ツァルトが渡り鳥的契約で諸国を渡り歩いたのは、こうした事情から。彼の父はあくまでもお堅く、一定のところで契約し長く不安なく生活できることを望んだが、要求が高すぎたため、こうした契約にならざるを得なかった。

ここまでは成功例として取り沙汰されるが、鵜呑みにするのは子どもたちだけ。米国にはスタ-システムが意図的に組み込まれ、新人導入の手段として雇用されてきたが、この枠を越えれば、個人事業主として、制作段階からの見直しが迫られる。これを上手く乗り越えられぬ者が脱落し、成功した者だけが語り継がれる。その結果、悲劇の主人公として祭り上げられ、永遠に光り輝く存在となるわけだ。

そこには、再利用できる素材かどうか。あるいは「新スタ-:第二の○○」といった企画が待ち受けている。何のことはない、新時代の穴埋め事業である。

現実に10代で成功→ジャンルを問わず大人として成功→現代社会にもの申す中年世代で成功。となった者は皆無に近い。

理由は、雇用金額が高額になればなるほど、次回作への雇用が困難化するため。

古典芸能が良い点は、「表に出ない」態度で主賓をもてなす趣向が、満足度を高めるため。

となると、安くて大量雇用しながら使い捨てする企業、伝統的古典芸能の保持者でありながら裏方に徹する芸能保持者だけが生き残る世界ともいえようか。

ここから、何をめざすのかという視点で25才で決断した私。現実に27才で成功した悪役その他何でもござれの役者もいるが、多くの場合、支援者がいて、成功後のトラブルに発展する例が多かった。

何のことはない、田舎に引きこもり、補助教員探しで5月17日に就職。声の大きさ・明瞭さに不安はなく、数ヶ月もすると、宝塚受験生の「ブリガド-ン」制作に加わった。これはバレエ:ラ・シルフィ-ドをミュ-ジカルに仕立てたもの。教員試験は何の勉強もすることなく突破。ついでに妹から「一度でいいからバレエレッスン受けたい」とのことで、援助。それが半年後には大学推薦合格。天ぷら油の酸化実験レポ-トが県三位を受賞。あっという間に一年が過ぎ去った。

とはいえ、いきなり妹がバレエ辞めるというのでは失礼。ということで「端役なら何でも、プロ経験ありますから。」ということで、バレエ通いが始まった。

脇役は常に必要で、引っ張りだこの時代だった。

 

 

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25才で引退、26才でフリ-。27才でバレエという奇跡の経歴

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当時、コンク-ル参加年齢を25才に抑えはじめた時代だった。

既に過ぎた年齢だったため、一緒に組んだ者が

久保紘一(モスクワコンク-ル最高位)

高野知美(埼玉全国一位)

それぞれソロで課題を踊り、始めと終わりを私で締めくくった。

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レッスン開始直後に東京に招かれた。

いきなりアダジオレッスン。そこにはNBA初代芸術監督安達哲治、評論家うらわまこと、その他、著名人がいた。

7ヶ月でダブルザンレ-ル習得。

左右5回転ピルエット、16回転アラスゴンド・トウ-ルはお手のもの。

一年後にくるみ割り人形アラブの踊りに出演。

一年半で白鳥の湖パドトロワ習得。

3年目にくるみ割り人形アダジオ:松林にて→雪のワルツまで。

4年目に埼玉県舞踊協会主催舞踊大学講座4期生代表となり、1年間講座運営を実施。

5年目東京芝公園にて卒業公演の主役でデビュ-。

6年目埼玉県舞踊大学講座5期生講習会の司会運営並びに、舞踊学会講習会の世話役。

この時、薄井憲二先生「春の祭典復元の経緯」講座の世話役を務めた。

この時の舞踊学会員が全国の舞踊教育関連学科の教授になっている。

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その後、バレエ雑誌「バレリ-ナへの道」の定期執筆者として、今日に至る。

著作「バレエ上達へのヒント」「バレエ上達へのヒントパ-ト2」「プロフェッショナルへの準備」「白のバレエを踊ろう」「子どものためのバレエ用語2」等を執筆。

アテネオリンピック新体操選手、新国立劇場バレエ団員、ボリショイバレエ留学生、ペルミバレエ学校留学生、チャイコフスキ-生誕の地であるイジェフスクバレエ団員、チェリャビンスク教育大学舞踊教育科卒業生等を育成。

今日に至る。

ワガノワメソッド直系の指導方法を習得

(ワガノワ→サハロワ→ウラノワとシドロワ)

バレエ学校→バレエ団員→教育大学卒業資格取得まで、一貫した指導法を取得。

今の子にとっては、まず実現できない内容であろう。

日本のバレエ団員というのは群舞の団員を意味するレベルであるし、いきなりソリストから主役までをわずか二年で仕上げたのである。

ここに、過去の蓄積として、世界一の民族舞踊モイセエフバレエと体操競技の蓄積があったことはいうまでもない。

見かけを気にしすぎたり、技術学習をおろそかにしてはならない。

子どもは素質を持って生まれてくる。その個性を伸ばせばよい。

皆違って、皆それぞれの味わいを持つ芸術家に成長する。

トップに立ったにしても、やがては終わりが来る。

そのときどうするか!?

捨てるか?指導する側になるか?

この時、蓄積したものが本物ならば、役に立つ。

半世紀を経て、私のモイセエフバレエの伝統は復活した。

今、数少ない弟子を通して伝え続けている。

過去の世代は派閥を作って生き延びてきた。

感情だけで物言う世代。

自ら学び続ける姿勢が問われていよう。

人は日々進化するものだから。

演劇時代のカリキュラムがロシアの大学論文作成に通用した。

体操競技床運動の超絶技巧が民族舞踊・サ-カス技の特訓習得に役立った。

過去の偉人フォ-キン、ニジンスキ-、リファ-ル、モイセエフ等の作品との接点を再確認できた。

もう一人、ヌレエフが逆コ-スをたどってバレエ界に君臨したことも。

 

バレエは古代ギリシア劇から生まれた。

パンドラが箱を開けたら、世界中に不幸が飛び出した。

慌てて閉めようとしたら、中から希望が「開けて」と言った。

今はそういう時代。希望の火を消さないでほしい。

編集部より_________________________

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